さようなら、アトム 米フォートカルホーン原発永久閉鎖 運転43年 廃炉60年 ウランと人類の103年
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史上最低の米大統領選でヒラリー・クリントンの当選が確実となった。
日本で「高速炉開発会議」が開かれ、実現不可能な「プルトニウムで発電」という夢が再びよみがえった。
一見、無関係なふたつのニュース。しかし、「お金の流れ」をみれば、同時進行中の事態であることがわかる。
まず、「モノの値段」という根本からみれば、プルトニウムに値段はない。値札をつけても「0円」。プルトニウムは、ただ危険なだけのゴミだからだ。原発の産業廃棄物。世界史的にみれば、戦争廃棄物。長崎へのプルトニウム爆弾投下は、まったく必要性のない大量殺戮、まさに、史上最大の蛮行だった。
プルトニウムは「生物の敵」ナンバーワンだ。
プルトニウムに値札をつけたのが、ヒラリー・クリントンその人だった。
夫ビル・クリントン政権下で、米エネルギー省の一機関だった合衆国濃縮公社を民営化。ヒラリーが仕切る合衆国濃縮会社(USEC)は、「核軍縮」の美名の元、旧ソ連の核弾頭を解体し、取り出したウラン、プルトニウムを原発燃料に変えるビジネスで大儲けをした。
USECの輸出先は100%日本だった。
「3・11」。管直人に電話をかけた最初の米国人がヒラリーだった。
「米国から日本へ冷却剤を送る」
直後、プルトニウムを含むMOX燃料で「プルサーマル」発電を行っていた東電福島第一原発3号機が爆発した。
日本のテレビでは「プルサーマル」は禁句となった。
米国外交のトップであるヒラリー国務長官は「米軍だけではない米国人全員の日本からの退避」をほのめかし、日本の民主党政権を脅した。
それを「日米同盟の危機」ととらえた管直人らは「日米調整会議」を設置。表向き日米関係は元に戻った、といわれている。
しかし、現実はまったく違った。
(つづきはメルマガを読んでください)
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西村成生さん。享年49歳。亡くなったときの役職は、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)総務部次長だった。
「もんじゅ」は運転開始後、わずか4カ月でナトリウム漏れ事故を起こした。動燃は、配管から漏れ出したナトリウムが雪のように降り積もった生々しい動画を撮影していたが、上層部の命令で隠ぺいされた。西村さんは、「ビデオ隠し」の内部調査を命じられ、死体発見の前日、記者会見を行った。
「本社の管理職の関与があった」
翌日。1996年1月13日。西村さんは宿泊中のホテルの非常階段の下で変死体となって発見された。見つけたのは上司だった。
妻と上司、同僚に宛てられた3通の遺書があったことから、警察は飛び降り自殺と断定。司法解剖は行われなかった。
西村さんの死の謎を『原子力ムラの陰謀』(今西憲之+週刊朝日取材班 朝日新聞出版)を元に整理してみよう。
まずは、3通の遺書の謎。
遺書には「勘異い(勘違い)」「反展(発展)」「遠り越し(通り越し)」といった、ありえない誤字が含まれていた。
西村さんは長く動燃の文書課で働いていた。原発に関する報告書の類には、一字一句、通産省(現・経産相)から厳しいチェックが入る。妻のトシ子さんはこう語っている。
<「長年、文書課で役所に提出する書類をチェックする仕事をしていたから、夫は誤字、脱字には厳しかった。いくら気が動転していても、こんな書き間違えはしないはずです」>
死体発見の日の午後、大石博・動燃理事長が記者会見で西村さんの遺書を読み上げたが……。
<私の対応のまずかさから、深刻な事態を引き起こす恐れを生じさせてしまった。>
遺書にはそんなことは書かれていない。
<私の勘異いから、理事長や役職員に多大の迷惑、むしろ「本当のウソ」といった体質論に反展させかねない事態を引き起こす恐れを生じさせてしまった。>
後者がオリジナルの文章。なんと、動燃は、勝手に遺書まで修正、改ざんしたのだ。
妻のトシ子さんは、動燃に説明を求めたが、遺体の第一発見者、大畑宏之理事が面会に応じたのは4月になってからだった。同席した理事長の秘書役、T氏は、
「発作的に自殺をしてしまったんだよ」
などと語り、<西村職員の自殺に関する一考察>という文書を手渡した。
<(西村氏が)記者会見に出席した際、プレスから厳しい質問にさらされ回答している中で勘異い当弁をし、その場のムードから素直に訂正が出来ず頑張り切ってしまったのだと推察しました。>
そこには遺書と同じ「ありえない誤字」があった。
死の直前、西村さんは動燃本社から5枚のファックスを受け取ったとされているが、トシ子さんや裁判を担当した弁護士が要求しても動燃は「ファックスの現物はない」と資料提出を拒否した。
<(トシ子さんが)『主人が受け取ったファックスを返してほしい』と言うと、隣にいた大畑理事は驚いた様子で顔色を変え、席を立った。そして、そのまま一言のあいさつもなく、どこかに消えてしまいました>
1998年。動燃は「核燃料サイクル開発機構」となった。さらに2005年、看板は日本原子力研究開発機構(JAEA)に書き換えられた。
もんじゅのお守役の変更は「改革」とされているが、取材に対するJAEAの態度は一貫している。
「動燃時代に何が行われたのかは不明」
西村さんは闇の中に取り残されたままだ。
2016年10月7日。児玉敏夫JAEA理事長は経産省の秘密会議で吠えた。
「もんじゅは投資に見合う価値がある」
20年間続く闇。
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10月7日。経産省で「高速炉開発会議」が開催された。
「核燃料サイクル実現のために高速炉開発が必要不可欠」
「責任を果たす気概を持ってほしい」
世耕弘成 経済産業大臣
「(高速炉開発は)安定供給を担う電気事業者にとって大変意義がある事業」「途切れることなく一貫性を持って進めるべき」
勝野哲・電事連会長
「堅持し続けるべき重要な国家基幹技術」
宮永俊一・三菱重工社長
「研究者、メーカー、電気事業者、そして国自身が果たすべき責任を全うする覚悟が必要だ」
世耕弘成・経産相
日本原子力研究開発機構(JAEA)は、原子力規制委員会からレッドカードを突きつけられている。
<平成25年5月29日に、先ほど委員長から話がありましたが、原子力規制庁から文部科学省に宛てた書簡の中に「委員会において現在の機構には、もんじゅの安全確保を十分に行い得る体制が整っていないと判断」との言葉があるわけですが、それから2年を経過した現在においても、この判断はそのままではないかなと思います。>
「もんじゅ」はすでに人を殺している。しかも、それは「税金をつかった殺人」として強い疑念を持たれたままだ。
<「エネルギー基本計画」に基づき、核燃料サイクルを推進するとともに、高速炉の研究開発に取り組むとの方針を堅持する。>(高速炉開発会議の基本方針)
1995年12月8日。「もんじゅ」ナトリウム漏れ事故。
1996年1月13日。事故の内部調査を命じられた西村成生さんが、都内のホテルで変死体となって発見された。
これを狂気と呼ばずして、何が狂気か?
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みんな黙った
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初めてアメリカに行った1980年代後半。
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ニュースに出てくる村上春樹のファンをみてよ!!
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次のグラフで一目瞭然!↓
東電福島第一原発C排水路を流れる水の量は増えている。
なのに東電は次のように説明する。
「9月上旬に新しい排水路ができたので、C排水路の水の流れなくなった。滞留した水を繰り返し測っていたから数値が上昇した」
大ウソ。究極のヨタ話だ。
<新設排水路については、構内排水路全体の排水能力向上・排水路の負担分散を目的として設置。>(東電資料 2016年10月7日)
そもそも、「排水路を増やせ」という声を私は一度も聞いたことがない。規制当局、周辺の関係者は一度もそんなことは要求していない。
一貫して東電に要求していたのはこれだ。
「すべての排水路に放射線連続モニターを設置せよ」
<本年4月および6月に一部通水を開始し、状況を確認していた。>
状況を確認!?
新設排水路の汚染水データは、ただの一度も公表されていない!
<新設排水路の通水状況が確認できたことから、C排水路の負担緩和のため、9月上旬に発電所西側エリアより上流の水は全て新設排水路に流れるように、切り替えを実施した。>
C排水路の負担緩和!?
度重なる「タンクからの汚染水漏れ」事故を思い返せば誰にだってわかる。
東京電力とこの国が最も恐れている事態。
「汚染水タンクはいつか必ずぶっ壊れる」
C排水路は強烈な汚染水を溜めたタンク群のすぐそばを通っている。
タンクからの大量流出が起きたら、「C排水路にだけ設置された連続モニター」の警報が鳴る。汚染水の海への流出が全世界で報道される。
そんな国に来てくれるアスリートがどこにいる!?
「そうなったら困るので、タンクのそばに誰も監視しない新しい排水路を作れ!」
これこそが国家の意思なのだ。
まさに暗渠!
新設排水路は東京オリンピック強行のための「非栄光への架け橋」に他ならない。
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2016年10月5日。東電福島第一原発C排水路。汚染水の全ベータが400Bq/Lを記録した。
法定濃度超えの犯罪が18日目に入ったとき、東京電力は突如、報道配布資料を公開した。
<福島第一原子力発電所C排水路のモニタリング状況について>(10月7日)
事故から5年半。なぜ、C排水路は突如、暴走を開始したのか?
東電の説明は世にも奇妙なものだ。
2016年4月。C排水路を流れていた水は、名前のない<新設排水路>に流れ込むようになった(らしい)。
一体、何人の日本人がこの事実を知っているだろうか?
9月上旬。発電所西側エリアより上流の水はすべて新設排水路へ流れるように切り替えが行われた。
なぜ?
<C排水路の負担緩和のため>
負担が大きすぎたから?
違う。放射線連続モニターが設置されているのはC排水路のみ。24時間監視されているのはC排水路だけ、というずさんな体制が放置されたままなのだ。
「他の排水路にも連続モニターを設置しろ」
原子力規制委員会のメンバーが何度も指摘してきたが、東電は頑として拒否してきた。当然、新設排水路に連続モニターはない。
つまり、「連続モニターの警報が鳴ったら困るから」東電はC排水路の水を干上がらせようと画策したのだ。連続モニターが邪魔、ということ。
結果、どうなった?
<切り替え以降、C排水路では事前の予想以上に流量が減少し、降雨が少ないと排水路内の水の流れがなく、降雨時に流入した水が滞留していることが分かった。>
C排水路は水が流れていない!?
<側溝放射線モニタでは、滞留した水を繰り返し測定している状態となっている>
東電は排水路に溜まった「同じ水」を測定し続けた!?
<そのため、定例サンプリングの至近の分析結果が約200~400Bq/Lで推移していたと考えられる。>
真っ赤なウソ!! 究極のヨタ話だ。
「同じ水の測定結果」なぜ、激しい上下動を繰り返してきたのか?
9月30日 95Bq/L
10月1日 250Bq/L
東京電力は、タンクから漏れた強烈な汚染水が海に流れ出したことを隠している。
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内田俊志所長を逮捕せよ!
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東電福島第一原発C排水路が突如、暴れだした。
連続放射線モニターが設置されたC排水路は、2015年2月に警報が発生。汚染水タンクからの漏洩が疑われて以来、ずうっとおとなしいままだった。
今年4月からの東電公表データ(全ベータ)。
4月1日 ND(検出限界値未満)
5月1日 ND(検出限界値未満)
6月1日 ND(検出限界値未満)
7月1日 4・6Bq/L
8月1日 13Bq/L
9月1日 15Bq/L
ところが2週間後に数値が跳ね上がる。
9月13日 23Bq/L
9月14日 100Bq/L
この日から東京電力の犯罪が始まった。
全ベータの約半分がストロンチウム90(告示濃度限度30Bq/L)。全ベータの告示濃度限度を63Bq/Lとするなら、全ベータ100Bq/Lの水は「環境に放出してはいけない」汚染水だ。
9月15日 220Bq/L
9月16日 320Bq/L
9月17日 290Bq/L
一般排水路で高濃度の汚染が観測されたとき、東京電力は次のように説明してきた。
<降雨による表層土の流入のため上昇したものと考えられる。>(大問題となったK排水路についての説明)
しかし、C排水路に関しては、説明、但し書きは何もない。東電広報に問い合わせたところ、
「評価はしていない」
「降雨などの影響による変動の範囲内」
対策はおろか、問題視すらしていなかった。
なぜ!?
9月21日 200Bq/L
9月22日 370Bq/L
9月23日 220Bq/L
9月24日 110Bq/L
9月25日 180Bq/L
9月26日 380Bq/L
9月27日 200Bq/L
9月28日 220Bq/L
9月30日 95Bq/L
10月1日 250Bq/L
18日間で14回の犯行。東京電力が法律を守った日はわずか4日。
連日14回も犯行を重ねる犯人を放置している!?
日本は法治国家ではない。
こんな国にオリンピックを開催する資格はない。
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