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2018年4月28日 (土)

林芳正文科相の高祖父による朝鮮勧農株式会社「7500万円強奪事件」 韓国併合の結果、コメのメシの半分が朝鮮半島から消えた!!

 山口県下関市で醤油を作っていた林平四郎(林芳正文科相の高祖父)は、1915年、衆院議員となった。

 その3年後に、日本と韓国で激しい抵抗運動が起きた。

 1918年3月1日。韓国仁寺洞で「独立宣言」が読み上げられた。万歳三唱した宗教指導者ら33名は逮捕されたが、ソウルから始まった「独立万歳!」を叫ぶデモは、すぐさま数万人規模に膨れ上がった。朴殷植の『韓国独立運動之血史』によれば、死者7509名、負傷者1万5849名、逮捕された者4万6303名、焼かれた家屋715戸、焼かれた教会47にのぼるという。

Photo

「独立万歳!」を叫び行進する女子大生たち

 韓国併合(1910年8月)により、地主不明の土地が日本政府に接収された。その規模は、ソウル大学の李栄薫教授によれば、国土の10%。京大名誉教授、山本有造によれば、国土の3・26%。持ち主があいまいな土地で農産物を作っていた農民が小作農に転落し、大量の離村者が出た。

 その4か月後の1918年7月上旬。富山県中新川郡東水橋町(現・富山市)の女性たち二十数名が立ち上がった。連日、港に集まった人々は「地元で獲れたコメを運び出すな」と叫んだ。

 投機屋の買い占めなどにより米価が急騰していた。大阪堂島の米市場の記録によれば、

 1918年1月 1石(100升)15円

 同年6月 1石20円

 翌7月には30円を超えた。8月7日には、小売価格で1升50銭を記録。当時の普通の勤め人の月給は20円前後だった。

「米騒動」は全国に飛び火し、暴動を引き起こした。

 政府は米価問題を植民地・韓国で解決しようと試みた。

「韓国の労賃は非常に安い。開拓、干拓、灌漑、品種改良で日本は食糧輸出国の仲間入りをする」

「豊かな食により、韓国内の日本政府に対する不満を解消する」

 この「産米増殖計画」により、1930年、韓国で設立されたのが特殊会社「朝鮮勧農株式会社」である。林平四郎は取締役の椅子に収まった。

 その目的は?

 当然、カネだ。

 日本政府は「特殊会社は自己資金で運営する」と民営を謳っていたが、その裏にはからくりが仕込まれていた。

 近藤郁子の論文(立命館大学HP)によれば、

「工事資金4500万円、全肥購入代金3000万円を日本政府が融資する」

 合計7500万円。今の金額に直すと、なんと784億9350万円!!

 今、本屋には「日本の植民地支配によって韓国民は豊かになった」と書いてある本であふれかえっているが、本当にそうなのか?

 当時の日本人は一人当たり年間1・1石のコメを消費していた。一升瓶で110本分である。

 韓国料理といえば、焼き肉とキムチ、そして、白メシだ。

 1912年。朝鮮人のコメ消費量は0・77石。驚くほど少ない。

 林平四郎は、おなかをすかせた人々に何をしたのか?

 1932年。朝鮮人のコメ消費量は0・4石!!

 ほぼ半分になっているのだ!

 一週間に6日、白メシを食べていた人は、3日だけで我慢したということだ。

 林平四郎は、360度どこから見ても「泥棒」だが……。

 待て。ちょっと待て。

 朝鮮勧農株式会社設立から、わずか15年後。朝鮮半島にも玉音放送が流れた。韓国は解放された。

 林家は、7500万円を日本政府に返したのか?

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防衛相時代の林芳正

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