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2018年3月 4日 (日)

すべての空爆を今すぐやめろ!! ライト兄弟初飛行からわずか10年 ふたりのファシストが飛行機に機関銃を積み込んだ 映画『風立ちぬ』で宮崎駿が英雄として描いたイタリア人の正体

空爆は残虐な特性にもかかわらず流血は少ない。ゆえに“高い立場”から見れば、従来の戦闘よりも人道的である。

 ジュリオ・ドゥーエ『制空』1921年

 

まだ、風は吹いているか? 日本の少年よ! では、生きねばならん。

 カプローニ 映画『風立ちぬ』より

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スタジオジブリのアニメーション映画『風立ちぬ』に登場するジョバンニ・バッチスタ・カプローニ

 1914年。イタリア軍飛行船部隊長が歩兵部隊へと左遷された。その男の名は、ジュリオ・ドゥーエ。

 その年、ライト兄弟が発明した飛行機に7・7ミリ機関銃が取り付けられ、史上初の戦闘機がイタリアで誕生した。

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カプローニCA20

 左遷の理由はこうだった。

「イタリア軍は“兵器としての飛行機”を認めていない。ドゥーエ隊長は、許可なく数機の爆撃機を航空会社に発注した」

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ジュリオ・ドゥーエ

 発注した相手の名は、ジョバンニ・バッチスタ・カプローニ。映画『風立ちぬ』で宮崎駿監督が主人公を導く英雄として描いた男だ。

 映画でカプローニは主人公の二郎(ゼロ戦設計者・堀越二郎)に語りかける。

「創造的人生の持ち時間は10年だ。芸術家も設計家も同じだ。10年を、力を尽くして生きなさい」

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 実際のカプローニはどうだった?

「ライト兄弟が発明した飛行機を、わずか10年で罪なき子どもを殺すマシーンに変えた」

 それがカプローニの「創造的人生」だった。

 ドゥーエは「カプローニ社付」武官として、同じオフィスにいた。

 これまで書いてきたライト兄弟の痛快無比な物語は、狂人たちが生み出した腐海にあっという間に呑み込まれていく。

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<(空爆は)敵国民の物理的精神的な抵抗を撃破する。><恐怖と破壊を敵の全領域に拡大することができる。>(『制空』)

 この本に「非戦闘員」という領域はない。「敵国民皆殺し」が前提、自明の理として書かれている。

<人口密集地が攻撃の目標に選定され、その地域が完全に破壊され、誰も逃げられなかったというニュースが伝わったときには、同様の地域の住民に何が起きるかを想像させるだけで十分である。>

<死が切迫し、破滅の恐怖が絶え間なく続けば、普通の生活を続けることはできない。>

 宮崎駿は講演でこう語っている。

「自分が戦争中に、全体が物質的に苦しんでいる時に軍需産業で儲けている親の元でぬくぬくと育った。しかも、人が死んでる最中(空襲)にめったになかったガソリンのトラックで親子で逃げちゃった。乗せてくれって言う人も見捨ててしまった」

 それが宮崎駿監督の創造の原点ならば、なぜ、「軍用機の父」を英雄として描けたのか?

 1916年。ドゥーエとカプローニが史上初の大型爆撃機カプローニCA36を完成させたとき、ライト兄弟の弟、オーヴィル・ライトは自らの航空会社「ライト社」を売り払い、航空ビジネスから手を引いた。

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カプローニCA36

「私たち(彼とウィルバー)は、浅はかにも、この世に長い平和をもたらしてくれるような発明をと願っていました。ですが、私たちは間違っていたのです」

<オービルはカナダのジョージア湾に別荘を買い、おいやめいたちと釣りを楽しんで暮らした。その間、アイロンを改造してトースターをつくったりしている。次兄の孫にあたるウィルキンソンさん(77)はいう。

「そのトースターで焼いたパンのうまかったこと。壊れたおもちゃを直してもらったこともある。前よりずっといいものになっていたよ」

 オービルは48年、76年の生涯を終えている。100万ドルの遺産を残した。葬儀の日、米軍のジェット戦闘機4機が上空を編隊飛行した。>(「ライト兄弟100年」朝日新聞電子版)

 無差別爆撃機とトースター。このコントラストはなんなのだろう?

 1919年。ドゥーエとカプローニは、23人が乗り込めるさらに巨大な3発3葉爆撃機カプローニCA45を完成させた。

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巨大爆撃機カプローニCA48

<空爆には、爆弾、焼夷弾、有毒ガスを適当な比率で使用する。>(『制空』)

 CA45は、カプローニの生まれ故郷、オーストリア=ハンガリー帝国を空爆した。この作戦の英雄が動物の姿になり宮崎駿監督『紅の豚』の主人公となった。

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<よいか、日本の少年よ! 飛行機は戦争の道具でも金儲けの手立てでもない。飛行機は美しい夢だ!>(映画『風立ちぬ』のカプローニ)

 ジュリオ・ドゥーエはベニート・ムッソリーニを強力に支援した。

 1930年。ドゥーエ死去。しかし、ジョバンニ・カプローニはファシスト党政権のために爆撃機を作り続けた。イタリア軍はエチオピアに侵攻し、ドゥーエの提案通りに爆弾、焼夷弾、毒ガスを使い分けた。

<まだ、風は吹いているか? 日本の少年よ! では、生きねばならん。>(映画『風立ちぬ』のカプローニ)

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 悪い冗談?

 いや、この混沌と倒錯、「誰も自分の頭で考えない」状況こそが、世にも奇妙な安倍晋三独裁の正体なのではないか?

 1939年に始まった日本軍の重慶空爆は、人類史上初の都市への無差別絨毯爆撃だった。堀越二郎が設計したゼロ戦13機がなかったら、ここまで非人間的なジェノサイドは起きていなかっただろう。

 重慶空爆が始まった頃、安倍晋三の祖父、岸信介は満州国総務庁次官に就任。岸が巨額の政治資金を手にしたのはこの頃だといわれている。

 2015年7月。米軍基地に反対する「辺野古基金」共同代表となった宮崎駿は、安倍晋三を強烈に批判した。

「『憲法の解釈を変えた偉大な男』として歴史に名を残したいと思っているのでしょうが、愚劣なことだ」

 沖縄だけではない。私たちは今も空からの攻撃を受けている。

<今後、起きる戦争は総力戦であり、制空権を握るものが勝利者となる。>(『制空』)

私が見上げる3月の空は、米国に占領されたままの「横田空域」だ。

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2018年3月 3日 (土)

米国軍産複合体と不正選挙→安倍独裁 ライト兄弟の名をのこす会社「カーチス・ライト」は今、中国で「いつまでたっても完成しない」原発を建設している

「必要な金とは他人に迷惑をかけない金額のことだ」

 ライト兄弟の父、ミルトン・ライト牧師の口癖

 

<ある国家が空を完全に支配できたなら、過去に可能であったよりもはるかに完璧に近く地球を支配できるはずだ。>

ウィリアム・ミッチェル准将『空軍による防衛』1925年

 

 1969年7月20日。ライト兄弟の翼が月面に降り立った。ニール・アームストロングの宇宙服の中には、ライト・フライヤー1号の羽布の切れ端が入っていた。

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ライト・フライヤー1号

 このとき、空爆による死者は何人?

 すでに数えようとする人すらいない。アームストロングが見た地球は「幽霊たちの星」「生まれてくることができなかった子どもたちの国」となっていた。

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月面に立つニール・アームストロング

「飛行機を発明したライト兄弟」

 この常識が常識になるまで、米国支配層によるライト兄弟への攻撃はやまなかった。

 7万ドルもの米国民の血税が注ぎ込まれた「大失敗作」、サミュエル・ラングレーの「グレート・エアロドローム」は、ポトマック川に消え、ラングレーは失意のまま、2年後に息を引き取った。

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世紀のがっかり劇 グレート・エアロドローム水没

 ところが……。

「世紀のがっかり劇」の11年後、ラングレーがボスだった国立スミソニアン協会が、とんでもない声明を出している。

<実際には、サミュエル・P・ラングレー教授こそ、人を乗せて持続的飛行が可能な飛行機械をはじめて設計・製作した。>

 この声明の裏には、唾棄すべきインチキがあった。

 二輪レースのチャンピオンだったグレン・カーチスは、ライト兄弟が初めて訴訟を起こした相手だ。

「カーチスの翼は私たちの特許を侵害している」

 スミソニアン協会をラングレーから引き継いだチャールズ・ウォルコットは、ひそかにカーチスに依頼した。

「グレート・エアロドロームを飛べるようにしてくれ」

 カーチスは、世紀の失敗作を「まったくの別物」に作り変えた。

 1914年。「カーチスのエアロドローム」が空中に舞い上がると、スミソニアン協会は「7万ドルの国家プロジェクトは成功した」と言い出した。

「1903年の失敗の原因は発射装置にあり、飛行機械自体はそのときも飛べた」

 スミソニアン博物館が「飛行機械1号」として展示したエアロドロームは、カーチスが施した改良部分が取り払われ、元の「飛べない」状態に戻されていた。

 米軍は、ライト社の飛行機を買わなかった。1910年11月14日。巡洋艦バーミンガムの甲板から飛び立ったのは、ヘリング・カーチス社のカーチス・ゴールデン・フライヤーだった。

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ゴールデン・フライヤー2号に乗るグレン・カーチス

 1912年5月30日。ライト兄弟の兄、ウィルバー・ライト死去。享年45。

 1916年。各国が次々に欧州の戦争に参戦してゆくなか、ライト兄弟の弟、オーヴィル・ライトは、ライト社を売り払い、航空ビジネスから手を引いた。

 翌年の1917年7月。ウッドロー・ウィルソン大統領が「航空法」に署名。6億4千万ドルの米国民の血税が航空会社に送金された。

 ライト兄弟の初飛行からの10年間、製造された航空機はわずか88機。政府が購入した軍用機は42機にすぎなかった。

 1917年。製造された航空機は2000機を突破した。

 1918年。13991機が製造された。

「親父はいつも言っていた。必要な金とは他人に迷惑をかけない金額だ、ってね。飛行機を作る目的が金儲けだったら、もう少し見込みのありそうなものに挑戦していたよ」(オーヴィル・ライト)

 2015年。私は中国の東芝製原発について調べていた。

「なぜ、建設がこんなに遅れているのか?」

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三門原発

 ある日、原子力産業新聞を読んでいて、私は我が目を疑った。

<しかし、同様にAP1000を採用した海陽原子力発電所向けのRCP最終検査で2013年1月に羽根車の脱落といった不具合が見つかったため、米国に返品された。>(原子力産業新聞 2015年11月2日)

 問題の一時冷却材ポンプを作った会社が「カーチス・ライト」だったからだ。

(つづく)

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