2009年11月20日 (金)

たくさんのアクセス、サンクス・アロット

 お寒うございます。

 矢追純一さんと同列に扱っていい人を、もうひとり挙げよう。

 アル・ゴアである。

 去年、世界の平均気温は下がった。

 東京は10数年ぶりの低温。

 わしの予想は競馬同様に当たらないが、今年も気温は下がるぞ!

 そこに襲い掛かってきたのが、新型インフルエンザ・パンデミックだ。

 今、新聞、テレビが最も信用できないのが、インフルエンザ問題である。

 自分の身を守りたいと思うのなら、新聞なんか読まずに、下記のネットメディアを見ることをお勧めする。

http://medg.jp/

http://lohasmedical.jp/blog/

 で、今、国民の命について「死んだって、知るもんか」ってことを、自覚なしにやっているのは誰か?

 長妻昭厚労相だ。

 新型インフルエンザウイルスが突然変異を起こし、「死病」となったとき、長妻さんは歴史に名を残す。

 医療がまったくわからない医療政策立案者として。

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2009年9月25日 (金)

「ナンバー」から拒絶された原稿 三沢光晴名勝負

「プロレスに殉じた男 三沢光晴」(『ナンバー・プラス』)が送られてきたので、そこに掲載されなかった元原稿を公開します。

 いい原稿ではありませんが、この形で完結していたことをわかっていただけたら幸いです。

「ヒクソン・グレイシーって、ドロップキック、できるの?」

 困ったことを言う。

 下ネタはかなりまじるけど、三沢光晴さんの言葉にウソはない。だから、私は三沢さんと会う仕事が大好きだったのだが……。

「とにかく、ヒクソンとやるかどうかは、やつのドロップキックを見てから決める」

 三沢さんは、時々、真顔で困ったことを言う人だった。

「三沢さん、グレイシー柔術の技に、ドロップキックはありませんよ」

 まるで、頭の悪い中学生の会話である。

 結局、このやりとりは活字にはならなかった。このまま雑誌に掲載してしまうと、読者がこう解釈してしまうからだ。

「三沢は逃げている」

 2001年4月18日。日本武道館。

 仏頂面でリングに向かう三沢光晴。

 1万6千人の観衆に向かって叫びたかった。

「三沢さんは、敵に背中を見せない。人間を無視しない。わかったか!?」

 会場はものすごい騒ぎ。

 ヒクソンに負け、小川直也に蹂躙され、「プロレスは最強の格闘技」という看板が地に堕ちても、みんな、プロレスラーが好きだから。

 しかし、三沢さんの内面を慮れば……。

「つまんねえ仕事だよ。しゃあねえか、向こうが振ってきたんだから」

 注文は断らない。「ドロップキックがない試合」でも仕事は仕事。いわば「職人の覚悟」である。

 でも、間尺の合わない仕事、ノアのコアなファンにとって満足できない試合で、三沢さんがぶっ潰されたら、どうするんだよ!?

 三沢さんの体調は、よくて70%ぐらいなのでは……。

 潰し合い。その熱狂と葛藤とビジネス……。これがあるから、プロレスは面白い!

「あんなもん、『さあ、ここから』ってときに終っちゃった試合だろ?」(対戦後の三沢)

 いや、だからこそ、霧が晴れた。いろいろなものがくっきりと見えてきた。

 三沢さんは、首の後ろを押さえることで小川直也の巨体、バカ力を完璧にコントロール。マットにはりつけにした。プロレスラーは、グラウンドの攻防では誰にも負けない。

 プロレスの必殺技は、相手に受ける気がまったくなくても必殺技である。

 そして……。

 三沢光晴とは何者なのか。

 しかし、まだ謎は残っている。たとえば、対小橋建太戦。「黄金ブランド」「品質保証」とまで呼ばれた闘いである。

 2003年3月1日。日本武道館。

 この二人以外のレスラーなら失神していて当然の25分過ぎ。三沢は、花道からリング下へと、小橋の巨体をタイガースープレックスで投げ捨てた。実況アナウンサーは叫ぶ。

「死んでしまうー!」

 なんというパラドックス!

「黄金ブランド」は、「死に最も近いから」という根拠で「品質保証」されているのか?

 すでに満身創痍のベテラン二人はなぜ、「殺し合い寸前」をやっているのか?

「ブランド」となって、貨幣と交換するため?

 ファンが「死線」を求めているから?

 わからない。技の的確さ、激しさ、エグさは過去最高。この夜の対小橋戦は、三沢さんが遺した最高傑作に違いないのだが……。

 私はもう二度と、あの夜のようには振舞えない。首を引きちぎるような小橋の逆水平チョップに、「垂直落下」の応酬に、「スゲエ、スゲエ」と呟き続けることはもうできない。

 三沢さんが死んでも、パラドックスはまったく解消されていない。だから、言葉がない。

「リングで死ねて、三沢も本望だろ?」

 そんなことを言う人は、ニューヨークで行われた対KENTA戦をぜひ観てほしい。

 何よりもまず、会場のボルテージが尋常じゃない。ここまでの「熱」が、今の日本のプロレス会場にあるか?

 KENTAは、どこからでもスワンダイブする飛び技でプロレスの「空間」を、試合の流れを一変させる打撃技でプロレスの「時間」を変えた。マンハッタンの観客にとって、初めて観るプロレスだったことだけは確か。

 三沢さんの体調はすでに最悪だが……。

「あれだけの声援を浴びたら、やっぱ、がんばるしかねえか? がんばっちゃうか?」

 師匠のジャイアント馬場が軽々とやってのけ、三沢さんにできなかった仕事がひとつだけある。それは、マジソンスクエアガーデンのメインイベントに君臨することである。

 三沢さんの最後の夢は、KENTAのようなノアの若手を押し立てて、海外に向かって航海することだったのではないか。

 夢半ば……。「晩年の」という言葉は遣いたくない。これほどまで、三沢さんの思いが沁み込んだ試合はない。

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2009年9月21日 (月)

「雑誌化」する世界 変われない雑誌 のりピーの「手記」を取った編集者が勝ち組か!?

 資本主義の崩壊、政権交代……。世界は音を立てて崩壊し、風景はめまぐるしく変わっているのに、マスコミだけは変われない。

 小泉改革でも、再販制度は構造改革されなかった。

 デフレでも価格破壊は起こらず、人員削減だけがリストラとなったため、雑誌の労働環境は最悪だ。

 二人でやる仕事をひとりでやらなくてはならないわけで、当然、紙面のクオリティーは落ちる。

 読者の生活は苦しくなる一方なのに、一食抜いて雑誌を買ってくれた顧客は愕然とする。

「面白い記事が一本もない!」

 世界は「雑誌化」しているのに、雑誌だけが変われない。

 たとえば、ブログ。お気に入りの書き手のブログを集めれば、その日に起きたことが、さまざまなレトリックで読め、まさに「雑誌」なのだが、雑誌は「雑誌の文体」を書き手に押し付ける。

 雑誌が失った最大のものは、自由とチャレンジ精神である。

 たとえば、「109」に代表される若い女性向けの服や靴の売り方も典型的な「雑誌化」だろう。

 さまざまな「デザイン」を世界中からかき集め、常にバリエーションを確保し、売れない商品はすぐに撤去し、売れ筋だけを3ヶ月間売る。

 一番長生きな商品でも、わずか、3ヶ月である。

 その裏には、搾取、子どもの強制労働など、問題山積なんだろうけど、

 まさに、雑誌でしょ?

 雑誌はそういう努力をしているか!?

 てゆーか、逆行しているよ!

 同じ情報源に500人も集まって、同じ絵、同じ言葉を伝えているだけなんだから。

 のりピーの「手記」を取ったやつが勝ち組か!?

 それこそ、想定の範囲内だろう。

 雑誌には「まっとうな異論」がひとつもないから、雑誌を読んで、

「誰も私の気持ちがわからない」

 そう思う人こそ、まっとうだ。

「雑誌は大衆を誘導し、画一化しようとしている」

 この見解もまっとうでしょ?

 わしらは「敵意」を持たれている。

 その認識から、出直すしかない。

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2009年9月18日 (金)

のりピーが「なぜ、謝っているのかわからない」あなたへ

 これを読んで考えましょう!

 あれ? 森巣博さんの『非国民』(幻冬舎文庫)。アフィリで貼り付けることができないんですけど。

 なんか、規制がかかっている?

 わしが、今回の事件の記事を依頼されたら、まず、森巣さんに会いにいって考える。

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のりピーとマスコミ

 のりピーはよくやったと思う。

 わしは「心がこもっていた」と思うが、「筋金入りのお芝居だ」と思うのも自由。

 それに比べて、300人も集まって、無駄なエネルギーを浪費しているマスコミはなんだ!?

 自転車をこいで発電をしろ!

 やつらは「のりピーで死ぬほど忙しい」と言うかもしれんが、この騒動で「あ、これはお金を払って読まなきゃ」と思わせる記事が一本でもありましたか?

 薬物に関して「国家が勝手に決めたこと」に対する「異論」を掲載した雑誌がありましたか?

「芸能界の薬物汚染」は徹底追及して、「マスコミの薬物汚染」は知って知らんふりかよ!?

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2009年9月17日 (木)

週刊誌ジャーナリズムはもうあかんでしょ?

 実はわし、『週刊現代』のわしの記事がどうなったか、今日まで知らなかった。

 掲載誌が送られてこないからである。

 喧嘩したから、発送が止められたの?

 直前まで、毎週送ってくれていたのに。

 激怒してメールしたら、なんと、3冊まとめて送られてきた。

 今、読んだ。

 感想は……。

 昭和の香り漂う名文ですなあ。

 わしの原稿と比較してほしい。

 映画を観て、批評しない、という立場が、物書きにありえるのか?

 それがあるのなら、編集者は、絶対にわしに原稿を依頼すべきではなかった。

 映画はなぜ存在しているのか?

 それを観た人間が何かを感じ、それを人に話したくなるからでしょう? 違う?

 そういう欲求を持ってない特殊な人にしか、今回の原稿は書けない。

 つまり、人としてわからん。

 簡単に言えば、批評眼を持っている、少なくとも、持っていると思っている人間は週刊誌ジャーナリズムには不用なのよ。

 だから、巻頭の記事でこう書く。

<日本の”すべて”が変わる日が目前に迫った。>(どこよりも詳しい! 全480議席 最終「当落」)

 本当に「すべて」が変わるのかよ!?

 これが国民的ツッコミだ! 違う?

 でも、巨大マスコミには、編集者がいないから、いても激しく劣化しているから、この書き出しは素通り。

 本当にこの国の「すべて」は変わるのか?

 どこまで読んだって、書いてないよ。

「すべて」と書くのなら、日米同盟は変わるのか!?

 これが、安保闘争を闘って、胸に空しさを刻み込んだ世代の実感だろ!?

 その世代が、『週刊現代』を5年前まで読んでいた顧客だから、売れなくなるのは当然だ。違う?

「すべて」はたった3文字。でも、遣っていい3文字か、遣っちゃダメな3文字か、考えてみてほしい。

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「9・11」でもない。「リーマン・ショック」でもない。「ユダヤ・ロビー」だ。マスコミは1995年に死んだ

「闘う編集者」がまだ、いると思っていた。

 1995年、死体だらけの神戸を這いずり回っていたときのこと。

 文藝春秋社『マルコポーロ』の仕事だった。

 わしはまだ、ジャーナリズムを信じ、身内に死者を抱えている人に声をかけた。

 片っ端から、とはできなかった。未熟なのよ。

「失礼だろ」と思ってしまうのよ。

 どうしようもない思い、ってのはあるよね。

 理不尽に人間が死んだんだから。

 大量に。

 その直前、『マルコポーロ』は何を書いたのか?

 ナチによるユダヤ人に対する大量虐殺、「ホロコースト」はなかった、と書いた。

 表現の自由か?

 わしはそう思わない。

 その記事によって、どうしようもない思いで頭をかきむしるおびただしい数の人間がいるから。

『マルコポーロ』が潰れて、編集長の花田さんは、わしになんの説明もしてくれなかった。

 しばらくして、わしは、東京ドームに巨人―阪神戦を観に行った。『ナンバー』の編集者に言えば、文藝春秋社が押さえてあるシートがかなりの数あって、わしは仕事でその席に座った。

 前の列が全員白人で、頭に小さい帽子をかぶっていた。

 ユダヤ教の人たち。

 それも驚愕だったが……。

 腰が抜けたのは、わしが「闘う編集者」だと思っていた人間が、「ユダヤ・ロビー」を接待している。ビールを配っているんだよ!

 わしは編集者の奴隷で、編集者は、

「雑誌を潰さないと、すべての自動車の広告を取り下げる」

 そう言ってきたユダヤ・ロビーの奴隷なんだよ。

 元『マルコポーロ』の編集者は、連日、「ユダヤ人の歴史」の講義を受けさせられ、夜は接待。男芸者だ。

 そんなマスコミから、9割搾取され、人間扱いをされなかったわしらライターは、どうするればいい?

 どうしようもない思い。

 つまり、書けない。マスコミには。

 企業犯罪は書けない。ベンツ、BMW、オペル……。

 テレビで仕事をしたくないのは、これらドイツ企業が、報道番組のスポンサーになっているからである。

 そして、自動車の大量生産に代表される資本主義は崩壊した。

 マスコミは、今こそ、奴隷をやめるべきだろう。

 目を覚ましてください!

「反原発」を明言した社民の福島代表は偉いよ。

 時代は変わっているんだよ。

 活字ジャーナリズムは、企業に対する言論の自由を取り戻すべきである。

 わしはまず、山口県の原発建設をめぐる漁民と中国電力の闘いについて企画を出したんだが……。

 講談社、返答せい!

 ダメすか、やっぱ?

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2009年9月15日 (火)

スポーツライターになりたいあなたに

 マンハッタンのツインタワーのように、世界が次々に崩壊していく感覚。

 朝起きるのがすごくつらいし、博打をやっても楽しくない。すぐに寝床に戻りたくなる。

 もしや、うつ病?

 いやいや、ここのところ、ドンキの安売りウイスキーを飲んでいるのがいけないんじゃないか?

 ということで、黒糖焼酎の『奄美』を飲んでいる。

 問題を整理してみたい。

 はっきりとわかったことは、編集者がわしの原稿をぶっ壊したということ。つまらないものにした。

 結果として、雑誌はつまらなくなるよ。

 もうひとつは、一生懸命、原稿を書いても、正当な報酬は支払われないということ。

 単行本を書いて、9割ピンハネされたら、スポーツライターは生きていけないよ!

 10年以上、そう主張し続けてきたが、今や、9割3部の搾取が常態化した。

「スポーツライターになりたいんです」と言う若者にかける言葉がないよ。

 絶対、やめたほうがいい。

 そう言う他ないよ。

 最近、「タダで昔の記事をネットにアップしたい」と依頼してきた講談社の編集者はこんなことを言った。

「ネットで中田さんの記事を読むことで、中田さんの単行本を手に取ってみようと思う人も出てくるなど、波及効果がある」

 シナジーかよ!?

 編集者の劣化はここにきわまった。

「シナジー」というアホな言葉で、わしらは貧乏になり、下流に追いやられたのである。

 元『月刊現代』なら、ネットと腰を決めて闘えよ!!

 ネットと連動なんぞ、ありえないよ!!

 もう一つ、ハラに据えかねたことは、『週刊現代』の校了日に、バカみたいにでっかい講談社ビルの応接室で、

「ああでもないこうでもない」

 必死で、原稿を直していると、こんな社内アナウンス。

「ただ今から、〇階〇〇室において、〇〇ハウスの一戸建てローン説明会を行います。皆さん、お集まりください」

 わしは裏池スラムのクマネズミが出る借家暮らしだよ!!

 スポーツライターになりたいあなたに。

 こんな境遇、差別に耐えられるのなら、チャレンジだ!!

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2009年9月14日 (月)

ついに完結! 貨幣と交換できない原稿

 昔、『平凡パンチ』で「洋ピン評論家」を目指したことがある。

 一日で、挫折したけど。

 なんかね、「隙間産業」なんじゃないか、と思ったアホウなわし。

 一日、6本の洋ピンを観て、瀕死。

 とういうわけで、これでも、エロ映画が大好きなのよ、連載完結。

「脱いだ女」「脱がなかった女」の50年史⑦(だっけ⑥だっけ)

『忠臣蔵外伝』は「松竹」創業100年記念作品。ところが、監督は東映の実録モノで一世を風靡した深作欣二。まず、この抜擢がわからない。山田洋次監督が下町人情でもって寿ぐべきだと思うがなあ……。

 内容も深作監督の「絶対に面白いものにする」という使命感が完全な仇。忠臣蔵も四谷怪談も我が国を代表する普遍的な物語だが、世界観がまるで違うのだから、「面白さ倍増」ではなく「混ぜるな、危険」だろう。

 お岩は売春婦(だから、哀れさ激減)。伊右衛門が赤穂浪士(だから、悪が中途半端)。化粧しちゃいけない顔の代表、石橋蓮司、蟹江敬三だけ白塗り(!)。討ち入りの大団円にお岩がカメカメ波で助太刀(大映の化け猫映画か?)。松竹らしさはかけらもない。結果、「裸を売り物すると、変な映画になる」という宿命の絶好のサンプルとなってしまうのだ。

 公開前、松竹宣伝部は、スチール写真の管理を徹底したという。業界関係者ですら、「高岡早紀が全裸になることはない」とたかをくくっていたので、

「先行試写会で観ていたとき、佐藤浩市が高岡早紀の胸をわしづかみにする場面で、スリムな体つきからは想像できないほど豊かなバストに、『おー』とどよめきがあがったのをおぼえています」(秋本さん)

 試写会のスクリーンを隠し撮りして、つまみ出された人もいたらしい。

 この騒動が、おそらく、最後の日本映画の「裸祭り」である。

「オナペット」と呼ばれた映画女優は、アダルトビデオの蔓延によって絶滅。以降は、あからさまな経済原理が女優を縛りつけることとなる。

 80年代初頭、夏目雅子がすでに契約書に縛られていたように、

「何が一番儲かるのか」

 それは、テレビCMである。

女優本人ではなく、所属する芸能事務所が効率を追い求めていく限り、所属する女優が映画で裸になることは、会社にとっては営業妨害以外のなにものでもない。今、売れてなくても、将来にCM出演の可能性がある限り、誰も脱がない。

寺脇研さんは言う。

「日本は芸能事務所が俳優のマネジメントを仕切るという、世界的に特異な現状にある。

こんな仕組みは日本にしかないですよ。芸能事務所の仕切りが俳優の可能性を狭め、結果的に邦画のクオリティを落としている」

 たとえば、世界的ヒットとなった『ハンニバル・ライジング』は、日本人女性がレクター教授の育ての親という設定である。ヌードシーンも映画の重要な要素であり、ハリウッドのスタッフは、日本で女優を探したが、誰も応じず、中国出身の国際派女優、コン・リーが堂々たる裸身を晒した。大げさに言えば、日本の芸能事務所は「国益」を毀損している。

 鈴木京香、藤原紀香、広末涼子、天海祐希……1980年前後なら、「裸映画」を期待されたであろう女優は、結局、全員が効率を選んだ。

「『余命1ヶ月の花嫁』にしても、乳がんと闘い、24歳で他界するまでの1カ月間に、どうセックスするかを描くのは避けては通れないはず。きれい事にしてしまうことのほうが、むしろ不自然です」(寺脇さん)

 そんな中、ほぼ性描写のみの映画『ヴァイブレーター』の監督と飲み屋で偶然出会い、「ダメモト」で切り出した出演依頼を快諾したという寺島しのぶは本当に偉大だ。50代後半になって『るにん』で全裸になった松坂慶子の「義理堅さ」もすごい。日活最末期の『うれしはずかし物語』や低予算の小品『極道記者』でも期待以上の脱ぎっぷりを見せた川上麻衣子にも頭が下がるが……。

「裸映画は不滅だ!」

 筆者はそう言いたいが、そう結論づけられるわけもない現状に、日本映画のチャレンジ精神を体現した老いた天才脚本家、白坂衣志夫さんの言葉がのしかかる。

「日本人はなぜ、こんなに保守的になったんだろう」

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スマンです

 昨日、『ナンバー』編集部の担当編集者とデスクが来て、会談。

 わしは注文どおりに原稿を仕上げたのだから、議論は平行線で、『ナンバー』側は謝罪をしない。

 まあ、言い合い。

 そのなかで、担当編集者からのメールを、名前だけ外して、このブログにアップしたことについて、「話し合いの前に公表するのはいかがなものか」と言われ、その場では、また言い合いになったが、

 不快な思いをされたのなら、申し訳ない。

 この場で謝罪して、ブログを書き換えておく。

 でもね、20字×100ラインの原稿を依頼されたことだけは事実。

 メモを見ると、わしは、

「1試合2000字ですか? それとも、3試合全部で2000字?」

 と電話で聞き返しており、メモには「全部で」と書いてある。

 結局、一試合だけの原稿になってしまったが、担当、デスクと詰めて、粘って、署名原稿は掲載される予定。

 競馬のデータを取ること、企画を書くことで、多忙だったため、自宅まで来たくれた二人には感謝する。

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