明治維新「日本の夜明け」でぼろ儲けしたのは誰だ!? 韓国王室に献上されたガトリング砲は米国コルト社製だった!!
1875年(明治8年)9月20日。日本の軍艦「雲揚」が、なんの事前通告もなく韓国の要塞に接近。砲撃戦が開始された。韓国側の死者35名。
雲揚は、1870年(明治3年)2月に長州藩が英国から買った戦艦である。
雲揚の戦闘を描いた当時の錦絵
長州藩の武器調達係だったのが、安倍晋三の親戚、井上馨だった。取引は、1862年8月、横浜のジャーディン・マセソン商会から「壬戌丸」を買ったことから始まった。
<ジャーディン・マセソン(Jardine Matheson Holdings Limited, 怡和控股有限公司)は、香港にヘッドオフィス(登記上の本社はバミューダ諸島・ハミルトン)を置くイギリス系企業グループの持株会社。>
<設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出。>
<清とイギリスとの間で1840年から2年間にわたって行われたアヘン戦争に深く関わっている。アヘンの輸入を規制しようとする清朝政府とイギリスの争いが起こった際に、当時のアヘン商人の一つであるジャーディン・マセソン商会のロビー活動により、イギリス本国の国会は9票という僅差で軍の派遣を決定した。>(ウィキペディア)
1868年。吉田茂の養父、吉田健三がジャーディン・マセソン商会に入社した。吉田茂の孫が麻生太郎だ。
安倍晋三、麻生太郎が拉致問題を解決できると考えている人はそうとうな楽天家だ。
1876年(明治9年)1月。井上馨は朝鮮派遣特命全権弁理副大臣として、軍艦7隻、総員800名以上を引き連れ、釜山港に入港した。
「開国せねば大砲をぶっ放すぞ」
翌2月27日。不平等条約、日韓「修好条規」が調印されるのだが、その前日、井上馨は「砲艦外交」の総仕上げともいえる「軍事ショー」をやっている。
調印後に韓国国王に献上される回転砲の試射を行い、80発中60発を命中させ、見物客を震え上がらせた。
しかし、韓国高官は砲身にアルファベットが刻まれていることを見逃さなかった。
「わが国王に献上されし大砲及び小銃は貴国製なるか、はたまた洋製なるか?」
日本側の随員はあわてた。
「……よくわからぬが……」
「……これは、貨幣がそうであるように、日本製のものが西洋にも通ずるようにするためであり……また、製造上、洋字を使用する必要がある」
誰も納得しない言い訳だ。
明治維新「日本の夜明け」でぼろ儲けしたのは誰か?
回転砲を発明した米国人リチャード・ジョーダン・ガトリングはこう記している。
「1人で100人分の働きをできるような機械(砲)を発明できたら、戦争に投入される兵士の数は大幅に減らせるだろうし、その結果として戦死者も減るだろうと考えた」
1870年。「ガトリング砲」の特許はコルト社に売却された。コルト社の大ヒット商品は、その名も「ピースメーカー」(リボルバー拳銃)だった。
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