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2017年11月11日 (土)

自衛隊という名の「対米送金システム」を作ったとんでもない面々 岡崎勝男外相、野村吉三郎戦時駐米大使、松下幸之助、CSIS創設者アーレイ・バーク……。

「まあ、(米国に)殺されることはないだろう」

 それが田中角栄首相の口癖だったという。

 1972年9月。リチャード・ニクソン大統領とハワイで会談した田中は、ふたつの約束をさせられた。

「濃縮ウラン10年分の製造費用3億2000万ドルを前払いで米国に送金する」

「田中が強力に推し進めていた純国産対潜哨戒機計画を白紙に戻す」

 上の約束が「3・11」国土消失の大惨事を生んだ。

 東電福島第一原発は、当初の計画では「10年間運転し廃炉」だったのだ。しかし、ニクソンの濃縮ウラン押し売りにより、運転が延長された。1980年代初頭、数千人が現地で抗議する「廃炉闘争」があったが、東電は老朽原発の運転を続け、約30年後、破局に至った。

 当時、千葉・三里塚の地べたにへたり込んでいた私は、「廃炉闘争」に参加しなかったことを6年8か月間、後悔し続けている。

「3・11」後の不正選挙、安倍独裁のキモは下の約束のなかにある。

「自衛隊機はすべて米国企業から買え!」

「米国への送金なしで自衛隊機を作ろうとする日本人には消えてもらう」

 自衛隊という名の「送金システム」を作ったのは誰なのか?

 1951年10月。敗戦から6年。朝鮮半島をナパーム弾で焼き尽くし、数百万の人々を虐殺した米国トルーマン政権は、「日本に68隻の艦艇を貸与する」と吉田茂首相に伝えた。

 同じ頃、野村吉三郎元帝国海軍大将が中心となり「新海軍再建研究会」が密かに結成された。野村は、1941年から真珠湾攻撃の半年後まで駐米大使を務めた。

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野村吉三郎

「最も大切なる基礎は日米同盟である」

「再建する新海軍は米国海軍に協力の客体となる」

 そう言って、野村がすり寄っていった米国白人の名は、アーレイ・バーク。

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米海軍のボス アーレイ・バーク

 太平洋戦争の英雄。のちの米海軍作戦部長(最高位)。退役後、戦略国際問題研究所CSISを創設し、「2016不正選挙」に至る日本の戦後史を陰で操った黒幕。

 バークは、公職追放中の野村を強力に支援した。

 浪々の身の野村吉三郎を再び表舞台に引っ張り上げたのは……?

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米国にも素直に従う松下幸之助

 なんと、あの「日本の偉人」松下幸之助だった!!

 1954年3月。野村は松下グループ傘下「日本ビクター」社長の椅子に座った。

 松下政経塾の優等生、前原誠司は、直近の衆院選をぶっ壊し、米国への忠誠を示した。

 同郷の松下に救い出してもらったのに、社長就任後、1ヵ月もたたないうちに野村吉三郎は参院選に出馬した。

 それでも、軍人か!?

 恩義というものをいかに心得る?

 つまりは、松下幸之助にとっても、野村吉三郎にとっても、日本ビクター社長の座は、「戦犯」野村の「身元洗浄機」「軍人洗濯機」であると同時に、野村の政界へのジャンプ台でしかなかったのだ。

 当選すると、CIA日本局長、ポール・ブルームが野村に祝福の手紙を出した。

 野村は国会議事堂の椅子に座り、「元祖防衛族議員」となった。

 松下幸之助とCIAの関係も疑われて当然だが、日本のジャーナリスト、出版界は、松下をただただ「偉い人」と称賛する文字を書き連ね、大金を得た。

「日米同盟”地盤”論」

「自衛隊を米軍の下請けとする」

 この野村の思想は、安倍晋三独裁政権の目標と完全に一致している。

 安倍晋三は、「帝国海軍の幽霊」なのだ。

 1952年。岡崎勝男国務大臣が中心となり「日米地位協定」締結。

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オリンピック陸上競技日本代表 岡崎勝男

 1954年3月8日。外相となった岡崎が「日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定(MSA協定)」に署名した。

<日本の国土に米軍を配置する。>

<日本は自らの防衛に責任を果たす。>

<米国は日本に軍艦、軍用航空機を供与する。>

 この取り決めを元に吉田茂、岡崎勝男らは自衛隊を創設し、米国への「送金システム」が動き出した……と、私も考えていたのだが、実は違った。

 敗戦からわずか8年後。自衛隊創設の2年前の1953年。海上保安庁の警備隊(のちの海上自衛隊)が、米ベル・ヘリコプターズ社製「ベル47」の採用を決めていた!!

 これは「米国からの供与」ではない。「米国がヘリをタダでくれる」という話ではなく、海上保安庁が「国民の血税を米軍需企業に送金する」という話だ。

 当時の海上保安庁長官の名は、山口傳。戦中は逓信省の官僚だった男だが、「長官付」として、山本善雄元海軍省軍務局長(海軍少将)、奥三二元海軍大佐という「戦犯ふたり」が寄り添っていた。

 現在、沖縄・辺野古の海で「海猿」どもが市民に暴行を働く理由はここにある。

「米国白人のために同胞を殴る」は、海上保安庁で60年以上続く「伝統」なのだ。

 下の写真を見てほしい。

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 日本に初めて輸入された軍用ヘリ「ベル47」は、「ナショナル」(松下グループのブランド名)製品の宣伝にも大活躍していた。

 黒幕どもの顔が出そろいつつあるなかで、岡崎勝男の「トンデモ」ぶりはずば抜けている。

 1924年5月。陸上競技の長距離ランナーとしてパリ・オリンピックに出場。5000mを途中棄権。10000mにもエントリーされていたが、棄権。日本の現役外交官として、この上ない「ヘタレぶり」を全世界にさらした。

 1945年9月2日。戦艦ミズーリ号上で行われた降伏文書調印式にシルクハットをかぶって参加。当然、公職追放となったが、吉田茂が首相となると、なぜか、のこのこと外務省に復帰。

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2列目左から二人目が岡崎

 1947年6月。復帰後の初仕事は、ナチから逃れた6000人もの人々の命を救った「東洋のシンドラー」杉原千畝をクビにすることだった。

「“例の件”の責任を取ってもらう」

 1953年。ソ連に亡命後、生死不明となっていた女優、岡田嘉子の生存を確認しメディアに伝えたことでも有名な民主党の高良とみ参院議員に対し、

「共産主義国に行っちゃダメ」

「中国行きの旅券は出さない」

 などとゴネて世間の大ひんしゅくを買った。

 1954年3月1日。米軍の水爆実験により第五福竜丸が被ばく。翌月、日米協会に招かれた岡崎はエビス顔で、

「米国のビキニ環礁での水爆実験に協力したい」

 ……(腰が抜けた)。

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