2016年11月25日 (金)

日本列島は木の葉の船 マスコミはもちろん原子力規制委員も口にできないこの国の破局「建屋滞留水1400万ベクレルのセシウムを津波が海に連れ去る日」

 しーっ! 言わないでね。みんな知ってることだけどね。

 20167月。原子力規制委員会・更田豊志の堪忍袋の緒が切れた。

「東電福島第一原発の津波対策は何も実現していない」

「堤防はできていない」

「建屋滞留水を座視しているわけにはいかない」

「超高濃度の汚染水を移送せよ」

「タンク増設命令を出すぞ」

 更田の激怒を受け、8月に東京電力がこっそり提出したグラフがこれ。↓

Photo

 建屋滞留水とはなんなのか?

 いったい、どれほどの汚染濃度なのか?

 セシウム137は「14」ぐらいの位置。

 単位は?

<×1・0E6(Bq/L)>

 これを瞬時に解読できる人が何人いるだろうか?

「E」とは指数。指数表記のExponentだ。

 E110

 E2100

 E31000

 E410000

 E5100000

 これを調べるのに私も相当な苦労をした。

 14×106(Bq/L)

 建屋滞留水のセシウム13714の百万倍なのだ。

 1400万ベクレル!

 環境に出していい法定濃度の150万倍超!

 しかし、原子力規制委員会の会議に出席した「原子力ムラ」の住人は、誰ひとりとしてこの数値を口にしなかった。

 なぜ?

 会議の様子はすぐさまユーチューブで公開されるからだ。

1400万ベクレルのセシウムがなんの対策もないまま放置されている。これを国民に知らせるわけにはいかない」

 ゆえに更田はこんな言い方をした。

「タンクの汚染水より5乗も高い」

 こんな言い方をされても何もわからない。ピンとくる人は誰もいない。

 このグラフは会議当日にネットで公開されたが、「1400万ベクレル」と書いたり言ったりしたジャーナリストを私は知らない。

 誰かいた? いたら、教えてください。

 20161122日。福島県沖でマグニチュード74の地震が発生。1メートルの津波が原発を襲った。原発の陸側を走る国道6号線は一部水没した。

 翌23日。地下水観測孔(井戸)№1の全ベータが過去最高値、19000Bq/Lを記録した。

 私は何も起きていないふりをして職場に行く。ふりをするしかない。

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2016年6月 9日 (木)

「原発はいらない」ことをキリンカップサッカーの歴史が証明している!2011年 チェコ代表戦の観客65856人!しかし、首都圏での決勝はそれが最後となった

 2004年。

 スロバキア代表とセルビア・モンテネグロ代表が来日。
 
 日本VSセルビア戦は横浜国際総合競技場で行われた。
 
 遠藤保仁のゴール。1-0で日本が勝ち57618人の観衆を熱狂させた。
 
 2005年。
 
 日本0-1UAE
 
 国立競技場 観客数53123人
 
 2006年。
 
 スコットランド代表が来日。
 
 日本VSスコットランド戦は埼玉スタジアムで行われた。
 
 スコアレスドローだったが、観客数58648人。
 
 2007年。
 
 日本0-0コロンビア
 
 埼玉スタジアム 観客数45091人。
 
 2008年。
 
 日本0-0パラグアイ
 
 埼玉スタジアム 観客数27998人。
 
 2009年。
 
 日本4-0ベルギー
 
 国立競技場 観客数42520人。
 
 そして迎えた2011年6月7日。
 
 原子力災害を起こしたわが国にチェコ代表がやってきた。
 
 チェコ代表は約束を守ってくれた。
 
 横浜国際総合競技場で出迎えたファンの数、なんと65856人!
 
 日本0-0チェコ
 
 しかし、その後の5年間、キリンカップサッカーは開催されていない。
 
 その後、東電福島第一原発320キロ圏内で試合を行ったEU加盟国代表は?
 
 2014年5月27日。キリンチャレンジカップ。
 
 日本1-0キプロス
 
 埼玉スタジアム 観客数58564人。
 
 キプロス代表のみ! たった1チーム!
 
 2016年。キリンカップサッカーは復活した。
 
 日本7-2ブルガリア
 
 豊田スタジアム 観客数41940人
 
 決勝は首都圏の大スタジアムで行われてきた。
 
 それが伝統。
 
 単にビジネス「得か損か」という観点からみても。
 
 ヨーロッパの強い代表チームを呼び、首都圏の最もでかいスタジアムで決勝戦をやればいいに決まっている。
 
 ところが……。
 
 日本1-2ボスニア・ヘルツェコビナ
 
 市立吹田サッカースタジアム 観客数35589人
 
 なぜ、決勝戦を大阪でやったのか!?
 
 横浜国際総合競技場 収容能力 72327人
 
 埼玉スタジアム 収容能力 63700人
 
 市立吹田サッカースタジアム 収容能力 40000人
 
 スポーツの熱狂、愉悦を日本人から奪ったのは原発だ。
 
 なぜ、サムライブルーのサポーターは怒らないのか?
 
 なぜ、「原発いらない」の声を上げないのか?
 
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2016年6月 8日 (水)

スポーツは瀕死の政治家の点滴じゃねえぞ!! 枡添とリオ五輪 オランド大統領とサッカーEURO2016

 ふざけた事態が進行中です。

 
 まず、東京都議会。
 
 自民党は「舛添知事を徹底的に攻撃するが、辞任は求めない」。
 
 なぜ?
 
「9月のリオ五輪閉会式に出さなきゃいけないから」
 
 ????????
 
 スポーツは瀕死の政治家の点滴じゃねーよ!!
 
 一方、フランスでは。
 
 労働法改悪に反対する無期限ストが続いている。
 
 タクシー組合。
 
<サッカー欧州選手権EURO2016のスタジアムに向かうチームバスを妨害する抗議も辞さない。>
 
 もはや、市街戦の様相なのに、オランド大統領は、エッフェル塔下の「9万人収容ファンゾーン」(パブリックビューイング)設置を決めた。
 
<9万人(警察と軍77000人、民間警備員13000人)を動員する>
 
 中田潤が無料予想。
 
 機動隊の数が足りなくなります。
 
 オランドは、テロ事件後に激減した観光客呼び戻しに躍起なのだろう。
 
 でもね、パリは今も非常事態宣言下にある。
 
 戒厳令下でサッカー!?
 
 サッカーは支持率13%のオランドのためにあるのではない!!
 
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なぜ、キリンカップサッカーは5年間、開催されなかったのか? なぜ、試合は愛知、大阪で行われたのか? スポーツの愉悦を奪った原発に反対せよ!

 今日のボスニア・ヘルツェコビナ戦は素晴らしかったと私は思います。

 日本代表は負けたけどね。
 
 この素晴らしい大会が5年間も開催されなかったことに思いをはせましょう。
 
 しかも、またしても、欧州代表との試合は東電福島第一原発320キロ圏内では行われなかった。
 
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 愛知と大阪だった。
 
 フットボールを見て熱狂するという、ささやかな楽しみが、
 
 スポーツの愉悦が、原発によって奪われた!
 
 サムライブルーのサポーターたちよ!
 
 なぜ、怒らないのか?
 
 なぜ、吠えないのか?
 
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2016年5月13日 (金)

東芝決算 原子力部門の営業損益2247億円!他の部門でこんな多額の損益はない!なのに、「原子力を中核事業に」と言っている東芝は破産する!

 営業損益7191億円は、上場企業で過去最大! ワーストワン!

 
 そのうち、原子力の営業損益が2247億円!
 
 東芝の最大の損失を出したのが原発事業!
 
 地上最強の技術者集団、東芝で14000人がクビを斬られた!
 
 東芝は今すぐ、原発事業をやめろ!!
 
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 東芝製世界初のノートパソコン

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2016年3月16日 (水)

清原和博 親友の金村さんが語る秘話 仰木監督と母・弘子さん なんでなんだ!? 番長!?

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2016年2月21日 (日)

清原和博インタビュー「男として笑えるように。」2 ナンバー2008年4月24日

 23年後、単身赴任の清原は、(母)弘子さん手作りの「お正月にも食べないようなご馳走」を腹に収め、高知東部球場にやってきた。

 
 1990年。清原はこう語っている。
 
<いま、僕は田無市というところに住んでいるんです。(中略)いまは環八(環状八号線)の外ですから、まず環八の中に入って、次は環七(環状七号線)を制覇して、どんどん都心に攻め上りたい(笑)。>(『現代』1991年1月号)
 
『男一匹ガキ大将』精神とともに憧れの読売ジャイアンツにまで攻め上ると……。
 
「(清原は)邪魔さえしなければいい」
 
「(清原が二軍に落ちて)これで勝つ要素がひとつ増えた」
 
 オーナーから「死んでも忘れない」暴言を浴びせかけられる。
 
 そんな清原に故・仰木彬がかけた言葉。
 
「キヨ、俺がお前の花道を作ったる」
 
 今、清原は言う。
 
「腐ってるな、と自分で思うときは、仰木さんの写真を見るようにしています」
 
 真っ暗闇から最高照度の花道へ。
 
 昨年6月。怪我からすでに9ヶ月が過ぎていた。「心が折れる」寸前だった。
 
「そう、引退です。そのことを家族、恩人に相談しなければ、と考えていた矢先……」
 
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2016年2月19日 (金)

清原和博インタビュー「男として笑えるように。」ナンバー 2008年4月24日号

「髪染めるんは、きまって怪我したときなんですよ」

 清原和博が自分の写真を見つめている。本誌594号の表紙(2003年12月撮影)。プラチナブロンドに染められた髪。
 
「朝起きて、鏡を見る。そこに怪我した自分が映っている。自分を自分だと認めたくないんです。だから、違う自分になろうとする」
 
 あれから4年。
 
 私が肉離れからの復活を目指す清原和博に密着したのは2000年3月。私は本誌494号にこう書いた。
 
<この人、ジャイアンツに来てなんかいいことあったんかなあ……。>
 
 あれからもう8年が過ぎた。
 
 清原和博が、日本球界の主砲が、本当の自分に出会えるのはいつなのか。
 
「怪我をしたのは、一昨年の9月の初め。1打席目、打った瞬間です。今まで味わったことのない激痛が走った」
 
 2度目の手術に踏み切っても痛みは消えなかった。何も変わらない。
 
「真っ暗闇でね。誰かにヒザをバンバン蹴られているような状態」
 
 22年間、闘って、本当にいろいろなことがあった。で、たどり着いたのは真っ暗闇。
 
 憧れの王貞治から「努力」と書かれた色紙を贈られた18歳の秋。ドラフト会議後、いっしょに泣いた母、弘子さんは、
 
「和博、王なんかに負けたらあかんで! 早う55本のホームラン打たなあかんで!」
 
『Number』701 2008年4月24日号
 
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2016年2月14日 (日)

清原和博の野球は「自殺未遂の連続」となった5

「考えてくださいよ。いま、こうしてウチが首位にいられるのも、落合を獲ったというシーズンオフの戦略、つまり、チーム作りが成功したからなんだ。試合での戦術なんか、どこの監督も似たり寄ったり、鼻くそみたいなもんだ。チーム作りという戦略が勝負の分かれ目なんだ」(長嶋茂雄 1996年)

 
 監督の采配は鼻くそ!?
 
 野村克也が聞いたらどう言うだろう?
 
 1994年から96年。落合博満が4番に君臨した3年間で、読売は2度のリーグ制覇を果たしている。
 
 落合はこう語っている。
 
「清原獲得を(読売に)進言し始めたのは早かったよ。最初は去年(1995年)だからね」
 
「それからしょっちゅう進言していた」
 
「あの子は西武に11年いて一度もタイトルを獲れず、『無冠の帝王』とか言われているけど、日本シリーズやオールスターでの活躍を見ればわかる通り、短期決戦となると驚異的な力を出すわけよ」
 
「いい時と悪い時の差が大きい。今日は駄目だとなると、まるっきり駄目なんだって」
 
「それがもし、ジャイアンツのようにいつもスタンドが満員になるチームに来れば、今日は駄目だからといってタコ(無安打)ばっかり食らっているわけにはいかない。短期決戦で出せる力をシーズンを通して維持して出せるんじゃないか。そういう風に環境を変えてやらなきゃ、あの子はこのままで終わってしまうだろう」
 
 まず、清原本人のために。
 
「同じチームにいて俺が近いところで見ていれば、いろんなことをアドバイスできるだろう。俺が43歳、松井(秀喜)が22歳。その差は21歳もあるでしょう。そこで29歳の清原が入れば、俺と松井の間にワンクッション置けるわけじゃない。で、4番とは何ぞや、プロ野球とは何ぞやということを俺が清原に教え、それを清原が松井に伝え……。今後のプロ野球界のことを考えたら、そういうことが必要だろう。そう思っていたんだけれどね」
 
 次にプロ野球界全体のために。
 
「それはジャイアンツのためでもあるし、清原のためでもあるし、松井のためでもあるし、ひいては俺のためでもあるだろうと」
 
「キヨは俺と競争して一塁を獲れば、一皮剥けると思っていったんだ」
 
 真剣勝負は落合自身の「復活への道」あるいは「引退への花道」になるはずだ。
 
 最後は自分自身のために。
 
 落合博満……こんな男、今の球界にいますか?
 
 1996年11月13日。都内のホテルで深谷尚徳読売代表を待つ、清原は念じていた。
 
「あれから11年もたった。本当のことを聞かせてくれ」
 
 到着した深谷代表の口から出てきた言葉は……。
 
「落合はクビにする。4番ファーストで待っているよ」
 
 ……。
 
 11年前のドラフト会議については。
 
「そんなこともああったねえ」
 
 深谷は笑った。
 
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2016年2月13日 (土)

清原和博の野球は「自殺未遂の連続」となった4

 清原和博が覚せい剤に手を出した、といういわれる時期。

 彼の身に何が起きていたのか?
 
 1994年のシーズン終了後。
 
 長嶋監督をインタビューした二ノ宮清純さんは唖然とした。
 
<長嶋茂雄に「どんな野球が理想ですか?」と問うと、次のような答えが返ってきた。
 
「あくまでも僕の理想は9人野球です。>(『ナンバー』494)
 
 つまり「選手交代を一度もしないまま勝つ」こと?
 
<アメリカで野球の監督を「フィールド・マネージャー」と呼ぶ。戦略や戦術よりも、人材をどうマネージメントするかが、与えられた最大の職分である。
 
 にもかかわらず、長嶋茂雄は人材の登用、起用に一切、興味を示さない。そればかりか采配にすら愛情を示そうとしない。>
 
 なぜなんだ!? ミスター!?
 
<続けてミスターはこう語った。
 
「今シーズン(94年)はたまたまベテランと若手を切り替える過渡期ということでアメフト野球をせざるをえなかった。正直言いましてね、これは疲れるんですよ。代走がどう、ピンチ守備がどう……。5、6回になると、もう8、9回のことを頭に入れおかなければならないんですから、精神がクタクタになってしまう。僕はこういうのは好きじゃないですねぇ。9人に試合のすべてを任せることができれば、もうどれだけ気分が楽だろうかと……(笑)」
 
 およそ、指揮官たるものの発言とは思えない。>
 
「長い目で見て、中心打者がほしかった」(長嶋茂雄)
 
 長嶋の「楽がしたい」監督論ならば、清原和博をずうっと4番で使い続ければいい、と思うのだが……。
 
「読売1年目」の1997年5月21日。
 
 場内アナウンスに清原はわが耳を疑った。
 
「3番、センター松井。4番、レフト広沢。5番、ファースト清原」
 
 約5年ぶりの4番降格だった。
 
 試合後、長嶋監督はしれっとしてこう言い放った。
 
「ある程度ね、気分転換を兼ねてね」
 
 メンバー表を書いたのは、河村健一郎、篠塚和典両打撃コーチ。長嶋に提出したのは「素案」であり、決定権はもちろん、長嶋にある。
 
 両打撃コーチは「監督が清原に話すはず」と考えていた。
 
 長嶋茂雄はその仕事を放棄した。
 
 読売は試合には勝ったが、清原の気分は最悪の領域へと転換していた。
 
記者 5年ぶりの5番ですが……。
 
清原 ウグイス嬢のアナウンスで初めて知ったわ!
 
記者 5番に座って、リラックスして打てたのでは……。
 
清原 僕が何年、4番を打ってきたと思ってんのや!!

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