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2018年6月30日 (土)

歴代の検事総長が、関西電力、東芝、テレビ局に天下り 「民主主義」「法治国家」をぶっ壊した法務省緊急対策会議

 1999年1月。法務事務次官の原田明夫が全国8高検の次席検事を東京に集め、緊急対策会議が開かれた。

「裏ガネ作りは幹部検事が部下に命じて犯罪行為をやらせているのに等しい」

「これを機に裏ガネ作りをやめるべきだ」

「調査活動費予算をすべて国に返納すべきだ」

「検察=正義の味方」らしい意見が続出、大勢を占めたが……。

「返納の理由は?」

「法相、首相、国民にどんな説明のするの?」

 ひとりがそう言い返すと、全員が黙った。

「約6億円を接待、飲食、遊興に1円残らずつかっちゃいました」

 そんなこと、口が裂けても言えないからだ。

「予算は返上しない」

 そう決めたのは、法務事務次官の原田明夫だ。

 このとき、法治国家が音を立てて崩れ落ちた。

 法務省から各高検あてに通達が出された。

「今後、架空名目を使って裏ガネ作りをやった場合、法務省として責任は持たない」

 1999円2月末。三井環が総務部長として働いていた名古屋高検にも「マニュアル」を抱えた法務省付検事と事務官がやってきて説明会が行われた。

<調査活動費とはどういうものなのか>

 から始まるマニュアルは、

<どういう場合に支出できるのか>

<どういう場合に領収書が必要なのか>

 懇切丁寧に書かれていた。

 一流大学法学部を出た男たちによる「バカの学校」と呼ぶしかない説明会は、丸一日かけて行われたという。

 三井環は、唖然、茫然、口あんぐり状態となった。

<それにしても驚いたのは、新聞やテレビといった大手マスコミの対応だった。>

<(裏金を告発する怪文書の)内容は極めて正確であり、すべてが真実であった。

 そのため検察首脳は、必ず大手新聞が書くだろうと考えた。>

<検察首脳があれだけ怯えていたにもかかわらず、「正義を求める検察組織の一員から」の内部告発を記事にしたのは、わずかに「週刊現代」(99年5月22日号)と「週刊宝石」(99年5月27日号)だけだった。>(三井環『ある検事の告発』双葉新書)

 当然だ。

「週刊現代」「週刊宝石」はともに私の古巣だ。ずうっと雑誌ジャーナリズムの末席にいた私は、

「三井さん、新聞が書くわけないじゃない」

 そう言うしかない。

 検察によるメディア・コントロールを始めたのは、ロッキード事件の主任検事、吉永祐介だ。

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無罪の田中角栄を牢屋でしゃがませた「日本の首領」吉永祐介

 新聞記事に「P3C」の3文字を見つけた吉永は激怒し、記者を集めて怒鳴りつけた。

「黙れ!」

「とにかく、今後、P3Cと書くことはならん!」

「書いたら地検の記者会見から締め出す」

「出入り禁止だ!」

 ロッキード事件の報道で日本中が大騒動になっているとき、たとえば、朝日新聞記者の自分だけが地検記者クラブを除名されたら……。

「自分のせいで明日の朝日新聞は出ない」

 新聞記者にとって、これ以上の恐怖はない。

 新聞記者が取材先から脅され、書けなくなったときこそ、私のようなフリーライター、「野良犬」の出番なのだ。

 ちなみに、「コーチャン証言の信用性は?」と記者から問われ、吉永はこう断言している。

「米国人は聖書に手を置いて証言するから嘘は言わない」

 ……(腰が抜けた)。

 やっぱ、検察は「バカの学校」!?

 

 原田明夫による検察の「裏ガネもみ消し」によって、大きく変わったことがある。

 それまで、検事総長の老後の仕事といえば、大学で教えることくらいしかなかった。

「商人からの金は受け取らない」姿勢こそが「検察=正義の味方」というイメージを支えてきた。老後の検事総長の潔癖さこそ、「三権分立の象徴」だった。

 ところが……。

 検察の最高権力者、検事総長が、退任後、公然と私企業に天下りするようになったのだ。

 天下り先は、関西電力、東芝……。

 不正選挙により安倍晋三独裁が始まると、天下り先は、テレビ局、広告代理店にまで拡大された。

「三権」+マスコミが合体したら……。

(つづく)

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2018年6月24日 (日)

宝塚記念で万馬券!!

阪神11レース

 
単勝⑯
 
馬単⑯ー⑨②⑭⑮③
 
馬単⑨ー⑯
 
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2018年6月23日 (土)

「財務省文書改ざん不起訴」「甘利明・収賄不起訴」「石川知裕・虚偽記載逮捕」 これら「どこからどう見てもおかしい」事件の裏に「官邸のヒムラー」あり 三権分立「検察の政治からの独立」を破壊した男、黒川弘務の黒い履歴書

 6月22日。森友問題をめぐる野党合同ヒアリング。弁護士でもある福島瑞穂議員が怒り狂っていた。

「日本に三権分立があるのか!? 官邸は検察の捜査もまったく怖くない。配下に置いている。官邸が法務省を通じて検察に圧力をかけているということじゃないですか」

 辰巳幸太郎議員が入手した国交省の内部文書に次の記載があった。

<調査報告書をいつ出すかは、刑事処分がいつになるかに依存している。官邸も早くということで、法務省に何度も巻きを入れているが、刑事処分が5/25 夜という話はなくなりそうで、翌週と思われる>

 首相官邸が法務省に巻きを入れる?

「今回の不起訴処分は、官邸が法務省に圧力をかけて、検察が不起訴処分にしたということを裏づける中味になってるんですよ。これはもう凄いことで、日本に検察って何、政治手続きって何、というところを、権力・官邸の意のままに作ることができるんだったら、何を信じて法の支配があるんですか、っていうくらい、もの凄いことなんですよ」

「法務省って誰のことですか? 事務次官ですか、誰ですか?」

 福島議員が指摘した男の名は、黒川弘務。2011年8月に法務官房長に就任し、政権をまたいで5年間も「分立」しているはずの行政と立法と司法を調整してきた男だ。

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「籠池をすぐに逮捕せよ」と指示したといわれる黒川弘務

 2012年12月16日。不正選挙。

 再び総理の椅子に座った安倍晋三は独裁に向かって突っ走った。その手始めが、官僚の人事を官邸が意のままに操ることだった。

 2014年5月。内閣人事局が発足。

 それでも福島議員をはじめとする法律家は、安倍晋三を甘く見ていた。

 1970年代以降、半世紀にわたって、政治家が検察の人事に口を出したことは一度もなかったからだ。

「官邸と検察の間には強固な結界が存在する」とたかをくくってきた。

 2016年7月中旬。結界は音を立てて崩れ落ちた。

 ジャーナリスト・村山治の取材によれば、

<「官邸側の意思は硬く、稲田氏の説得が受け入れられる状況ではなかった。稲田氏は真っ青になって帰った」>(朝日新聞デジタル 2016年11月12日)

 この日、稲田伸夫・法務事務次官は、人事案を手に首相官邸に入った。

 法務省の原案では、稲田自身の後任の事務次官に林真琴・刑事局長を据えるはずだった。

 しかし、菅義偉・官房長官が強硬に反対し、法務省原案を蹴った。

 官邸が無理やり法務事務次官に椅子に座らせたのが「官邸の守護神」「日本のヒムラー」とも呼ばれる黒川弘務だった。

 なぜ、林真琴は菅によって切られたのか?

 1年後に謎はあっさりと解ける。

 2016年5月。安倍晋三の公約「リニア新幹線」に反対する訴訟が起こされた。

 このときはまだ「環境問題」「住民への説明不足」などの問題だったのだが、検察は「談合事件」として捜査を開始していた。

 2017年12月18日。東京地検特捜部が、鹿島、清水建設を家宅捜索した。

「東京地検特捜部が強制捜査に乗り出したんだから、狙いは議員バッジをつけた人間だ」

「土建屋系」国会議員は震え上がった。

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 この強制捜査を指揮していたのが、林真琴・刑事局長だったのだ。

 そのわずか8日後の12月26日。安倍晋三は、三権分立を完膚なきまでに叩き潰す暴挙に出る。この日、閣議決定されたのは以下の一件のみだった。

<林真琴・刑事局長の名古屋高検検事長への異動を閣議決定する。>

「リニア談合」問題は、新聞、テレビ、ネットから消えた。

 黒川弘務の「黒い履歴書」は、26年も前から始まっている。

 2002年4月22日。大阪高検公安部長だった三井環が、自宅を出たところで逮捕された。

 罪状は「未入居の住宅に住民票を移動した」という「手続きのためにみんなやってるんじゃないの?」と誰もが思う微罪だった。

 この日、三井環は『ザ・スクープ』(テレ朝系)の取材で、鳥越俊太郎のインタビューを受けるはずだった。

「住民票を入居前に移した」身内の人間を逮捕。

「安倍晋三の国会答弁に合わせ、公文書を改ざんした」財務省「悪のグループ」からは逮捕者はひとりも出ていない。

(つづく)

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2018年6月22日 (金)

「福島原発の水たちに愛と感謝を」「私は放射能に感謝の気持ちを送ります」(安倍昭恵) 反省の気持ちゼロメートル地帯「無人の異界」をひとり行く総理夫人

 2011年3月14日。「トモダチ作戦」参加中の米空母「ドナルド・レーガン」が被ばく。翌日、ホワイトハウスの電話会議でカークランド・ドナルド海軍大将は強く主張した。

「東電福島第一原発から半径250キロ圏内から米国人全員を退去させろ」

 2週間後の3月30日。安倍昭恵はブログにこう書いている。

<先生から「愛と感謝の祈りを福島原発の水たちに送ってください!!」というメッセージが届きました。未だ収束に向かう気配すら感じられない福島原発。江本先生も書かれていますが、放射能を防ぐのも水、広げるのも水・・・。そして津波による甚大な被害、水道水の汚染が懸念されミネラルウォーターを買いに走り回る人々・・・水は恐ろしくもあり、ありがたくもあることを改めて知らしめる出来事の数々です>

「先生」とは、トンデモ本『水からの伝言』を書いた江本勝だ。

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 江本の主張。

 ペットボトル2本に水道水を詰め、一本に向かって「バカ!!」と罵倒し続ける。

 もう一本には「ありがとう」と感謝の言葉をかけ続ける。

 罵倒された水はすぐに腐って悪臭を放つが、感謝された水は芳香を放つ「素晴らしい水」になる。

 つまり、安倍昭恵は「汚染水に愛と感謝の祈りを送れば原発事故は収束に向かう」と言っているのだ。

 江本勝と安倍家の付き合いは、先代の安倍晋太郎の時代からずうっと続いていたようだ。

<昭恵氏はブログで、晋太郎が江本に自らの波動を調べてもらったことがある、と明かしています>(『週刊文春』6月28日)

 私たちの路上の声「再稼働反対!」「子どもを守ろう!」が支配層の耳に届くわけがない。

 安倍昭恵はこうも書く。

<もしも私が放射能だったら・・・

人間のために一生懸命働いてきたのに、いきなり寄ってたかって悪者扱い・・・

悲しいだろうなあと思ってしまいます。

嫌われ者はいじけて大暴れするかも・・・。

原発を肯定しているわけではなく、自然エネルギーに移行していくべきだという考えです。

しかし、放射能自体が悪いわけではない。

悪いのは人間です。

私は放射能に感謝の気持ちを送ります。ありがとう・・・

意識の持ち方は大切です。>(安倍昭恵フェイスブック 2012年1月7日)

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 2015年1月。安倍晋三の政治資金を調べていた日刊ゲンダイがとんでもない領収書を発見した。

<安倍首相にいたっては政治資金で「神の水」を購入していた。

「ダメだ。あの水じゃなくちゃ、ぜったいダメなんだ」

 第1次政権時代、安倍首相が「神」の文字の記されたペットボトルの水を愛飲している、と週刊文春は報じた。その水を切らし、事務所スタッフが別のミネラルウオーターで済ませようとすると、冒頭のように安倍首相は激高したという。>(日刊ゲンダイ デジタル 2015年1月17日)

 夫婦そろってこれだから、安倍晋三が昭恵夫人の暴走を止められるわけがない。

<安倍首相がこだわる水の名は「神立の水」。新潟・神立温泉の地下1400メートルから汲み上げた天然温泉水という触れ込みで、東京・西五反田の「光ジャパン」なる会社がネット販売している。

同社はHPで<老化防止だけでなく、延命効果もある><飲む人を美しくします><神立の水で育てると、かいわれ大根もひと味もふた味も違います!>などとうたう。現在の値段は2リットルのペットボトル6本入りセットで3120円。決して安い水ではないが、かつて安倍首相はこの“若返りの水”の広告塔を務めていたこともある。>

<光ジャパンは「慧光塾」というコンサル会社を率いていた光永仁義氏(05年死去)の長男が社長を務めている。

「光永氏の経営指導はかなり風変わりで、『お告げ』や『悪霊ばらい』を行うなどオカルトじみていました。安倍首相は母親の洋子さんを通じて、光永氏と家族ぐるみの付き合いをして、『お告げ』も受けていた。安倍夫妻は、神立の水を販売する長男の結婚式で媒酌人を務めています。神立の水は光永氏を崇拝していた人々の紹介制で流通しているような商品ですね」(政界関係者)

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「神立の水」日刊ゲンダイ デジタルより

 安倍晋三夫妻は、詐欺の中でも最も悪質な「水高額販売人」の仲人までやっていた!

<安倍首相の資金管理団体「晋和会」の10年分の収支報告書の「少額領収書」をみると、同年4月27日、5月10日、6月8日、7月9日に「神立の水代」として、いずれの日付とも7980円を事務所費に計上していた。神立の水代の総額は計3万1920円に上る。>

 昨年春には、こんな記事も出た。

<「トランプとは相性ぴったり」「森友は3月まで。運勢の底は4月4日」

安倍晋三首相が頼る

「運勢」のお告げ

安倍首相に頻繁に「運勢メール」を送る人物がいる。中原伸之元東燃社長(82)。11年前、総裁選出馬の際も「運勢は最高にいい」と背中を押した。安倍首相は「よく当たるんだ」と信頼しており、その影響は経済政策や人事にも及ぶ。「生年月日」と「易経」に基づく“占い”に国家の命運は掛かっているのだ。>(『週刊文春』HP 2017年4月25日)

「首相官邸の占い師」中原伸之の予言は大外れ。森友学園問題は泥沼化し、今や国民の8割以上が「納得できない」と言っている。

 しかし、安倍昭恵の反省はゼロだ!

<うちの近所に住んでいる人も私の批判をいっぱいしていて><怖いなって思っていたんですけれども、(FBで)やり取りしていくうちに><私との関係はすごい良いものになって。>

<去年なんですけど、この一連の問題があったときに絵本を届けてくれたんですね、自宅まで。やはり彼もいじめられた経験が過去にあったみたいなんですけれど、私が批判されていじめられて見えるのを彼はすごくわかってくれて、かわいそうに思ったみたいで、この本を読んでくださいと届けてくれました>(『週刊文春』6月28日)

 ファーストレディ・安倍昭恵の「意識の持ち方」恐るべし!!

 安倍昭恵にとって、「私への批判」=「いじめ」なのだ。

「国民の8割がいじめっ子で悪だ」

「いじめられてかわいそうな私」

 無敵。安倍昭恵は地上最強の人間だ。

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2018年6月18日 (月)

「ウソをついてはいけません」と教える道徳教科書の大ウソ!! 「至誠にして動かざる者はいまだこれ有らざるなり」 小学生と父母の皆さん! これは吉田松陰の言葉ではない!!

 小学校5・6年生の皆さん。教科書『私たちの道徳』の39ページを開いてみてください。

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<「誠実である」ということ

「誠」の意味を、

    調べると……。

まこと【誠】

①誠実でいつわりのない心。素直で真面目な心。

②本当のこと

うそやいつわりのないこと。

「誠実」の他に、「誠」が付く言葉には、

どのような言葉があるでしょう。

その言葉には、どのような意味があるでしょう。>

 この文章の下に「吉田松陰の言葉」が出てきますね。

<「至誠にして動かざる者はいまだこれ有らざるなり」

 吉田松陰(思想家・教育者)

※真心を持って対すれば、動かすことができないものはない。>

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 これは吉田松陰の言葉ではありません。

<至誠にして動かざる者はいまだこれ有らざるなり>

 この文字をコピーして、グーグル検索をかけてみてください。

<出典:『孟子』離婁上>

 これは2400年ほど前に中国で生まれた孟子が書き残したもの。

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 2000年以上前に書かれたものなのに今も売れまくっている孟子の言葉 キリストよりもむちゃくちゃ古いのにね

 道徳の教科書が「ウソついていけません」と教えるページに、文部科学省の役人、立派な大学を出た大人が大ウソを書いているのです。

 これ、お隣の国、中国の人たちに失礼ではありませんか?

 今年4月から始まった正式な教科「道徳」の教科書になぜ、ウソが書かれているのか?

 森友学園、加計学園の問題と同じです。

「私が尊敬する吉田松陰を道徳の教科書に掲載するように」(安倍晋三)

 この指令は「首相案件」であり、ゆえに官僚は逆らえず、文書の改ざんをやったんです。

 もし、私が首相からそんな指令を受けた文科省官僚だったら、頭を抱えていたでしょう。

 吉田松陰が「道徳的な人間」とは180度かけ離れた行動を取っているからです。

<死を畏れざる少年三、四輩、弊塾まで早々お遣わししかるべく>

 これは、老中・間部詮勝の暗殺を決意した吉田松陰が小国融蔵に出した手紙です。

「死んでも構わない少年、自殺志願者、自爆テロ要員を3、4人、松下村塾に早く送ってくれ」ということ。

 このとき、老中暗殺計画を親友の高杉晋作、久坂玄端に反対され、ふたりを罵倒、絶交して、吉田松陰は難儀な立場にあったんですね。

「至誠にして動かざる者はいまだこれ有らざるなり」

 これ、「誠実に真心をもって話せば、みんなわかってくれる」という意味じゃないのでしょうか?

<一人の妖猾さへ仆れ候へば、天下の事は定まり申すべく候>

 これは江戸にいた松浦松洞に吉田松陰が出した手紙です。

「一人の悪人をぶっ殺せば、世界は平和になる」ということ。

 安倍晋三は「対テロ戦争」のさなか、日本史上でもまれにみる過激派、テロリストを「道徳」の教科書に掲載させたのです。

 学校でのいじめのなかでも最も醜悪な「葬式ごっこ」を発明したのも吉田松陰です。

 松下村塾で吉田松陰が最も可愛がった門下生が、吉田栄太郎です。松蔭が牢屋に入れらる際、長州藩の重鎮に抗議したひとり。栄太郎は親、上司からむちゃくちゃに叱られ、渋々、松蔭との縁を切りました。

 しかし、松蔭には栄太郎の置かれた立場を理解できないんですね。

「お前が俺を慕っているのはわかっている。なぜ、正直になれるのだ?」

「俺が手紙を出したのに返事がないとは何事だ?」

「お前が親を思う気持ちは私情にすぎぬ。この天下国家の非常時に通用せぬわ」

 などと松蔭は栄太郎を罵倒しました。

「栄太郎は生きているが栄太郎の心は死んだ」

 吉田松陰は松下村塾で線香を炊き、吉田栄太郎の葬式をやったのです。

 史上まれにみる「いじめっ子」「過激派」「テロリスト」を安倍晋三は「道徳」の教科書に掲載するよう命じたのです。

 小学校5・6年生の皆さん!

 次の道徳の授業で先生に質問してください。

「教科書39ページにある言葉は本当に吉田松陰の言葉なんですか?」

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2018年6月17日 (日)

今年4月 小学校5・6年の教室に吉田松陰の幽霊が出た!! 「天下は一人の天下なり」吉田松陰 25歳 「天下は一人の天下にあらず、天下の天下なり」山縣太華 75歳

 今年4月。「道徳」が正式な教科となった。

<明日10月27日は、私の郷里が生んだ偉人、尊敬する吉田松陰先生の命日です。刑死される前日、安政6年(1859年)の今日、26日、松陰先生は、徹夜で遺書といえる留魂録(りゅうこんろく)を書き上げました。

「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」

その冒頭に書かれた辞世の句、ここに込められた気概には圧倒されます。>(「教育再生」安倍晋三メルマガ 2006年10月26日)

 ファシスト・安倍晋三の悲願が、12年後に教科書として結実したのだ。

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『私たちの道徳』

<松陰先生は、松下村塾で若者たちに、志を持たせる教育を行いました。ここから巣立った塾生たちが明治維新の原動力となったことは、みなさんもよくご存知だと思います。>

『私たちの道徳 小学校五・六年』に吉田松陰の言葉が登場する。

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<誠実に明るい心で>

<「至誠にして動かざる者はいまだこれ有らざるなり」

 吉田松陰(思想家・教育者)

※真心を持って対すれば、動かすことができないものはない。>

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 日本の道徳教科化に対し、韓国の聯合ニュースはこう書いている。

<吉田は、伊藤博文など、日本の近代化の主役たちの師で、日本で崇められているが、征韓論と大東亜共栄圏などを唱え、朝鮮植民地化を含めた日本の帝国主義政策の理論を提供した人物でもある。>

 吉田松陰は、何を「至誠」とし、何を動かしたのか?

 1853年10月。初めて京都を訪れた23歳の吉田松陰は、漢詩の大作を書いた。

<聞説く今皇聖明の得

 天を敬ひ民を憐み至誠より発す>

 京都で老詩人の梁川星巌を訪ねた松蔭は、孝明天皇が現在の状況、時局、政局を嘆き悲しんでいることを知り、衝撃を受ける。

「天皇=至誠」というのが、吉田松陰の生涯を貫く思想だった。

<鶏鳴乃ち親ら斎戒し

 妖気を掃ひて太平を致さんことを祈る>

「妖気」とは、アヘン戦争をはじめとする列強のアジア侵略の動きだ。

<従来英皇世に出てず>

 これまで「神」である天皇は、現世の政治に口を挟まなかった。

<悠々機を失す今の公卿>

 ゆえに、天皇の側近たちは絶好のチャンスを逃した。

<安んぞ天詔を六師に勅して>

 天皇は自らの軍隊に命令を下し、

<坐ながら皇威をして八紘に被らしむるを得ん>

 天皇は王座に座ったまま、武力で日本の力を全世界に示せ。

「八紘一宇」は吉田松陰の発案なのだ。

 その2年後の1855年9月。ファシズムをめぐる論争が、吉田松陰と松蔭の師である山縣太華の間で起きた。松蔭が著書『講孟余話』の批評を太華に乞うたとき、師は松蔭の危険思想を徹底批判したのだ。

「天下は一人の天下なり」(吉田松陰 25歳)

「天下は一人の天下に非ず、天下の天下なり」(山縣太華 75歳)

 私たちは安倍晋三首相を民主的に選び、今、全国の小学校の教室を吉田松陰の幽霊が徘徊している。

 松蔭と太華。あなたはどっちの考え方に共鳴しますか?

 安倍晋三はこう書いている。

<その一人(吉田松陰の教え子)高杉晋作は、身分を問わずに組織した奇兵隊を立ち上げ、新しい日本への改革の動きを加速させました。士農工商の身分がはっきり分けられていた150年も前の日本にあって、出自を問わず、誰もが改革に参加できる機会を与えたことは画期的だったと思います。

 ちなみに、私の名前「晋三」は、高杉晋作に由来しています。

 次代を担う若者や子どもは社会の宝です。志ある国民を育て、品格ある国家をつくるためには、教育が大切であることは、いつの世でも、どこの国でも変わりありません。家族、自分たちの住む街、国、そして命を大切にする豊かな心を育てる教育、それができる教育力の再生が何よりも必要です。>(前出 安倍晋三メルマガ)

 命を大切にする豊かな心?

 明治維新後、高杉晋作は奇兵隊を解散し、命がけで闘った貧しい人々を容赦なく切り捨てた。

 奇兵隊残党は防府に結集し、18の砲台を作り、明治新政府に抵抗した。

 桂小五郎は反政府軍を徹底的に弾圧し、100人以上を死刑に処した。

「奇兵隊の処分は正しいのか?」

 そう問われた高杉晋作は笑いながらこう答えた。

「之をして鬱陵島に移住せしめ、以て韓国を開拓せんと欲するのみ」

(つづく)

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2018年6月10日 (日)

武士のみ「借金帳消し」「働かなくても給料は出す」 ロスチャイルドが仕組んだ「明治維新」「廃藩置県」計画

 明治維新「日本の夜明け」後、新政府が真っ先にやったことはなんだったのか?

 明治4年7月14日。東京在住の藩主が皇居に呼び出された。

「藩を廃し県を置く」

 廃藩置県は「天皇の詔書」という形式で一方的に読み上げられた。

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廃藩置県を描いた錦絵

 反対を叫ぶ者はいなかった。この国に、たったひとりも。

「明治新政府が藩札と外国からの借金を引き受ける」

 各地の藩主にとって「藩がなくなる」=「借金が帳消しになる」ことだったからだ。

 さらに、

「士族全員に政府から秩禄(給料)を支給する」

 明治天皇は「官職につかなくても士族(武士階級)には生活費を支給する」と言ったのだ。

「人口の5%に不労所得を与える」

 文句のある武士がいるわけがないけど……。

 財源は? そんなお金がどこにあるの?

 そのわずか5年後の明治9年8月5日。「金禄公債証書発行条例」が公布された。

「秩禄を全面的に廃止し、強制的に公債に切り替える」

 こんなインチキがあるか?

 秩禄の支給は国家予算の4割近くを占めていた。遊んで暮らしている士族、人口の5%に、税金の4割が支払われていたのだ。

 そんなむちゃくちゃな財政は、当然のことながら、たった5年しか続かなかった。

 このインチキ、完全なる詐欺は、桂小五郎(木戸孝允)邸で秘密裏に練り上げられた。完全な密室会議だ。出席者は、

 桂小五郎、井上馨、山形有朋。

 長州藩の3人は、天下の悪法「三七カ年賦皆済仕法」により「利子だけ払って暮らしてきた」多重債務者だ。

 西郷隆盛、大久保利通、大山巌、西郷従道。

 薩摩藩の4人は、「無利子250年の分割払い」を金貸しに強制して生き延びた多重債務者だ。

 ここに「幕末最大の悪役」公家の岩倉具視、土佐藩の後藤象二郎、板垣退助、佐賀藩の大隈重信、江藤新平ら実力者の名前はない。薩長以外の実力者は「秘密会議に参加してもらっては困る」存在だったのだ。

 薩長同盟とは「借金王同盟」に他ならない。

 この7人には、もうひとつの共通点がある。全員が英国から武器を買った面々なのだ。

「幕府軍15万vs長州軍3500」

長州軍の勝利は、英国「ジャーディン・マセソン商会」から買った最新式ライフル「ミニエー銃」4300挺がなかったら「起きなかった奇跡」だ。

 廃藩置県により「維新」は完了した?

 そんなの大ウソだ。

 ミニエー銃購入代金150億円(現在価格推定)をはじめ、薩長は「大名貸し」と呼ばれる大手両替屋から莫大な金を借り、英国から武器を買った。

 それが帳消しとなったのだ。廃藩置県とは軍事費をゼロにする魔法だった。

 ミニエー銃4300挺の金の流れはこうだ。

 大名貸し→長州藩→ジャーディン・マセソン→最大の出資者ロスチャイルド家。

 廃藩置県により大名貸しは次々に破たんし、日本の金融市場は焼け野原となった。

 大名貸しが夜逃げしても「金を借りたい客」が減ったわけではない。需要はそのままで供給が消えた。

「大名貸しに替わり、私どもが御用立てしますよ」

 ロスチャイルド家にとって、焼け野原の日本は「広大な新市場」に他ならない。

 薩長同盟成立の立役者と言われている坂本龍馬が希求した「新しい日本」とは、なんだったのか?

<一、古来ノ律令ヲ折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事。>(船中八策)

 憲法制定。法治国家の誕生だ。

 明治23年。大日本帝国憲法制定。

 維新の最重要課題、憲法の制定までに23年もかかっているのだ。

 明治維新最大の悲劇「会津戦争」のさなか、視力を失い、囚われの身となった会津藩の山本覚馬が希求した「新しい日本」とは、なんだったのか?

<臣下ニ権ヲ分カツヲ善トス>

<臣下ノ内議事者ハ事ヲ出スノ権ナク、事ヲ出ス者ハ背法者罪スルノ権ナク、其三ツノ中ニ権壱人ニ依ル事ナキヲ善トス>(目が見えないため獄中で口述筆記された京都御所への建白書「菅見」)

 三権分立だ。

 憲法なしで三権分立が実現するはずがない。

 明治新政府に三権分立を推し進める者など誰もいなかった。

 憲法が制定されるまでの23年間、明治政府は何をやっていたのか?

 明治7年5月。西郷隆盛の弟、西郷従道が突如、3658名の軍勢を率いて台湾に上陸。全土を征服した。

 明治9年2月。薩摩藩の黒田清隆と長州藩の井上馨が軍艦7隻800名以上の軍勢を率いて釜山に入港。韓国に開国と不平等条約を強要した。

 明治新政府が憲法を作る前にやったのは、侵略と大量虐殺だった。首謀者はすべて薩長同盟残党である。

 なぜこんな倒錯が生み出されたのか?

「金を貸す側」に立って考えてみてほしい。

 幕府軍と薩長軍。ロスチャイルド家にとって、どちらが「いい客」だろうか?

 幕府軍が勝ち、日本が「憲法と議会のある天皇制国家」となっていたら、目指したのは、当然、天下泰平だ。政策を継続し平和国家を目指したはずなのだ。

 一方、薩長軍は、内戦に勝っても次々に戦争を起こし、外国の武器を買い続ける。

 当然、ロスチャイルド家は「長いつき合い」が期待できる薩長軍に金を貸す。

 ジャーディン・マセソンが薩長軍に期待したのは「アヘン戦争の継続」だった。

 日本の支配層は、その期待に応え、この国は明治維新から77年後に崩壊する。

 中国アヘン市場の拡大に奔走したのが、安倍晋三の祖父、岸信介だ。

 吉田茂の養父はジャーディン・マセソン横浜支店長だった。吉田茂の孫が麻生太郎だ。

 77年の歳月で、いったい何人の人間が殺されたのか?

 どれほどの自然が破壊されたのか?

(つづく)

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2018年6月 9日 (土)

明治維新を起こしたのは薩摩・長州の多重債務者の群れだった ロスチャイルドが仕組んだ「廃藩置県」≒「借金帳消し」計画

 1860年。中国へのアヘン密輸を主業務とする英国「ジャーディン・マセソン商会」横浜支店が開店した。

 そのわずか3年後の1863年8月。「最も太い日本人顧客」が店を訪れる。

 弱冠26歳の長州藩士、井上馨は、ポンと12万ドルを支払い、鉄製蒸気船「壬戌丸」を購入した。

 長州の農民たちはどう思っただろうか?

 1831年。長州藩の専売制強化(お上による生産物泥棒)に怒った農民など15~20万人が立ち上がった。長州天保大一揆は徹底的に弾圧され、死罪10名、島流し26名、死者の数は不明だ。

 このとき長州藩の負債は銀8万貫を超えていた。

「天保の改革長州版は俺がやりとげてみせる」

 そう豪語する経済官僚、村田清風が権力の階段を昇りつめた1838年。長州藩の負債は9万貫に増えていた。

 1843年。村田清風は完全な禁じ手を繰り出した。その法律の名前は「三七カ年賦皆済仕法」。長州藩の家臣のみ、商人からの借金は37年間「利子だけ払い続ければよい」という詐欺、借金踏み倒し法だ。

「元本はどうやって返すの?」

「37年後には俺は死んでいるよ」

 長州藩の「勤王の志士」たちは、実のところ多重債務者の群れであり、中級武家出身の井上馨も例外ではなかった。

 壬戌丸購入のわずか4ヵ月後の1862年8月。攘夷テロ計画発覚で謹慎中だった井上馨は家を飛び出し、高杉晋作、伊藤博文らとともに高輪の英国公使館を焼き討ちにした。

 英国公使館は出来上がったばかりで入居者はいなかった。闇に紛れて無人の建物に火を放ち、現在の芝公園あたりの飲み屋に逃げ込み、「やった! やった!」と叫び、どんちゃん騒ぎをやらかしたというのだ。

「アヘン戦争の元凶」「アジアの敵の中の敵」英国ジャーディン・マセソンに12万ドルを差し上げ、4ヵ月後に英国公使館に放火?

 水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』のねずみ男だって、これほど筋の通らない行動はとらないだろう。

 原田伊織のベストセラー『明治維新という過ち』(講談社文庫)の説に従うならば、安倍晋三は<日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト>の末裔なのだ。「無茶」「筋が通らない」は、この一族のお家芸か?

 そのわずか半年後の1863年6月。この暴走族みたいな「英国の敵」が、ジャーディン・マセソン商会所有の商船「チェルスィック号」で英国に密航するのだから、井上馨の経歴は摩訶不思議を通り越している。

井上馨ら「長州ファイブ」(遠藤謹助、山尾庸三、伊藤博文、野村弥吉)は英国に上陸すると、真っ先にイングランド銀行に赴いた。

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映画『長州ファイブ』左から2番目が北村有起哉演じる井上馨 五十嵐匠監督は私の同級生(←余談)

このときのイングランド銀行のボスは「理事」アルフレッド・ド・ロスチャイルド。ジャーディン・マセソンの麻薬密輸ビジネスに巨額の資金を貸し付けたのもロンドンのロスチャイルド家だ。

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アルフレッド・デ・ロスチャイルドの肖像画

「長州ファイブ」のイングランド銀行視察。この場面にこそ、明治維新という「解せない話」の謎を解く鍵がある。

 長州征討「幕府軍15万vs長州軍3500」の戦いで、なぜ、長州軍は勝利したのか?

 上から下まで借金まみれの長州藩がなぜ、最新型ライフル「ミニエー銃」購入のために現在価格150億円もの巨費を用意できたのか?

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 ミニエー銃4300挺を長崎に運んだ英国戦艦「ユニオン号」は、名義上、薩摩藩が購入した「桜島丸」として「丸に十文字」の薩摩藩旗が掲げられたが、長州では「乙丑丸」と呼ばれた。

 薩長同盟とはなんだったのか?

 幕末の薩摩藩の財政は、長州藩よりもはるかに深刻だった。

 1800年。100万両だった薩摩藩の債務は、1827年533万両に達した。

 人口の5%を占めるに過ぎない「まったく働かない軍隊」武士階級が、他の95%が生み出した生産物、富を支配したのだから、これこそが、「江戸250年の平和」の帰結だった。天下泰平ゆえ、武士がよその土地の富を強奪することもできない。

 薩摩藩の収入は年間14万両程度。しかし、利払いだけで年間最大80万両に達する完全な破たん状態に陥った。

 薩長同盟の長州は、

「家臣のみ37年間、利子だけ払えばよろしい」

 薩長同盟の薩摩は、

「今年の利子も払えない」

 1838年。薩摩藩の「財政改革担当」家老となった調所笑左衛門は、それこそ、笑うしかない解決策を編み出した。

 商人を刀と軍勢で脅し、

「借金を無利子250年の分割払いにせよ!」

 無理! 逆ギレにも程度いうものがある!

 イングランド銀行の重役室で、井上馨とアルフレッド・ド・ロスチャイルドは、日本の支配層が陥った惨状を一気にご破算にする計画を練り上げた。

 明治新政府が発足すると、井上馨は首相の椅子などには目もくれず、初代造幣局知事に就任した。

 紙幣を印刷する権利を真っ先に押さえたのだ。

 ロスチャイルド家のビジネスは退屈なほど一貫している。

「戦争を始める両国に金を貸し(両張り)、勝った国の紙幣印刷機を手に入れる」

(つづく)

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安倍晋三一族の始祖、井上馨は英国に現在価格260億円を送金した 幕府軍15万vs長州軍3500 明治維新で大儲けをしたのは誰だ!?

 1865年8月。第二次長州征討。通説での軍勢は、

 幕府軍150000 長州軍3500

 360度、どこからどう見ても長州軍に勝ち目はない。

 なぜ、長州軍は勝利したのか?

 明治維新が「日本の夜明け」として語られるのはなぜ?

「坂本龍馬が桂小五郎と西郷隆盛を一喝し、薩長連合が成立したからだ。もし、幕府軍が勝ち、あのまま徳川家の独裁が続いていたら、日本は欧米の植民地となっていた。日本の独立を守り、日本人の命を救った竜馬は英雄だ」

 私もまた、50年近くそのような回答をしてきた。プロパガンダに踊らされ続けた。

 明治維新の最大のウソが、司馬遼太郎の大ベストセラー『竜馬がゆく』のクライマックスシーンである。

 1866年1月。京都で薩摩藩・西郷隆盛と長州藩・桂小五郎が相対していた。

 絶体絶命だったのは、京都御所を砲撃し(禁門の変)、「朝敵」となっていた長州藩なのだが、桂小五郎は「同盟しよう」とは切り出せず、竜馬にこう告げる。

<「口火を切れば、もはや対等の同盟にあらず、おのずから乞食のごとく薩州に援助を哀願するようなものではないか」>

 竜馬は激高し、<すさまじい声>で桂を一喝した。

<まだその藩なるものの迷妄が醒めぬか。薩州がどうした、長州がなんじゃ。要は日本ではないか。小五郎」>

<「薩長の連合に身を挺しておるのは、たかが薩摩藩や長州藩のためではないぞ。君にせよ、西郷にせよ、しょせんは日本人にあらず、長州人・薩摩人なのか」>

<竜馬は西郷に、

「長州が可哀そうではないか」

 と叫ぶようにいった。当夜の竜馬の発言は、ほとんどこのひとことしかない。

 あとは、西郷を射すように見つめたまま、沈黙したからである。

 奇妙といっていい。

 これで薩長連合は成立した。>

 むちゃくちゃかっこいいけど、大ウソだ!

 前年の1865年7月。長州藩の井上馨が「薩摩藩名義で英国軍艦と銃を買う」というインチキな取引を成立させ、そのまま薩摩に行き、ひと月近くも滞在していた。

 井上は薩摩藩士の前で薩長連合の必要性を説いた。以下は「政治家が100人いれば100人がウソをつく」という前提で、井上馨の回想を引用する。

<世界の大勢を察するに、我が皇国を永遠に維持せんとすれば、幕府の権力を打倒して、体制を朝廷に帰し、以て国内の統一を図り、しこうして開国><海外各国と対峙せざるべからず。故に両藩間に於ける従来の悪感情の如きは、之を雲煙過眼に附し、互いに相連携して、此の大目的に向かって邁進するは、我が邦目下の最大急務にあらずや>(中原邦平『井上伯伝』)

 これ、小説、舞台、ドラマでの「竜馬のセリフ」そのまんまであり、『竜馬がゆく』のクライマックスシーンの半年前に井上馨がそう言っていたのなら、司馬遼太郎の大著は音を立てて崩れ去る。

「長州藩の兵器を薩摩藩名義で英国から輸入する」というインチキな取引も、歴史書では「坂本龍馬のアイデア」とされているが、裏づける資料はひとつも存在しない。

 幕末・維新の歴史は、書き手の「好き嫌い」が何重にもコーティングされている。

「この人は好き」「この人は嫌い」という書き手の感情が前提で、登場人物の感情を推測し、その推測をもとに、さらに書き手の感情を重ねる文章は、はたして「歴史」なのだろうか?

 解せない話を聞いたら、金の流れを追え。

 長州軍「奇跡の勝利」で大儲け、大笑いをしたやつは誰なのか?

 長州征討で最もでかい金の流れは、井上馨からトーマス・ブレーク・グラバーに渡された130100両だ。

 坂本龍馬の足跡を書いた日本銀行高知支店HPによれば、現在価格換算で約260億円!!

 その内訳。

 英国戦艦「ユニオン号」購入 37700両

 洋式銃7300挺購入 92400両

 洋式銃のうち、4300挺が最新式ライフルの「ミニエー銃」。3000挺が幕府軍の主力でもある旧式の「ゲベール銃」だった。

Photo

ミニエー銃

 明治維新当時の価格。

 ゲベール銃 5両

 ミニエー銃 18両

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ゲベール銃

 ミニエー銃の現在価格は1挺360万円! 今なら、ベンツAクラスの新車が買えるほど高価だったのだ。

 ミニエー銃購入代金、現在価格換算で約154億8000万円が英国に渡った。これが最大の金の流れだ。

「長州軍奇跡の勝利」は、ミニエー銃4300挺がなければ、起こり得なかった。

 福島の原子力災害を受けて制作されたNHK大河ドラマ『八重の桜』にこんなシーンがある。

Photo_3

「わずかな敵を相手に幕府軍は何をしておるのだ?」

「知らせによると、長州兵の銃はことごとく命中。幕府軍の弾は敵に届かねえ、とのことでごぜえやす」

 ゲベールに比べ、ミニエーの射程は最大10倍。ゲベールの的中率は火縄銃よりも劣ったといわれている。

「火縄銃では、もはやいくさにならんのだ」

「ヤーゲルもゲベールも、もはや時代遅れ」

「長州の銃はこのミニエーでごぜえやす。ゲベールとは威力に格段の差があり……弾はこれで……撃ってご覧にいれろ」

 弾丸は的の鉄の板を貫通。

「鎧、具足など付けていては、鉄片が弾とともに体に入り込み、命取りとなります」

 長崎に向かった戦艦「ユニオン号」は、上海に寄港し「日本の合戦を根底から変える」この新兵器を積み込んだ。

 明治維新で最も大儲けしたのは、上海の「ジャーディン・マセソン商会」とその長崎支店「グラバー商会」だ。

 明治維新で大笑いしたのは、瀕死の重傷、逃亡生活から、一気に紙幣印刷所のボスへと上り詰めた井上馨だ。

 もし、長州征討時にミニエー銃が密輸されなかったら、「平成の妖怪」安倍晋三は影も形もなかった。

(つづく)

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2018年6月 3日 (日)

明治維新「日本の夜明け」とはなんだったのか? 薩長軍と幕府軍の「艦隊これくしょん」を見れば一目瞭然! 坂本龍馬は「死の商人」西郷隆盛は大英帝国の傭兵だった!?

 1609年9月。江戸幕府創設直後。徳川家康は「大船建造の禁」令を出し、各地の大型船を没収した。

 1863年8月15日。英国艦隊に向け、薩摩藩の大砲が火を噴いた。

 私たちの海は254年間、平和だったのだ。

 明治維新のきっかけは、英国による中国侵略「アヘン戦争」にあった?

 幕末の志士たちは、英帝国主義と闘った?

 大ウソだ!

 江戸幕府の「大船建造の禁」に対し、最初に激しく噛みついたのは誰?

「五大州を巻いて皇朝に帰せしめ、皇朝をして永く五大州の宗主たらしめよ」

 お前は、『マグマ大使』の悪役ゴアか!?

「大船建造の禁令を撤廃し、西洋式水軍力を強化せよ」

 日本近海の平穏をぶっ壊した男の名は、佐久間象山。

Photo_2

 1830年。天保の改革が始まった大昔から、佐久間は世界征服の夢に病んでいた。

 1851年。「五月塾」を開いた佐久間象山の元には、勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬らが入門している。

 幕末の「艦これ」に最初にハマッたのは、西郷隆盛のボス、薩摩藩の島津斉彬だった。

 1852年12月。島津は幕府に願い出た。

「琉球王国の守護のため、琉大砲船(洋式軍艦)の建造を許可してほしい」

 沖縄を防衛するため?

 ドラマや小説ではそういうことになっているのかもしれないが、これも大ウソだ!

 沖縄の人たちは、島津家にそんなことを頼んでいない。

 1609年。奇しくも、江戸幕府「大船建造の禁」直前、薩摩藩の初代藩主、島津家久が「大船」に乗って沖縄に乗り込み、琉球王を捕らえて武力併合した。

 奴隷労働。砂糖の独占。密貿易……。薩摩藩は「砂糖を隠し持っていた者」を拷問の末、惨殺し続けた。

「洋式軍艦がほしい」という島津斉彬の申し出を江戸幕府はあっさりと了承してしまう。この「解せない歴史」もまた、金の流れをたどっていけば、解明されるはずだ。

 かくして誕生したのが、日本初の国産洋式戦艦「昇平丸」(1855年)だ。

Photo_4

 昇平丸は帆船だったため、すぐに時代遅れとなってしまうが、昇平丸完成からわずか8ヵ月後、薩摩藩は日本初の国産蒸気船「雲行丸」を完成させている。

 ここで立ち止まって考えてみてほしい。

 維新の立役者たちが、アヘン戦争に衝撃を受け、英国帝国主義と闘うために立ち上がった「国士」「愛国者」であるならば、自前の海軍、国産の軍艦を持つべきではないか?

 ところが……。

「翔鳳丸」「乾行」(ともに1864年)「桜島丸」(1865年)「春日丸」(1867年)を英国から購入。1860年代以降、薩摩藩の軍艦はすべて英国製なのだ。

 西郷隆盛は、麻薬の密輸という悪辣極まりない手口でアジアを侵略した英国に大金を送り続けた。「西郷どん」こそ、死罪に処されるべき男ではないか!?

「桜島丸」ほど明治維新の本質を見事に映し出している戦艦はない。

 1854年。英国ロッテルヒーテ造船所でこの船が誕生したとき、その名は「ユニオン号」だった。

 11年後、日本に到着したユニオン号は、薩摩藩では「桜島丸」、長州藩では「乙丑丸」と呼ばれた。

 買ったのは、坂本龍馬の「亀山社中」。

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 売ったのは、トーマス・ブレーク・グラバーの「グラバー商会」。

 日本への航海中、上海に寄港したユニオン号は最新式銃7300挺を積み込んだ。

 銃を売ったのは、グラバー商会の親会社「ジャーディン・マセソン商会」。この会社の最大のビジネスが、中国大陸へのアヘンの密輸だった。

 ユニオン号の到着を長崎で待ち受けていたのが、長州藩の伊藤博文と井上馨。「長州ファイブ」のふたりだった。伊藤と井上を秘密裏に英国に運んだのは、ジェーディン・マセソン商会所有の船「チェルスウィック号」。世話役はヒュー・マセソン(ジャーディン・マセソン・ロンドン社長)が務めた。

 西郷隆盛、坂本龍馬、伊藤博文、井上馨は、アヘン戦争の元凶、アジアの敵の中の敵に大儲けをさせた。

 坂本龍馬は明治新政府の誕生を見ることなく暗殺され、西郷隆盛は新政府と闘い、明治10年(1877年)9月に自決するが……。

 明治7年(1874年)5月。西郷隆盛の弟、西郷従道が台湾に攻め込み、全土を征服した。

 明治9年(1876年)2月。井上馨は、朝鮮派遣特命全権弁理副大臣として戦艦7隻、総員約800名とともに釜山に乗り込み、この砲艦外交が韓国併合へとつながっていく。

 明治38年(1905年)。伊藤博文は初代韓国統監に就任。4年後、安重根によってハルビン駅で射殺された。

 現在の国会を見よ!

 悪夢は終わっていない。

 現総理、安倍晋三は、井上馨一族の末裔だ。

 現副総理、麻生太郎の権力は、ジャーディン・マセソン商会によってでっち上げられたものだ。麻生の祖父、吉田茂の養父、吉田健三は1868年、ジャーディン・マセソン商会に入社。またたく間に巨万の富を築き上げた。

(つづく)

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