« 2017年10月 | トップページ | 2017年12月 »

2017年11月25日 (土)

ジャパンカップ大予想 キタサンブラックの時代とはなんだったのか?

 昨年のジャパンカップのあと、武豊騎手が、なんとものんびりした口調でキタサンブラックについてこう語っている。

「ジャパンカップは、強かったですねえ」

Photo

 キタサンブラックの時代とは、日本競馬から「驚異」が消えた一時期だった、としみじみ思う。

 武騎手がまたがっていたディープインパクトのレースを思い出し、こうも思う。

「日本競馬には、もう超常現象は起きないのか?」

 キタサンブラックが駆け抜けたラップタイムを並べてみるといい。どれもこれも平凡な数字の羅列。「これは?」と思わせる記録は皆無だ。

 グラフの青線が昨年のジャパンカップのラップタイム。↓

Jc

 キタサンブラックは、逃げて、日本競馬のレベルを自分で下げ、現役最強馬の座に君臨した。

 馬主の北島三郎師匠が「うまいけど心がこもらない歌手」ばっかり子分にして君臨している演歌の世界と似てないか?

 オグリキャップ2着の年から、ジャパンカップは私にとって「世界で一番好きなレース」であり続けているが、今年のターフに何を期待したらいいのだろう?

 今年もキタサンブラックがペースを作る。

 かすかだが、唯一の希望は京都大賞典を逃げた⑰ラストインパクトに「武騎手の子分ではない」戸崎騎手がまたがることだが、⑰と③ギニョールがどう逃げてもスローペースになることに変わりはないだろう。

 期待その1 大逃げを打て! 戸崎先生!!

 次なる期待は「超スローペースでも驚異を演じられる馬はいるか?」ということになる。いなければ、キタサンブラックが平凡に勝つだろう。

 ジャパンカップで「超スローの驚異」を演じた最後の2頭の牝馬が、2013年のジェンティルドンナとデニムアンドルビーだ。

 直線。ラスト4ハロンで0秒8の加速。さらに3ハロンで0秒5の加速。2枚のギアを使ったジェンティルドンナは最速22秒2で400メートルを駆け抜けた。さらに、このレース後、1度も勝っていないデニムアンドルビーの推定上がりタイムは33秒2!!「奇跡」「狂気」と呼びたくなる一世一代のキレ味だった。

 グラフの緑色の線が2013年ジャパンカップのラップタイム。↓

Jc_2

 日本競馬を救うのはこの2頭のような馬。そんな馬、今年のジャパンカップに出てくるの?

 驚いた。

 グラフの赤線は、②レイデオロが勝った今年の日本ダービーのラップタイム。↓

Jc_3

 こりゃ、いったいなんだ!?

 前半4ハロン目で13秒3という壊滅的なスローペースになると、ルメール騎手が自ら動く。「そのまま先頭?」と思いきや、レイデオロは2番手まで上がったところで加速をやめ……ちゃんと折り合っている!!

 なぜ、折り合えるのか? 馬なのに?

 前半5ハロン目から12秒5→12秒1→12秒6。

 競馬の頂点、一世一代の晴れ舞台で、この馬、何回「ギアチェンジ」をやってのけたのか!?

 ものすごく器用な立ち回りを強いられたレイデオロだが……。

 直線。ラスト4ハロンで12秒7→11秒5……なんと1秒2の加速、狂気のキレ!!

 さらに2枚ギアを使って0秒6も加速し、最速ハロンタイムは10秒9!!

 キタサンブラックと武騎手が「魔術的な逃げ」を打てば楽勝?

 いいえ。

 退屈だった「キタサンブラックの時代」を終わらせるのはレイデオロだ。

Photo_2

 まず、②の単勝を買う。

 これが、スローペースでの予想。

 オグリキャップのジャパンカップを思い出してほしい。誰が、イブンベイの自己破滅的な逃げと世界レコードを予想しただろうか?

 期待その2 ③ギニョールと⑰ラストインパクトの競りでハイペース。

 可能性は低い。確かに低いが、そうなれば、宝塚記念で驚異のラップを刻んだ⑫サトノクラウンが勝つ!!

 一番強いのはこの馬!!

 馬単は、天皇賞(秋)の敗北で人気を落とした⑫から流す。

Photo_3

東京11レース ジャパンカップ

単勝②⑫

馬単⑫ー②①⑧④⑪ ②ー⑫

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月19日 (日)

マイルチャンピオンシップで15万円!!

京都11レース マイルチャンピオンシップ

 
単勝⑬
 
馬単⑬ー①⑧⑭⑫⑪⑤
 
Photo

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月18日 (土)

「2012不正選挙」山尾志桜里落選は仕組まれていた!?「小沢ガールズ」山尾に最強の刺客を放った「未来の党」小沢一郎の謎

「今回は結果を出せなくてすみませんでした。民主党の中で憲法議論を引っ張っていきたかったんですけど、落ちちゃいました」

 山尾志桜里ブログより 2013年1月26日 愛知県「隊友会」新年会にて

 

 意味不明。「わからない」の1万乗だ。

 2012年の衆院選。なぜ、山尾志桜里は落選したのか?

 山尾の政界デビュー。2009年の衆院選、「政権交代選挙」。

 このとき、山尾は「小沢ガールズ」と呼ばれていたのだ。

Photo

 選挙結果がこれ↓

Photo_2

 自民党の現職、鈴木淳司に圧勝。完膚なきまでに叩きのめしている。

 注目すべきなのは、共産党が候補者を出さず、このときすでに「野党共闘」が実現していることだ。

 ところが……。

 2012年、衆院選の結果がこれだ↓

Photo_3

 なんと、「日本未来の党」の小沢一郎が、「山尾殺し」の最強の刺客を放った!

 同じ30代女性。同じ法律家の正木裕美(山尾は元検事で7歳若い正木は弁護士)をぶつけてきたのだ。

Photo_4

 正木裕美は4万票近くを獲得した。山尾に入るはずだった4万票を正木が喰い、安倍独裁に抗する13万人以上の票をすべて死に票にしてしまった。

 3年前、「政権交代選挙」のときのように「野党共闘」が実現していたらどうなっていたのか?↓

Photo_5

 当然、山尾の圧勝だ。

 小沢一郎が、正木裕美を他の選挙区に投入していたら、どうなっていたか?↓

Photo_6

 山尾志桜里が圧勝していた。

 それでも、民主党トップはこう考えていたに違いない。

「東海ブロック名簿4位の山尾は比例復活当選する」

 ところが、2012年12月16日の衆院選は、比例票が大量に操作された不正選挙だったのだ。

 山尾と同じ東海ブロックで、わが国憲政史上、最低最悪の珍事が起きた。

 静岡1区。小選挙区で4位に惨敗した小池政就(みんなの党)が比例復活当選したのだ。

Photo_8

 山尾志桜里よ! なぜ、怒らないのか!? なぜ、声を上げないのか!?

 なぜ、訴訟を起こさなかったのか!?

 落選した山尾志桜里の得票数 92398票

 当選した小池政就の得票数 34457票

 落選した山尾志桜里の得票率 35・9%

 当選した小池政就の得票率 15・3%

 落選した山尾志桜里の惜敗率 83・7%

 当選した小池政就の惜敗率 42・4%

Photo_7

<当選人となるべき順位は、当該選挙と同時に行われた衆議院(小選挙区選出)議員の選挙における得票数の当該選挙区における有効投票の最多数を得た者に係る得票数に対する割合の最も大きい者から順次に定める。>(公職選挙法第95条)

 民主主義の根幹にかかわる法律がどぶに捨てられた。

 それでもこう言いますか?

「中田潤が不正選挙裁判を起こした? 気が狂ったからだろう」

 上智大学経済学部→東大大学院→丸紅→ジョンズ・ホプキンス高等国際問題研究大学……絵に描いたような「米国の犬」小池政就は、当選すると「維新」に合流し、落選。直近の衆院選では「希望の党」公認で出馬しボロ負けした。

 小池政就、山尾志桜里こそ「2012不正選挙」の生き証人だ。

 その後、2012年のような大掛かりな不正の痕跡は発見されず、山尾はギリギリの闘いを2度勝ってきたが……。

『週刊文春』、テレビによるバッシング、「人格破壊」、憲法をめぐる立憲民主党の身内からの反発……。

「山尾志桜里に期待する。『保育園落ちた 日本死ね』質問のような大活躍を今後もやってくれるに違ない」

 そう考える人は夢想家だ。

(つづく)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2017年11月12日 (日)

エリザベス女王杯で乾杯!!

京都11レース エリザベス女王杯

 
単勝⑩
 
馬単⑩ー⑯⑫⑰⑦⑪
 
Photo

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2017年11月11日 (土)

自衛隊という名の「対米送金システム」を作ったとんでもない面々 岡崎勝男外相、野村吉三郎戦時駐米大使、松下幸之助、CSIS創設者アーレイ・バーク……。

「まあ、(米国に)殺されることはないだろう」

 それが田中角栄首相の口癖だったという。

 1972年9月。リチャード・ニクソン大統領とハワイで会談した田中は、ふたつの約束をさせられた。

「濃縮ウラン10年分の製造費用3億2000万ドルを前払いで米国に送金する」

「田中が強力に推し進めていた純国産対潜哨戒機計画を白紙に戻す」

 上の約束が「3・11」国土消失の大惨事を生んだ。

 東電福島第一原発は、当初の計画では「10年間運転し廃炉」だったのだ。しかし、ニクソンの濃縮ウラン押し売りにより、運転が延長された。1980年代初頭、数千人が現地で抗議する「廃炉闘争」があったが、東電は老朽原発の運転を続け、約30年後、破局に至った。

 当時、千葉・三里塚の地べたにへたり込んでいた私は、「廃炉闘争」に参加しなかったことを6年8か月間、後悔し続けている。

「3・11」後の不正選挙、安倍独裁のキモは下の約束のなかにある。

「自衛隊機はすべて米国企業から買え!」

「米国への送金なしで自衛隊機を作ろうとする日本人には消えてもらう」

 自衛隊という名の「送金システム」を作ったのは誰なのか?

 1951年10月。敗戦から6年。朝鮮半島をナパーム弾で焼き尽くし、数百万の人々を虐殺した米国トルーマン政権は、「日本に68隻の艦艇を貸与する」と吉田茂首相に伝えた。

 同じ頃、野村吉三郎元帝国海軍大将が中心となり「新海軍再建研究会」が密かに結成された。野村は、1941年から真珠湾攻撃の半年後まで駐米大使を務めた。

Photo_2

野村吉三郎

「最も大切なる基礎は日米同盟である」

「再建する新海軍は米国海軍に協力の客体となる」

 そう言って、野村がすり寄っていった米国白人の名は、アーレイ・バーク。

Photo_3

米海軍のボス アーレイ・バーク

 太平洋戦争の英雄。のちの米海軍作戦部長(最高位)。退役後、戦略国際問題研究所CSISを創設し、「2016不正選挙」に至る日本の戦後史を陰で操った黒幕。

 バークは、公職追放中の野村を強力に支援した。

 浪々の身の野村吉三郎を再び表舞台に引っ張り上げたのは……?

Photo_4

米国にも素直に従う松下幸之助

 なんと、あの「日本の偉人」松下幸之助だった!!

 1954年3月。野村は松下グループ傘下「日本ビクター」社長の椅子に座った。

 松下政経塾の優等生、前原誠司は、直近の衆院選をぶっ壊し、米国への忠誠を示した。

 同郷の松下に救い出してもらったのに、社長就任後、1ヵ月もたたないうちに野村吉三郎は参院選に出馬した。

 それでも、軍人か!?

 恩義というものをいかに心得る?

 つまりは、松下幸之助にとっても、野村吉三郎にとっても、日本ビクター社長の座は、「戦犯」野村の「身元洗浄機」「軍人洗濯機」であると同時に、野村の政界へのジャンプ台でしかなかったのだ。

 当選すると、CIA日本局長、ポール・ブルームが野村に祝福の手紙を出した。

 野村は国会議事堂の椅子に座り、「元祖防衛族議員」となった。

 松下幸之助とCIAの関係も疑われて当然だが、日本のジャーナリスト、出版界は、松下をただただ「偉い人」と称賛する文字を書き連ね、大金を得た。

「日米同盟”地盤”論」

「自衛隊を米軍の下請けとする」

 この野村の思想は、安倍晋三独裁政権の目標と完全に一致している。

 安倍晋三は、「帝国海軍の幽霊」なのだ。

 1952年。岡崎勝男国務大臣が中心となり「日米地位協定」締結。

Photo

オリンピック陸上競技日本代表 岡崎勝男

 1954年3月8日。外相となった岡崎が「日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定(MSA協定)」に署名した。

<日本の国土に米軍を配置する。>

<日本は自らの防衛に責任を果たす。>

<米国は日本に軍艦、軍用航空機を供与する。>

 この取り決めを元に吉田茂、岡崎勝男らは自衛隊を創設し、米国への「送金システム」が動き出した……と、私も考えていたのだが、実は違った。

 敗戦からわずか8年後。自衛隊創設の2年前の1953年。海上保安庁の警備隊(のちの海上自衛隊)が、米ベル・ヘリコプターズ社製「ベル47」の採用を決めていた!!

 これは「米国からの供与」ではない。「米国がヘリをタダでくれる」という話ではなく、海上保安庁が「国民の血税を米軍需企業に送金する」という話だ。

 当時の海上保安庁長官の名は、山口傳。戦中は逓信省の官僚だった男だが、「長官付」として、山本善雄元海軍省軍務局長(海軍少将)、奥三二元海軍大佐という「戦犯ふたり」が寄り添っていた。

 現在、沖縄・辺野古の海で「海猿」どもが市民に暴行を働く理由はここにある。

「米国白人のために同胞を殴る」は、海上保安庁で60年以上続く「伝統」なのだ。

 下の写真を見てほしい。

Photo_5

 日本に初めて輸入された軍用ヘリ「ベル47」は、「ナショナル」(松下グループのブランド名)製品の宣伝にも大活躍していた。

 黒幕どもの顔が出そろいつつあるなかで、岡崎勝男の「トンデモ」ぶりはずば抜けている。

 1924年5月。陸上競技の長距離ランナーとしてパリ・オリンピックに出場。5000mを途中棄権。10000mにもエントリーされていたが、棄権。日本の現役外交官として、この上ない「ヘタレぶり」を全世界にさらした。

 1945年9月2日。戦艦ミズーリ号上で行われた降伏文書調印式にシルクハットをかぶって参加。当然、公職追放となったが、吉田茂が首相となると、なぜか、のこのこと外務省に復帰。

Photo_6

2列目左から二人目が岡崎

 1947年6月。復帰後の初仕事は、ナチから逃れた6000人もの人々の命を救った「東洋のシンドラー」杉原千畝をクビにすることだった。

「“例の件”の責任を取ってもらう」

 1953年。ソ連に亡命後、生死不明となっていた女優、岡田嘉子の生存を確認しメディアに伝えたことでも有名な民主党の高良とみ参院議員に対し、

「共産主義国に行っちゃダメ」

「中国行きの旅券は出さない」

 などとゴネて世間の大ひんしゅくを買った。

 1954年3月1日。米軍の水爆実験により第五福竜丸が被ばく。翌月、日米協会に招かれた岡崎はエビス顔で、

「米国のビキニ環礁での水爆実験に協力したい」

 ……(腰が抜けた)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月 6日 (月)

!!大拡散希望!!橋本龍太郎抹殺後、20億円の攻撃ヘリ「アパッチ」を74億円で買った小泉純一郎を逮捕せよ!!

Photo

 
 最後の「独立派」首相、橋本龍太郎が抹殺され、小泉純一郎により米国軍需企業への巨額送金が始まった。
 
 グラフを見てほしい。
 
Photo_2
 
 左から、青い棒が映画でおなじみのロッキード・マーティンUH―60ブラックホークの自衛隊購入費。
 
 黄色の棒がウィキペディアに記載されたユニット・コスト。
 
 ビックリした!!
 
 この時代、防衛省は「2008年フル装備」の価格よりかなり安くブラックホークを手に入れているのだ。
 
 橋本龍太郎はこう考えていた。
 
「将来は、純国産自衛隊ヘリ、川崎重工業OH―1ニンジャをもとに純国産攻撃ヘリを作ろう」
 
 橋本が倒れ、どうなった?
 
Photo_3
 
 赤い棒が、ボーイングAH―64Dアパッチ・ロングボウの自衛隊購入費。
 
 アパッチなど必要ない!!
 
 必要ないのに、小泉純一郎はボーイング社への巨額送金を始めた。
 
「9・11」で世界はめちゃくちゃになり、大義0メートル地帯で戦闘が起き、わが祖国のリーダーはブッシュ家のポチとなった。
 
Photo_4
 
 アパッチ・ロングボウについて調べていて、私は椅子からずり落ちそうになった。
 
「ユニット・コスト 1800万USドル」
 
 ウィキペディアにはそう書いてある。
 
 ……(腰が抜けた)。
 
 1機20億円の「ダメ」コプターを小泉は74億円も出して買った!?
 
 公金横領!!
 
 不正送金!!
 
 即刻逮捕!!
 
 防衛省はいつも「初年度経費が掛かるのでこの金額です」などと言い訳をするけど、説明になってないでしょ?
 
Photo_5
 
 初年度の2002年に59億7800万円で買ったアパッチが、なんで、初年度を乗り切った2003年に74億円になってるの!?
 
 B―29はボーイング社製だ。
 
 空襲で亡くなった家族、親族、大先輩のことを忘れたやつにでかい椅子に座ってうまいものを喰う資格などない!!
 
「生まれるはずだった子どもたち」とともにいること。
 
 それが国家のリーダーの最低条件だ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2017年11月 5日 (日)

!!大拡散希望!!安倍晋三は川崎重工業の純国産自衛隊ヘリ案、欧州エアバス社案をたて続けにぶっ潰し、60年前の「骨董品」米国製ヘリを採用した!!

「非常に驚いた」「防衛省が選定したプラットホームは、UH―Xの配備時点で約60年前のものになる」(エアバス社の声明 2015年8月24日)

「ベル412は非常に古い。防衛省の再考を促し続ける」(エアバス・ヘリコプターズ社ギヨム・フォーリCEO 2015年10月)

 

 2012年9月4日。東京地検特捜部が防衛省、自衛隊駐屯地などを家宅捜索した。

 2013年1月11日。安倍新政権の小野寺五典防衛相は「自衛隊多用途ヘリUH―X計画を白紙に戻す」と発表。新防衛相の新春初仕事は「私たちの血税が米国に1円も流れない純国産自衛隊ヘリ」を殺すことだった。

 ところが……。

 純国産ヘリ殺しの1年3ヵ月後、UH―Xの幽霊が出た。

2014年4月。「陸自次期ヘリは民間機を転用する方針」という謎の報道が流れた。

同年6月。「UH―X開発に3つの企業が名乗り上げた」と報道された。

どういうこと?

同じころ、仏パリで世界最大級の武器見本市「ユーロサトリ2014」が開催され、戦後初めて「日本ブース」が出展された。

日本ブースの中心にいた「死の商人」の名は、堀地徹・防衛省装備政策課課長。戦争が嫌いなら、この顔を記憶しよう。

Photo

テレビカメラの前で堀地はうれしそうにこう語っている。

「今、日本には防衛装備移転三原則がある」

「ここに日の丸の旗があることが大きい。私たちは旗の下で結束できた」

 2014年4月。安倍晋三政権は「武器輸出三原則」を葬り、「防衛装備移転三原則」を閣議決定した。「2012不正選挙」→安倍独裁の成果だ。防衛装備移転三原則は、安保法制、特定秘密保護法、共謀罪とともに「安倍晋三の最大の犯罪」として後世に語り継がれるだろう。

 防衛装備移転三原則のキモは、大きくふたつだ。

「日本企業が海外に武器を輸出できるようにする」

「武器の国際共同開発ができるようにする」

 なぜ、純国産自衛隊ヘリUH―Xの幽霊が出たのか?

 安倍晋三は、自分で殺したUH―X計画の墓を掘り返し、死体に向かって命令した。

「俺のためにもう一度、踊りを踊れ!」

 安倍晋三はUH―X計画を復活させた。防衛装備移転三原則のふたつのキモを同時に実現するためだ。

 しかし、自らの手で殺した計画は、元のままであるはずもなく、踊ったのは人間ではないゾンビだった。

 2015年2月25日。防衛省は陸自次期ヘリに関する規格競争参加希望者募集要項を公示した。

 参加の条件その①は「日本国法人である企業」。

 ところが……。

 出てきた企業案は以下の通り。

「川崎重工業・エアバス社共同開発。ゼロから新規開発を行い、民生用としても日本から海外に輸出する」

「富士重工・米ベル・ヘリコプターズ社共同開発。米ベル412EPIを改良し、民生用としても日本から海外に輸出する」

 純国産自衛隊ヘリ計画には、いつのまにか、なんの説明もなく、「輸出」「国際共同開発」がセットで組み込まれていた。「国産」じゃないんだから、計画は180度転換された。

 安倍晋三よ! これで現場の自衛官の士気が上がると思うか!?

 

 関係者の誰もが「川崎重工業・エアバス社案が勝つ」とみていた。

 ところが……。

 2015年7月15日。防衛省は富士重工・ベル案を採用し、関係者をアッと驚かせた。

 エアバス社は激怒した。

「非常に驚いている」

「防衛省が選定したプラットホームは、UH―Xの配備時点で約60年前のものになる」

 エアバス社は「安倍晋三は60年前の骨董品をつかまされた」と言っているのだ。

 写真を見比べてほしい。

Uh

 上が1956年初飛行のベル・ヘリコプターズ204UH―1。

 中が「204を改良した」1968年初飛行のベル・ヘリコプターズ412EPI。

412epi2

 下が陸上自衛隊次期多目的ヘリUH―X完成予想図。

412epi

 デザインはほぼ同じ。同じ生産ラインが今も動いているのだから当然だ。

 陸上自衛隊「次期」主力ヘリUH―Xは、「1950年代のヴィンテージ(骨董品)ヘリのエンジン出力を上げただけ」というとんでもない代物なのだ。クラシックカーにバカでかいエンジンを積んで生活の役に立つか? 世間では、「お金が余っているやつの趣味」としてしか認められないはず。

 安倍晋三、防衛省のバカさ加減は、米軍が証明している。

 米軍は1950年代~60年代に204UH―1を導入したが、改良型の412EPIは1機も買っていない。NY市警や各地の消防署は買ってくれたが、米軍は「いらない」と言ったダメ航空機なのだ。

 オスプレイと構図はいっしょだ。米軍が「いらない」と言ったものを米国は安倍晋三に押し売りする。

 それだけではない。そもそも、「自衛隊が2021年から20年かけて150機を調達する」としているUH―Xは、配備が完了する2041年には「75歳のじいさんヘリ」となっているのだ。

「こいつ、75歳なんですけど、輸出したいので買ってくれませんかねえ」

 安倍晋三はそう言っている。

 寝言は寝て言え!!

 買うやつがいたとしたら、そいつの頭には虫が湧き、奇妙奇天烈な花が咲き乱れている。

 一方、エアバス社の最新鋭ヘリH―160の写真がこれだ。

Hx

 この写真と、

「還暦を過ぎた」ベルUH―1の写真を並べて、

Uh_2

 安倍晋三は、小中学生にこう聞いてみればいい。

「陸上自衛隊の次の主力ヘリコプターは、さて、どちらでしょうか?」

Hx_2

「どっちに乗りたい?」

 エアバスH―160は、開発中は「X4」と呼ばれていた。エアバス社が防衛省に提案した自衛隊ヘリUH―Xは、「X4」よりも5段階も先の計画、5段階も未来型の「X9」をベースにしている。

 だから、エアバス社は激怒したのだ。

<私たちの提案は「白紙状態からの開発」であり、軍事用と民生用の双方で輸出できる。>(前出 エアバス社の声明)

「ベル案とエアバス案、どっちが外国人に売れるでしょうか?」

 日本政府関係者以外、ベル案に賭ける人間はひとりもいない。こんなギャンブルは成立しない。

 40年前のポンコツ航空機に私たちの血税が注ぎ込まれる。

 守られたのは、不条理極まりない「鉄の掟」のみ。

「属国の国民は米軍産複合体に送金を続けろ!」

 安倍晋三は「日本のトップセールスマン」を自称し、武器輸出を解禁し、数十人の企業トップを引き連れ、歴代最多の国と地域を歴訪してきたが……。

 いったい、何が売れて、いくら儲かったのか、知っている人がいたら教えてほしい。

「日本に巨額投資する」と言った外国人がいたのなら、名前を教えてほしい。

 平和ボケの日本人?

 違う。安倍晋三ひとり、軍事、外交、経済……すべての面でボケなのだ。

 安倍晋三のボケ治療に1億人がつき合わされている。

 ええかげんにせんと気狂て死ぬ!(町田康 芥川賞作家)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月 4日 (土)

!!大拡散希望!!安倍晋三が純国産自衛隊ヘリ計画をぶっ潰した!!カワサキ「ニンジャ」抹殺と橋本龍太郎「病理解剖」の闇

 2006年7月1日。「自主外交」を掲げた最後の日本の総理大臣が逝った。

<死因である腸管虚血は、原因がよくわからないこともあり、橋本の死後、病院側の意向により、遺体は病理解剖に付された。>(橋本龍太郎 ウィキペディア)

 1996年1月。総理の椅子に座った橋本龍太郎は、翌月にはアメリカに飛び、ビル・クリントン大統領に沖縄・普天間飛行場の返還を要求した。

 同年8月。純国産自衛隊ヘリコプター、川崎重工業OH―1「ニンジャ」が初飛行した。同機の開発が始まったのは1993年。完成までわずか3年。こんなに早く飛び立った軍用機は他に例がなく、川崎重工業の開発チームは1998年にAHSインターナショナル(アメリカヘリコプター会)より、優れた垂直飛行技術に与えられるハワード・ヒューズ賞を、アメリカ以外のプロジェクトで初めて授与された。

 防衛省は「ニンジャ」約250機の導入を計画していた。

 1997年6月。橋本首相は米コロンビア大学で講演した。聴衆から、

「日本が米国債を蓄積し続けることが長期的な利益になりますか?」

と質問された橋本はこう返答した。

「大量の米国債を売却しようとする誘惑にかられたことは、幾度かあります」

Photo

 橋本は、岸信介の弟、佐藤栄作の後ろ盾で政界入りしたが、佐藤首相退任後、「対米盲従」の清和会(福田派)入りを固辞し、独立派の経世会(田中派)に入った異例の自民党政治家だった。それゆえ「橋本は自民党内に友達がひとりもいない」などと揶揄され続けた。

 田中角栄が純国産対潜哨戒機計画を強力に推し進めたように、純国産自衛隊ヘリ「ニンジャ」導入は、橋本にとって当然の選択だった。

Oh1

川崎重工業OH―1ニンジャ

 橋本は、「消費増税→参院選での惨敗」で首相の座を追われた。小渕恵三首相から厚生大臣就任を要請されたが、橋本は「選挙惨敗の責任は私にある」として固辞した。引き受けたのは森喜朗政権の沖縄開発庁長官と沖縄及び北方対策担当大臣だった。

 田中角栄ほどのパワー、派手さは望むべくもなかったが、橋本龍太郎は、沖縄をめぐって米国と死ぬまで闘った自民党政治家だった。

 2004年7月。「日歯連闇献金事件」が発覚。東京地検特捜部は橋本派の会計担当者、日歯連会長と理事を逮捕した。その容疑は、

<参院選の直前に橋本龍太郎、野中広務、青木幹雄が日本歯科医師会から1億円の小切手を受け取ったが、収支報告書に記載しなかった。>

 橋本は、わずか1億円の闇献金事件で政治生命を絶たれ、2年後に「早すぎる死」を遂げた。享年68。

橋本と同様に「起訴猶予」となったふたりの自民党政治家は今、国会にはいない。

「(安倍首相の)国会における施政方針演説で、私にしたら、私が中学生のころ、昭和16年に東条英機首相が、大政翼賛会の国会で施政方針演説をやっている、あのラジオ放送を耳にしたときの感じと、まったくかわらないんじゃないか、という心配を、私は感じました」(野中広務 TBS『時事放談』2015年2月)

 2001年春の自民党総裁選。「橋本龍太郎圧勝」という大方の予想を覆し、小泉純一郎が首相の椅子に座った。

 2004年7月。橋本龍太郎、政界引退。

 2004年12月。小泉政権は「新防衛大綱」を発表。毎年3~4機のペースで導入されてきた純国産自衛隊ヘリ「ニンジャ」を1~2機に減らした。2010年の4機を最後に「ニンジャ」は殺された。自衛隊に導入されたのは、試作機4機を含め、わずか38機だった。

 その理由は?

<偵察機としては1機当たり19―25億円と高額なことから、193機を調達したOH―6Dを代替できなかった。>(ウィキペディア)

 値段が高かったから?

 2005年。小泉政権下の防衛省は、ユニットコスト1機281万ドル(現在価格1機32億円)の米シコルスキー社製SH―60シーホーク(改造型)の導入を開始した。シコルスキー社はロッキード・マーティン社の傘下企業だ。

 歴史は繰り返す。

 2012年9月。純国産自衛隊ヘリ、川崎重工業UH―X導入を強力に推し進めていた2等陸佐が、東京地検特捜部の取り調べを受けた。

 2等陸佐2名は「起訴猶予」となったが、純国産自衛隊ヘリ計画は白紙に戻された。

「2012不正選挙」後、安倍政権はロッキード・マーティン社への送金を3倍に増やした。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

« 2017年10月 | トップページ | 2017年12月 »