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2018年4月21日 (土)

満蒙開拓団「墓標なき8万人の死」と岸田文雄の資産 イスラエル政府はナチの残党を地の果てまで追いかけた!! 日本以外の国で「岸田文雄首相誕生」は絶対にありえない!!

 岸田文雄は広島1区選出の衆院議員だが、広島生まれではない。

 岸田が誕生したのは東京原宿の「隠田マンション」。日本で初めて「マンション」と呼ばれた白亜の豪邸だ。

 満蒙開拓団「墓標なき8万人の死」を札束に変えた。それが岸田家の資産形成のからくりだ。

 岸田文雄の祖父、岸田正記は、広島市で貸家業を営む家に生まれた。東京帝国大学法学部卒。1928年に衆院議員となっている。

 1931年。満州事変。

 1933年。岸田正記が「幾久屋百貨店」を設立。

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 幾久屋百貨店で買い物をしたことがある日本人が今、何人いるだろうか?

 幾久屋百貨店は日本には存在しない。傀儡「空洞」国家、満州国とともに消えた。

 日本最古の百貨店は三井財閥の三井呉服店だ。1904年。「三井・三越」は連名で顧客に案内状を送った。

<当店販売の商品は今後一層その種類を増加し、およそ衣服装飾に関する品目は一棟御用弁相成り候 設備致し、結局 米国に行はるるデパートメント、ストアの一部を実現致すべく候>

 1920年。阪急電鉄が「白木屋(現・阪急百貨店)」を開業。満州事変以前、わが国では、三越、高島屋、大丸、そごうなど「呉服屋系」、阪急、近鉄、名鉄など「電鉄系」が覇を競い合っていた。

「呉服屋系」も「電鉄系」も満州に進出できず、誰も見たことのない「幾久屋百貨店」が大連、奉天に突如、出現した。

 なぜなのか?

「満州国は私が描いた作品だ」(安倍晋三の祖父、岸信介)

 1928年と1930年。商工省官僚、岸信介は2度にわたってドイツを視察し、「計画経済による産業の合理化」を主張した。

「ドイツでは、鉄鋼、自動車など重要産業にたいする国家権力の介入がますます厳しくなっている」

「ドイツの成功のカギは、自由競争を否定したことにある」

「トラスト、カルテルによる企業間の『協働』こそが、ドイツ製品のコスト低減を実現させた」

「わが国もドイツ型の国家統制経済体制を導入すべきだ」

 この主張により、岸信介は「革新官僚」と呼ばれるようになった。

 岸がドイツを視察した翌年、1931年に満州事変が起き、「革新官僚」に満州国という「まだ何も描かれていないまっさらなキャンバス」が与えられた。

 1933年3月。「満州国経済建設要綱」なるものが立案された。その柱は二つ。

「財閥の排除」

「一業一社主義」

 満州国の会社は「一業種につき一社のみ」認める、とされたのだ。満州国は「企業独占」の壮大な実験場となった。

 時を同じくして、岸田文雄の祖父、国会議員歴5年目を迎えた岸田正記が「幾久屋百貨店」を設立した。

 岸と岸田の密談は誰だって想像できるだろう。

岸田「満州の不動産業を俺が独占する。百貨店を作るから流通業も俺に任せてくれ」

岸「いいでしょう」

 

 作詞家、なかにし礼の父親は軍人の勧めで満州に渡り、牡丹江で日本酒を作っていた。苦難の末に作り上げた酒は「関東軍御用達」となり、満州における酒造業独占を目指した。

「一業一社主義」とは何か?

 満州の日本酒は、なかにし礼の父親が作る銘柄のみとなる。

 満州の大都市には、三越も東急もなく、岸田文雄の祖父、岸田正記が作った「幾久屋百貨店」しかない。

 結託すれば、日本酒販売のすべての利益を「たったふたり」で山分けできるのだ。

 儲からないわけがない。

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なかにし礼の満州時代を描いたテレビドラマ『赤い月』

 膨大な札束、金塊とともに満州から逃げ出した岸田文雄の祖父、岸田正記のその後の行動は、安倍晋三の祖父、岸信介よりも悪質だ。

 1942年5月20日。日本の歴史上初の「一国一党独裁」政党「翼賛政治会」が結成され、岸田正記は「国防委員長」の椅子に収まっているのだ。

岸田文雄の祖父は、大量虐殺魔のボスだった!!

岸信介(東条英機政権商工大臣)も当然、翼賛政治会の党員だったが、1944年、サイパン陥落を機に東条英機首相と対立。

「これから、日本本土への空襲が開始される。軍需担当の長として責務は果たせない。今すぐ講和すべきだ」(岸信介)

 1944年7月18日。東条内閣総辞職で大臣をやめた岸は、「反東条」の政治団体「護国同志会」を結成。この幻の政党には「元社会大衆党議員」も参加している。

 しかし、満州で大儲けした岸田正記は、翼賛政治会(→大日本政治会)所属議員のまま敗戦の日を迎えた。

 日本本土空襲の死者は、24万人とも100万人ともいわれている。

 戦後、イスラエルは、ナチの残党を地の果てまで追い、拘束し、処刑した。

 アウシュビッツ強制収容所の所長、アドルフ・アイヒマンがブエノスアイレスで拘束されたのは1960年5月。

 1953年4月。岸田正記は衆院選で当選。国会議員に復帰した。

 1957年7月。東京のど真ん中にある白亜の豪邸で、岸田文雄は産声を上げた。

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岸田文雄

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