原発がやめられないのは米国のせいなのか? 歴史から消された「米原子力規制委員の東電本店殴り込み」事件 仲裁したのは「対米盲従」「原発推進」あの長島昭久だった
2011年3月18日。
<18日の朝にアメリカのNRCが東京電力に初めて来たのです。統合対策本部にいよいよ来たわけです。>(長島昭久 政府事故調聴取結果書 2012年2月2日聴取)
表向きの歴史はこうなっている。
「3・11」当日から米政府と米原子力規制委員会(NRC)はいら立っていた。
「米軍が支援に向かったのに日本政府は原発事故情報をまったく出さない」
「グレゴリー・ヤツコNRC委員長に日本人は『支援はいらない』とメールしてきた」
その他いろいろ。
3月15日。バラク・オバマ大統領は「全米国人の日本脱出計画」を検討していた。
米国は菅直人を脅した。
「英雄的犠牲が必要だ」
つまり、「原発に突っ込んで日本人は死ね!」ということだ。
菅直人は、まったく役に立たなかった自衛隊ヘリからの冷却水投下、というプロパガンダ、パフォーマンスをやって、直後にオバマと電話会談を行った。
日米同盟の危機はこうして回避された……ということに表向きなっているが……。
翌3月18日朝。NRCのチャールズ・カストーら数名が、東京電力本店に直談判にやって来ていた。
<いろいろなところに行ったのだけれど実態がよくわからんということで東京電力に来たのです。>
対応したのは……。
原発事故報道ではまったく表に出なかった男。元米外交問題評議会アジア政策担当上席研究員。安倍政権の解釈改憲に賛成した民主党議員。「原発再稼動」「菅直人退陣」を要求した男……長島昭久だった。
その後のやりとり。
長島<これは相当やばいんじゃないの。こんな原発が大変だと言っていて、NRCが来てくれていて、情報共有ができていない。隠すものがあるのかどうかそこは知らないけれども、どうなんだ>
細野豪志<何かいい案はありますか>
長島<ちょっと僕も考えてみるよ>
長嶋が次に訪ねたのは……。
「菅おろし」→東電延命→原発再稼動路線を強力に推し進めた仙谷由人だった。
仙谷<アメリカのルース大使が非常に困っているようだ>
長島<仙谷さん、僕にできることだったらやりますから、とにかく大使に細野補佐官を1回会わせましょう><大使に一応現状を説明して、そういう中で、何が一緒にできるか考えたらいいではないか>
これが、2011年3月22日に始まった「日米調整会議」の萌芽だった。
いったい何が話し合われたのか?
政府事故調HPにある資料は……。
ほぼすべて黒塗り。
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