« 2018年5月 | トップページ

2018年6月18日 (月)

「ウソをついてはいけません」と教える道徳教科書の大ウソ!! 「至誠にして動かざる者はいまだこれ有らざるなり」 小学生と父母の皆さん! これは吉田松陰の言葉ではない!!

 小学校5・6年生の皆さん。教科書『私たちの道徳』の39ページを開いてみてください。

Photo

<「誠実である」ということ

「誠」の意味を、

    調べると……。

まこと【誠】

①誠実でいつわりのない心。素直で真面目な心。

②本当のこと

うそやいつわりのないこと。

「誠実」の他に、「誠」が付く言葉には、

どのような言葉があるでしょう。

その言葉には、どのような意味があるでしょう。>

 この文章の下に「吉田松陰の言葉」が出てきますね。

<「至誠にして動かざる者はいまだこれ有らざるなり」

 吉田松陰(思想家・教育者)

※真心を持って対すれば、動かすことができないものはない。>

Photo_2

 これは吉田松陰の言葉ではありません。

<至誠にして動かざる者はいまだこれ有らざるなり>

 この文字をコピーして、グーグル検索をかけてみてください。

<出典:『孟子』離婁上>

 これは2400年ほど前に中国で生まれた孟子が書き残したもの。

Photo_3

 2000年以上前に書かれたものなのに今も売れまくっている孟子の言葉 キリストよりもむちゃくちゃ古いのにね

 道徳の教科書が「ウソついていけません」と教えるページに、文部科学省の役人、立派な大学を出た大人が大ウソを書いているのです。

 これ、お隣の国、中国の人たちに失礼ではありませんか?

 今年4月から始まった正式な教科「道徳」の教科書になぜ、ウソが書かれているのか?

 森友学園、加計学園の問題と同じです。

「私が尊敬する吉田松陰を道徳の教科書に掲載するように」(安倍晋三)

 この指令は「首相案件」であり、ゆえに官僚は逆らえず、文書の改ざんをやったんです。

 もし、私が首相からそんな指令を受けた文科省官僚だったら、頭を抱えていたでしょう。

 吉田松陰が「道徳的な人間」とは180度かけ離れた行動を取っているからです。

<死を畏れざる少年三、四輩、弊塾まで早々お遣わししかるべく>

 これは、老中・間部詮勝の暗殺を決意した吉田松陰が小国融蔵に出した手紙です。

「死んでも構わない少年、自殺志願者、自爆テロ要員を3、4人、松下村塾に早く送ってくれ」ということ。

 このとき、老中暗殺計画を親友の高杉晋作、久坂玄端に反対され、ふたりを罵倒、絶交して、吉田松陰は難儀な立場にあったんですね。

「至誠にして動かざる者はいまだこれ有らざるなり」

 これ、「誠実に真心をもって話せば、みんなわかってくれる」という意味じゃないのでしょうか?

<一人の妖猾さへ仆れ候へば、天下の事は定まり申すべく候>

 これは江戸にいた松浦松洞に吉田松陰が出した手紙です。

「一人の悪人をぶっ殺せば、世界は平和になる」ということ。

 安倍晋三は「対テロ戦争」のさなか、日本史上でもまれにみる過激派、テロリストを「道徳」の教科書に掲載させたのです。

 学校でのいじめのなかでも最も醜悪な「葬式ごっこ」を発明したのも吉田松陰です。

 松下村塾で吉田松陰が最も可愛がった門下生が、吉田栄太郎です。松蔭が牢屋に入れらる際、長州藩の重鎮に抗議したひとり。栄太郎は親、上司からむちゃくちゃに叱られ、渋々、松蔭との縁を切りました。

 しかし、松蔭には栄太郎の置かれた立場を理解できないんですね。

「お前が俺を慕っているのはわかっている。なぜ、正直になれるのだ?」

「俺が手紙を出したのに返事がないとは何事だ?」

「お前が親を思う気持ちは私情にすぎぬ。この天下国家の非常時に通用せぬわ」

 などと松蔭は栄太郎を罵倒しました。

「栄太郎は生きているが栄太郎の心は死んだ」

 吉田松陰は松下村塾で線香を炊き、吉田栄太郎の葬式をやったのです。

 史上まれにみる「いじめっ子」「過激派」「テロリスト」を安倍晋三は「道徳」の教科書に掲載するよう命じたのです。

 小学校5・6年生の皆さん!

 次の道徳の授業で先生に質問してください。

「教科書39ページにある言葉は本当に吉田松陰の言葉なんですか?」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年6月17日 (日)

今年4月 小学校5・6年の教室に吉田松陰の幽霊が出た!! 「天下は一人の天下なり」吉田松陰 25歳 「天下は一人の天下にあらず、天下の天下なり」山縣太華 75歳

 今年4月。「道徳」が正式な教科となった。

<明日10月27日は、私の郷里が生んだ偉人、尊敬する吉田松陰先生の命日です。刑死される前日、安政6年(1859年)の今日、26日、松陰先生は、徹夜で遺書といえる留魂録(りゅうこんろく)を書き上げました。

「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」

その冒頭に書かれた辞世の句、ここに込められた気概には圧倒されます。>(「教育再生」安倍晋三メルマガ 2006年10月26日)

 ファシスト・安倍晋三の悲願が、12年後に教科書として結実したのだ。

Photo

『私たちの道徳』

<松陰先生は、松下村塾で若者たちに、志を持たせる教育を行いました。ここから巣立った塾生たちが明治維新の原動力となったことは、みなさんもよくご存知だと思います。>

『私たちの道徳 小学校五・六年』に吉田松陰の言葉が登場する。

Photo_2

<誠実に明るい心で>

<「至誠にして動かざる者はいまだこれ有らざるなり」

 吉田松陰(思想家・教育者)

※真心を持って対すれば、動かすことができないものはない。>

Photo_3

 日本の道徳教科化に対し、韓国の聯合ニュースはこう書いている。

<吉田は、伊藤博文など、日本の近代化の主役たちの師で、日本で崇められているが、征韓論と大東亜共栄圏などを唱え、朝鮮植民地化を含めた日本の帝国主義政策の理論を提供した人物でもある。>

 吉田松陰は、何を「至誠」とし、何を動かしたのか?

 1853年10月。初めて京都を訪れた23歳の吉田松陰は、漢詩の大作を書いた。

<聞説く今皇聖明の得

 天を敬ひ民を憐み至誠より発す>

 京都で老詩人の梁川星巌を訪ねた松蔭は、孝明天皇が現在の状況、時局、政局を嘆き悲しんでいることを知り、衝撃を受ける。

「天皇=至誠」というのが、吉田松陰の生涯を貫く思想だった。

<鶏鳴乃ち親ら斎戒し

 妖気を掃ひて太平を致さんことを祈る>

「妖気」とは、アヘン戦争をはじめとする列強のアジア侵略の動きだ。

<従来英皇世に出てず>

 これまで「神」である天皇は、現世の政治に口を挟まなかった。

<悠々機を失す今の公卿>

 ゆえに、天皇の側近たちは絶好のチャンスを逃した。

<安んぞ天詔を六師に勅して>

 天皇は自らの軍隊に命令を下し、

<坐ながら皇威をして八紘に被らしむるを得ん>

 天皇は王座に座ったまま、武力で日本の力を全世界に示せ。

「八紘一宇」は吉田松陰の発案なのだ。

 その2年後の1855年9月。ファシズムをめぐる論争が、吉田松陰と松蔭の師である山縣太華の間で起きた。松蔭が著書『講孟余話』の批評を太華に乞うたとき、師は松蔭の危険思想を徹底批判したのだ。

「天下は一人の天下なり」(吉田松陰 25歳)

「天下は一人の天下に非ず、天下の天下なり」(山縣太華 75歳)

 私たちは安倍晋三首相を民主的に選び、今、全国の小学校の教室を吉田松陰の幽霊が徘徊している。

 松蔭と太華。あなたはどっちの考え方に共鳴しますか?

 安倍晋三はこう書いている。

<その一人(吉田松陰の教え子)高杉晋作は、身分を問わずに組織した奇兵隊を立ち上げ、新しい日本への改革の動きを加速させました。士農工商の身分がはっきり分けられていた150年も前の日本にあって、出自を問わず、誰もが改革に参加できる機会を与えたことは画期的だったと思います。

 ちなみに、私の名前「晋三」は、高杉晋作に由来しています。

 次代を担う若者や子どもは社会の宝です。志ある国民を育て、品格ある国家をつくるためには、教育が大切であることは、いつの世でも、どこの国でも変わりありません。家族、自分たちの住む街、国、そして命を大切にする豊かな心を育てる教育、それができる教育力の再生が何よりも必要です。>(前出 安倍晋三メルマガ)

 命を大切にする豊かな心?

 明治維新後、高杉晋作は奇兵隊を解散し、命がけで闘った貧しい人々を容赦なく切り捨てた。

 奇兵隊残党は防府に結集し、18の砲台を作り、明治新政府に抵抗した。

 桂小五郎は反政府軍を徹底的に弾圧し、100人以上を死刑に処した。

「奇兵隊の処分は正しいのか?」

 そう問われた高杉晋作は笑いながらこう答えた。

「之をして鬱陵島に移住せしめ、以て韓国を開拓せんと欲するのみ」

(つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年6月10日 (日)

武士のみ「借金帳消し」「働かなくても給料は出す」 ロスチャイルドが仕組んだ「明治維新」「廃藩置県」計画

 明治維新「日本の夜明け」後、新政府が真っ先にやったことはなんだったのか?

 明治4年7月14日。東京在住の藩主が皇居に呼び出された。

「藩を廃し県を置く」

 廃藩置県は「天皇の詔書」という形式で一方的に読み上げられた。

Photo

廃藩置県を描いた錦絵

 反対を叫ぶ者はいなかった。この国に、たったひとりも。

「明治新政府が藩札と外国からの借金を引き受ける」

 各地の藩主にとって「藩がなくなる」=「借金が帳消しになる」ことだったからだ。

 さらに、

「士族全員に政府から秩禄(給料)を支給する」

 明治天皇は「官職につかなくても士族(武士階級)には生活費を支給する」と言ったのだ。

「人口の5%に不労所得を与える」

 文句のある武士がいるわけがないけど……。

 財源は? そんなお金がどこにあるの?

 そのわずか5年後の明治9年8月5日。「金禄公債証書発行条例」が公布された。

「秩禄を全面的に廃止し、強制的に公債に切り替える」

 こんなインチキがあるか?

 秩禄の支給は国家予算の4割近くを占めていた。遊んで暮らしている士族、人口の5%に、税金の4割が支払われていたのだ。

 そんなむちゃくちゃな財政は、当然のことながら、たった5年しか続かなかった。

 このインチキ、完全なる詐欺は、桂小五郎(木戸孝允)邸で秘密裏に練り上げられた。完全な密室会議だ。出席者は、

 桂小五郎、井上馨、山形有朋。

 長州藩の3人は、天下の悪法「三七カ年賦皆済仕法」により「利子だけ払って暮らしてきた」多重債務者だ。

 西郷隆盛、大久保利通、大山巌、西郷従道。

 薩摩藩の4人は、「無利子250年の分割払い」を金貸しに強制して生き延びた多重債務者だ。

 ここに「幕末最大の悪役」公家の岩倉具視、土佐藩の後藤象二郎、板垣退助、佐賀藩の大隈重信、江藤新平ら実力者の名前はない。薩長以外の実力者は「秘密会議に参加してもらっては困る」存在だったのだ。

 薩長同盟とは「借金王同盟」に他ならない。

 この7人には、もうひとつの共通点がある。全員が英国から武器を買った面々なのだ。

「幕府軍15万vs長州軍3500」

長州軍の勝利は、英国「ジャーディン・マセソン商会」から買った最新式ライフル「ミニエー銃」4300挺がなかったら「起きなかった奇跡」だ。

 廃藩置県により「維新」は完了した?

 そんなの大ウソだ。

 ミニエー銃購入代金150億円(現在価格推定)をはじめ、薩長は「大名貸し」と呼ばれる大手両替屋から莫大な金を借り、英国から武器を買った。

 それが帳消しとなったのだ。廃藩置県とは軍事費をゼロにする魔法だった。

 ミニエー銃4300挺の金の流れはこうだ。

 大名貸し→長州藩→ジャーディン・マセソン→最大の出資者ロスチャイルド家。

 廃藩置県により大名貸しは次々に破たんし、日本の金融市場は焼け野原となった。

 大名貸しが夜逃げしても「金を借りたい客」が減ったわけではない。需要はそのままで供給が消えた。

「大名貸しに替わり、私どもが御用立てしますよ」

 ロスチャイルド家にとって、焼け野原の日本は「広大な新市場」に他ならない。

 薩長同盟成立の立役者と言われている坂本龍馬が希求した「新しい日本」とは、なんだったのか?

<一、古来ノ律令ヲ折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事。>(船中八策)

 憲法制定。法治国家の誕生だ。

 明治23年。大日本帝国憲法制定。

 維新の最重要課題、憲法の制定までに23年もかかっているのだ。

 明治維新最大の悲劇「会津戦争」のさなか、視力を失い、囚われの身となった会津藩の山本覚馬が希求した「新しい日本」とは、なんだったのか?

<臣下ニ権ヲ分カツヲ善トス>

<臣下ノ内議事者ハ事ヲ出スノ権ナク、事ヲ出ス者ハ背法者罪スルノ権ナク、其三ツノ中ニ権壱人ニ依ル事ナキヲ善トス>(目が見えないため獄中で口述筆記された京都御所への建白書「菅見」)

 三権分立だ。

 憲法なしで三権分立が実現するはずがない。

 明治新政府に三権分立を推し進める者など誰もいなかった。

 憲法が制定されるまでの23年間、明治政府は何をやっていたのか?

 明治7年5月。西郷隆盛の弟、西郷従道が突如、3658名の軍勢を率いて台湾に上陸。全土を征服した。

 明治9年2月。薩摩藩の黒田清隆と長州藩の井上馨が軍艦7隻800名以上の軍勢を率いて釜山に入港。韓国に開国と不平等条約を強要した。

 明治新政府が憲法を作る前にやったのは、侵略と大量虐殺だった。首謀者はすべて薩長同盟残党である。

 なぜこんな倒錯が生み出されたのか?

「金を貸す側」に立って考えてみてほしい。

 幕府軍と薩長軍。ロスチャイルド家にとって、どちらが「いい客」だろうか?

 幕府軍が勝ち、日本が「憲法と議会のある天皇制国家」となっていたら、目指したのは、当然、天下泰平だ。政策を継続し平和国家を目指したはずなのだ。

 一方、薩長軍は、内戦に勝っても次々に戦争を起こし、外国の武器を買い続ける。

 当然、ロスチャイルド家は「長いつき合い」が期待できる薩長軍に金を貸す。

 ジャーディン・マセソンが薩長軍に期待したのは「アヘン戦争の継続」だった。

 日本の支配層は、その期待に応え、この国は明治維新から77年後に崩壊する。

 中国アヘン市場の拡大に奔走したのが、安倍晋三の祖父、岸信介だ。

 吉田茂の養父はジャーディン・マセソン横浜支店長だった。吉田茂の孫が麻生太郎だ。

 77年の歳月で、いったい何人の人間が殺されたのか?

 どれほどの自然が破壊されたのか?

(つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年6月 9日 (土)

明治維新を起こしたのは薩摩・長州の多重債務者の群れだった ロスチャイルドが仕組んだ「廃藩置県」≒「借金帳消し」計画

 1860年。中国へのアヘン密輸を主業務とする英国「ジャーディン・マセソン商会」横浜支店が開店した。

 そのわずか3年後の1863年8月。「最も太い日本人顧客」が店を訪れる。

 弱冠26歳の長州藩士、井上馨は、ポンと12万ドルを支払い、鉄製蒸気船「壬戌丸」を購入した。

 長州の農民たちはどう思っただろうか?

 1831年。長州藩の専売制強化(お上による生産物泥棒)に怒った農民など15~20万人が立ち上がった。長州天保大一揆は徹底的に弾圧され、死罪10名、島流し26名、死者の数は不明だ。

 このとき長州藩の負債は銀8万貫を超えていた。

「天保の改革長州版は俺がやりとげてみせる」

 そう豪語する経済官僚、村田清風が権力の階段を昇りつめた1838年。長州藩の負債は9万貫に増えていた。

 1843年。村田清風は完全な禁じ手を繰り出した。その法律の名前は「三七カ年賦皆済仕法」。長州藩の家臣のみ、商人からの借金は37年間「利子だけ払い続ければよい」という詐欺、借金踏み倒し法だ。

「元本はどうやって返すの?」

「37年後には俺は死んでいるよ」

 長州藩の「勤王の志士」たちは、実のところ多重債務者の群れであり、中級武家出身の井上馨も例外ではなかった。

 壬戌丸購入のわずか4ヵ月後の1862年8月。攘夷テロ計画発覚で謹慎中だった井上馨は家を飛び出し、高杉晋作、伊藤博文らとともに高輪の英国公使館を焼き討ちにした。

 英国公使館は出来上がったばかりで入居者はいなかった。闇に紛れて無人の建物に火を放ち、現在の芝公園あたりの飲み屋に逃げ込み、「やった! やった!」と叫び、どんちゃん騒ぎをやらかしたというのだ。

「アヘン戦争の元凶」「アジアの敵の中の敵」英国ジャーディン・マセソンに12万ドルを差し上げ、4ヵ月後に英国公使館に放火?

 水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』のねずみ男だって、これほど筋の通らない行動はとらないだろう。

 原田伊織のベストセラー『明治維新という過ち』(講談社文庫)の説に従うならば、安倍晋三は<日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト>の末裔なのだ。「無茶」「筋が通らない」は、この一族のお家芸か?

 そのわずか半年後の1863年6月。この暴走族みたいな「英国の敵」が、ジャーディン・マセソン商会所有の商船「チェルスィック号」で英国に密航するのだから、井上馨の経歴は摩訶不思議を通り越している。

井上馨ら「長州ファイブ」(遠藤謹助、山尾庸三、伊藤博文、野村弥吉)は英国に上陸すると、真っ先にイングランド銀行に赴いた。

Photo_4

映画『長州ファイブ』左から2番目が北村有起哉演じる井上馨 五十嵐匠監督は私の同級生(←余談)

このときのイングランド銀行のボスは「理事」アルフレッド・ド・ロスチャイルド。ジャーディン・マセソンの麻薬密輸ビジネスに巨額の資金を貸し付けたのもロンドンのロスチャイルド家だ。

Photo_5

アルフレッド・デ・ロスチャイルドの肖像画

「長州ファイブ」のイングランド銀行視察。この場面にこそ、明治維新という「解せない話」の謎を解く鍵がある。

 長州征討「幕府軍15万vs長州軍3500」の戦いで、なぜ、長州軍は勝利したのか?

 上から下まで借金まみれの長州藩がなぜ、最新型ライフル「ミニエー銃」購入のために現在価格150億円もの巨費を用意できたのか?

Photo_6

 ミニエー銃4300挺を長崎に運んだ英国戦艦「ユニオン号」は、名義上、薩摩藩が購入した「桜島丸」として「丸に十文字」の薩摩藩旗が掲げられたが、長州では「乙丑丸」と呼ばれた。

 薩長同盟とはなんだったのか?

 幕末の薩摩藩の財政は、長州藩よりもはるかに深刻だった。

 1800年。100万両だった薩摩藩の債務は、1827年533万両に達した。

 人口の5%を占めるに過ぎない「まったく働かない軍隊」武士階級が、他の95%が生み出した生産物、富を支配したのだから、これこそが、「江戸250年の平和」の帰結だった。天下泰平ゆえ、武士がよその土地の富を強奪することもできない。

 薩摩藩の収入は年間14万両程度。しかし、利払いだけで年間最大80万両に達する完全な破たん状態に陥った。

 薩長同盟の長州は、

「家臣のみ37年間、利子だけ払えばよろしい」

 薩長同盟の薩摩は、

「今年の利子も払えない」

 1838年。薩摩藩の「財政改革担当」家老となった調所笑左衛門は、それこそ、笑うしかない解決策を編み出した。

 商人を刀と軍勢で脅し、

「借金を無利子250年の分割払いにせよ!」

 無理! 逆ギレにも程度いうものがある!

 イングランド銀行の重役室で、井上馨とアルフレッド・ド・ロスチャイルドは、日本の支配層が陥った惨状を一気にご破算にする計画を練り上げた。

 明治新政府が発足すると、井上馨は首相の椅子などには目もくれず、初代造幣局知事に就任した。

 紙幣を印刷する権利を真っ先に押さえたのだ。

 ロスチャイルド家のビジネスは退屈なほど一貫している。

「戦争を始める両国に金を貸し(両張り)、勝った国の紙幣印刷機を手に入れる」

(つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

安倍晋三一族の始祖、井上馨は英国に現在価格260億円を送金した 幕府軍15万vs長州軍3500 明治維新で大儲けをしたのは誰だ!?

 1865年8月。第二次長州征討。通説での軍勢は、

 幕府軍150000 長州軍3500

 360度、どこからどう見ても長州軍に勝ち目はない。

 なぜ、長州軍は勝利したのか?

 明治維新が「日本の夜明け」として語られるのはなぜ?

「坂本龍馬が桂小五郎と西郷隆盛を一喝し、薩長連合が成立したからだ。もし、幕府軍が勝ち、あのまま徳川家の独裁が続いていたら、日本は欧米の植民地となっていた。日本の独立を守り、日本人の命を救った竜馬は英雄だ」

 私もまた、50年近くそのような回答をしてきた。プロパガンダに踊らされ続けた。

 明治維新の最大のウソが、司馬遼太郎の大ベストセラー『竜馬がゆく』のクライマックスシーンである。

 1866年1月。京都で薩摩藩・西郷隆盛と長州藩・桂小五郎が相対していた。

 絶体絶命だったのは、京都御所を砲撃し(禁門の変)、「朝敵」となっていた長州藩なのだが、桂小五郎は「同盟しよう」とは切り出せず、竜馬にこう告げる。

<「口火を切れば、もはや対等の同盟にあらず、おのずから乞食のごとく薩州に援助を哀願するようなものではないか」>

 竜馬は激高し、<すさまじい声>で桂を一喝した。

<まだその藩なるものの迷妄が醒めぬか。薩州がどうした、長州がなんじゃ。要は日本ではないか。小五郎」>

<「薩長の連合に身を挺しておるのは、たかが薩摩藩や長州藩のためではないぞ。君にせよ、西郷にせよ、しょせんは日本人にあらず、長州人・薩摩人なのか」>

<竜馬は西郷に、

「長州が可哀そうではないか」

 と叫ぶようにいった。当夜の竜馬の発言は、ほとんどこのひとことしかない。

 あとは、西郷を射すように見つめたまま、沈黙したからである。

 奇妙といっていい。

 これで薩長連合は成立した。>

 むちゃくちゃかっこいいけど、大ウソだ!

 前年の1865年7月。長州藩の井上馨が「薩摩藩名義で英国軍艦と銃を買う」というインチキな取引を成立させ、そのまま薩摩に行き、ひと月近くも滞在していた。

 井上は薩摩藩士の前で薩長連合の必要性を説いた。以下は「政治家が100人いれば100人がウソをつく」という前提で、井上馨の回想を引用する。

<世界の大勢を察するに、我が皇国を永遠に維持せんとすれば、幕府の権力を打倒して、体制を朝廷に帰し、以て国内の統一を図り、しこうして開国><海外各国と対峙せざるべからず。故に両藩間に於ける従来の悪感情の如きは、之を雲煙過眼に附し、互いに相連携して、此の大目的に向かって邁進するは、我が邦目下の最大急務にあらずや>(中原邦平『井上伯伝』)

 これ、小説、舞台、ドラマでの「竜馬のセリフ」そのまんまであり、『竜馬がゆく』のクライマックスシーンの半年前に井上馨がそう言っていたのなら、司馬遼太郎の大著は音を立てて崩れ去る。

「長州藩の兵器を薩摩藩名義で英国から輸入する」というインチキな取引も、歴史書では「坂本龍馬のアイデア」とされているが、裏づける資料はひとつも存在しない。

 幕末・維新の歴史は、書き手の「好き嫌い」が何重にもコーティングされている。

「この人は好き」「この人は嫌い」という書き手の感情が前提で、登場人物の感情を推測し、その推測をもとに、さらに書き手の感情を重ねる文章は、はたして「歴史」なのだろうか?

 解せない話を聞いたら、金の流れを追え。

 長州軍「奇跡の勝利」で大儲け、大笑いをしたやつは誰なのか?

 長州征討で最もでかい金の流れは、井上馨からトーマス・ブレーク・グラバーに渡された130100両だ。

 坂本龍馬の足跡を書いた日本銀行高知支店HPによれば、現在価格換算で約260億円!!

 その内訳。

 英国戦艦「ユニオン号」購入 37700両

 洋式銃7300挺購入 92400両

 洋式銃のうち、4300挺が最新式ライフルの「ミニエー銃」。3000挺が幕府軍の主力でもある旧式の「ゲベール銃」だった。

Photo

ミニエー銃

 明治維新当時の価格。

 ゲベール銃 5両

 ミニエー銃 18両

Photo_2

ゲベール銃

 ミニエー銃の現在価格は1挺360万円! 今なら、ベンツAクラスの新車が買えるほど高価だったのだ。

 ミニエー銃購入代金、現在価格換算で約154億8000万円が英国に渡った。これが最大の金の流れだ。

「長州軍奇跡の勝利」は、ミニエー銃4300挺がなければ、起こり得なかった。

 福島の原子力災害を受けて制作されたNHK大河ドラマ『八重の桜』にこんなシーンがある。

Photo_3

「わずかな敵を相手に幕府軍は何をしておるのだ?」

「知らせによると、長州兵の銃はことごとく命中。幕府軍の弾は敵に届かねえ、とのことでごぜえやす」

 ゲベールに比べ、ミニエーの射程は最大10倍。ゲベールの的中率は火縄銃よりも劣ったといわれている。

「火縄銃では、もはやいくさにならんのだ」

「ヤーゲルもゲベールも、もはや時代遅れ」

「長州の銃はこのミニエーでごぜえやす。ゲベールとは威力に格段の差があり……弾はこれで……撃ってご覧にいれろ」

 弾丸は的の鉄の板を貫通。

「鎧、具足など付けていては、鉄片が弾とともに体に入り込み、命取りとなります」

 長崎に向かった戦艦「ユニオン号」は、上海に寄港し「日本の合戦を根底から変える」この新兵器を積み込んだ。

 明治維新で最も大儲けしたのは、上海の「ジャーディン・マセソン商会」とその長崎支店「グラバー商会」だ。

 明治維新で大笑いしたのは、瀕死の重傷、逃亡生活から、一気に紙幣印刷所のボスへと上り詰めた井上馨だ。

 もし、長州征討時にミニエー銃が密輸されなかったら、「平成の妖怪」安倍晋三は影も形もなかった。

(つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年6月 3日 (日)

明治維新「日本の夜明け」とはなんだったのか? 薩長軍と幕府軍の「艦隊これくしょん」を見れば一目瞭然! 坂本龍馬は「死の商人」西郷隆盛は大英帝国の傭兵だった!?

 1609年9月。江戸幕府創設直後。徳川家康は「大船建造の禁」令を出し、各地の大型船を没収した。

 1863年8月15日。英国艦隊に向け、薩摩藩の大砲が火を噴いた。

 私たちの海は254年間、平和だったのだ。

 明治維新のきっかけは、英国による中国侵略「アヘン戦争」にあった?

 幕末の志士たちは、英帝国主義と闘った?

 大ウソだ!

 江戸幕府の「大船建造の禁」に対し、最初に激しく噛みついたのは誰?

「五大州を巻いて皇朝に帰せしめ、皇朝をして永く五大州の宗主たらしめよ」

 お前は、『マグマ大使』の悪役ゴアか!?

「大船建造の禁令を撤廃し、西洋式水軍力を強化せよ」

 日本近海の平穏をぶっ壊した男の名は、佐久間象山。

Photo_2

 1830年。天保の改革が始まった大昔から、佐久間は世界征服の夢に病んでいた。

 1851年。「五月塾」を開いた佐久間象山の元には、勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬らが入門している。

 幕末の「艦これ」に最初にハマッたのは、西郷隆盛のボス、薩摩藩の島津斉彬だった。

 1852年12月。島津は幕府に願い出た。

「琉球王国の守護のため、琉大砲船(洋式軍艦)の建造を許可してほしい」

 沖縄を防衛するため?

 ドラマや小説ではそういうことになっているのかもしれないが、これも大ウソだ!

 沖縄の人たちは、島津家にそんなことを頼んでいない。

 1609年。奇しくも、江戸幕府「大船建造の禁」直前、薩摩藩の初代藩主、島津家久が「大船」に乗って沖縄に乗り込み、琉球王を捕らえて武力併合した。

 奴隷労働。砂糖の独占。密貿易……。薩摩藩は「砂糖を隠し持っていた者」を拷問の末、惨殺し続けた。

「洋式軍艦がほしい」という島津斉彬の申し出を江戸幕府はあっさりと了承してしまう。この「解せない歴史」もまた、金の流れをたどっていけば、解明されるはずだ。

 かくして誕生したのが、日本初の国産洋式戦艦「昇平丸」(1855年)だ。

Photo_4

 昇平丸は帆船だったため、すぐに時代遅れとなってしまうが、昇平丸完成からわずか8ヵ月後、薩摩藩は日本初の国産蒸気船「雲行丸」を完成させている。

 ここで立ち止まって考えてみてほしい。

 維新の立役者たちが、アヘン戦争に衝撃を受け、英国帝国主義と闘うために立ち上がった「国士」「愛国者」であるならば、自前の海軍、国産の軍艦を持つべきではないか?

 ところが……。

「翔鳳丸」「乾行」(ともに1864年)「桜島丸」(1865年)「春日丸」(1867年)を英国から購入。1860年代以降、薩摩藩の軍艦はすべて英国製なのだ。

 西郷隆盛は、麻薬の密輸という悪辣極まりない手口でアジアを侵略した英国に大金を送り続けた。「西郷どん」こそ、死罪に処されるべき男ではないか!?

「桜島丸」ほど明治維新の本質を見事に映し出している戦艦はない。

 1854年。英国ロッテルヒーテ造船所でこの船が誕生したとき、その名は「ユニオン号」だった。

 11年後、日本に到着したユニオン号は、薩摩藩では「桜島丸」、長州藩では「乙丑丸」と呼ばれた。

 買ったのは、坂本龍馬の「亀山社中」。

Photo_5

 売ったのは、トーマス・ブレーク・グラバーの「グラバー商会」。

 日本への航海中、上海に寄港したユニオン号は最新式銃7300挺を積み込んだ。

 銃を売ったのは、グラバー商会の親会社「ジャーディン・マセソン商会」。この会社の最大のビジネスが、中国大陸へのアヘンの密輸だった。

 ユニオン号の到着を長崎で待ち受けていたのが、長州藩の伊藤博文と井上馨。「長州ファイブ」のふたりだった。伊藤と井上を秘密裏に英国に運んだのは、ジェーディン・マセソン商会所有の船「チェルスウィック号」。世話役はヒュー・マセソン(ジャーディン・マセソン・ロンドン社長)が務めた。

 西郷隆盛、坂本龍馬、伊藤博文、井上馨は、アヘン戦争の元凶、アジアの敵の中の敵に大儲けをさせた。

 坂本龍馬は明治新政府の誕生を見ることなく暗殺され、西郷隆盛は新政府と闘い、明治10年(1877年)9月に自決するが……。

 明治7年(1874年)5月。西郷隆盛の弟、西郷従道が台湾に攻め込み、全土を征服した。

 明治9年(1876年)2月。井上馨は、朝鮮派遣特命全権弁理副大臣として戦艦7隻、総員約800名とともに釜山に乗り込み、この砲艦外交が韓国併合へとつながっていく。

 明治38年(1905年)。伊藤博文は初代韓国統監に就任。4年後、安重根によってハルビン駅で射殺された。

 現在の国会を見よ!

 悪夢は終わっていない。

 現総理、安倍晋三は、井上馨一族の末裔だ。

 現副総理、麻生太郎の権力は、ジャーディン・マセソン商会によってでっち上げられたものだ。麻生の祖父、吉田茂の養父、吉田健三は1868年、ジャーディン・マセソン商会に入社。またたく間に巨万の富を築き上げた。

(つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

安田記念で万馬券!

東京11レース 安田記念

 
単勝⑮
 
馬単⑮ー④⑫⑭②⑩①
 
Photo

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2018年5月 | トップページ