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2018年6月30日 (土)

歴代の検事総長が、関西電力、東芝、テレビ局に天下り 「民主主義」「法治国家」をぶっ壊した法務省緊急対策会議

 1999年1月。法務事務次官の原田明夫が全国8高検の次席検事を東京に集め、緊急対策会議が開かれた。

「裏ガネ作りは幹部検事が部下に命じて犯罪行為をやらせているのに等しい」

「これを機に裏ガネ作りをやめるべきだ」

「調査活動費予算をすべて国に返納すべきだ」

「検察=正義の味方」らしい意見が続出、大勢を占めたが……。

「返納の理由は?」

「法相、首相、国民にどんな説明のするの?」

 ひとりがそう言い返すと、全員が黙った。

「約6億円を接待、飲食、遊興に1円残らずつかっちゃいました」

 そんなこと、口が裂けても言えないからだ。

「予算は返上しない」

 そう決めたのは、法務事務次官の原田明夫だ。

 このとき、法治国家が音を立てて崩れ落ちた。

 法務省から各高検あてに通達が出された。

「今後、架空名目を使って裏ガネ作りをやった場合、法務省として責任は持たない」

 1999円2月末。三井環が総務部長として働いていた名古屋高検にも「マニュアル」を抱えた法務省付検事と事務官がやってきて説明会が行われた。

<調査活動費とはどういうものなのか>

 から始まるマニュアルは、

<どういう場合に支出できるのか>

<どういう場合に領収書が必要なのか>

 懇切丁寧に書かれていた。

 一流大学法学部を出た男たちによる「バカの学校」と呼ぶしかない説明会は、丸一日かけて行われたという。

 三井環は、唖然、茫然、口あんぐり状態となった。

<それにしても驚いたのは、新聞やテレビといった大手マスコミの対応だった。>

<(裏金を告発する怪文書の)内容は極めて正確であり、すべてが真実であった。

 そのため検察首脳は、必ず大手新聞が書くだろうと考えた。>

<検察首脳があれだけ怯えていたにもかかわらず、「正義を求める検察組織の一員から」の内部告発を記事にしたのは、わずかに「週刊現代」(99年5月22日号)と「週刊宝石」(99年5月27日号)だけだった。>(三井環『ある検事の告発』双葉新書)

 当然だ。

「週刊現代」「週刊宝石」はともに私の古巣だ。ずうっと雑誌ジャーナリズムの末席にいた私は、

「三井さん、新聞が書くわけないじゃない」

 そう言うしかない。

 検察によるメディア・コントロールを始めたのは、ロッキード事件の主任検事、吉永祐介だ。

Photo

無罪の田中角栄を牢屋でしゃがませた「日本の首領」吉永祐介

 新聞記事に「P3C」の3文字を見つけた吉永は激怒し、記者を集めて怒鳴りつけた。

「黙れ!」

「とにかく、今後、P3Cと書くことはならん!」

「書いたら地検の記者会見から締め出す」

「出入り禁止だ!」

 ロッキード事件の報道で日本中が大騒動になっているとき、たとえば、朝日新聞記者の自分だけが地検記者クラブを除名されたら……。

「自分のせいで明日の朝日新聞は出ない」

 新聞記者にとって、これ以上の恐怖はない。

 新聞記者が取材先から脅され、書けなくなったときこそ、私のようなフリーライター、「野良犬」の出番なのだ。

 ちなみに、「コーチャン証言の信用性は?」と記者から問われ、吉永はこう断言している。

「米国人は聖書に手を置いて証言するから嘘は言わない」

 ……(腰が抜けた)。

 やっぱ、検察は「バカの学校」!?

 

 原田明夫による検察の「裏ガネもみ消し」によって、大きく変わったことがある。

 それまで、検事総長の老後の仕事といえば、大学で教えることくらいしかなかった。

「商人からの金は受け取らない」姿勢こそが「検察=正義の味方」というイメージを支えてきた。老後の検事総長の潔癖さこそ、「三権分立の象徴」だった。

 ところが……。

 検察の最高権力者、検事総長が、退任後、公然と私企業に天下りするようになったのだ。

 天下り先は、関西電力、東芝……。

 不正選挙により安倍晋三独裁が始まると、天下り先は、テレビ局、広告代理店にまで拡大された。

「三権」+マスコミが合体したら……。

(つづく)

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