東京電力、関西電力は原発を持ちたくなかった「原発は悪魔のような代物」木川田一隆・東電元社長
WH社製の加圧水型シッピングボート原発は、1957年12月に運転を開始した。
米原子力委員会(AEC)は、アメリカ初の原発運転開始を前に、大事故が起きた場合の被害について詳細な検討を行った。報告書「大型原子力発電所の大事故の理論的可能性と影響」が公表されたのは1957年3月。報告書にはこう記されていた。
<最悪の場合、3400人の死者、43000人の障害者が生まれる>
<15マイル(24キロメートル)離れた地点で死者が生じうるし、45マイル(72キロメートル)離れた地点でも放射線障害が生じる>
55年も前に日本の破局は予言されていた。
「核分裂生成物による土地の汚染は、最大で70億ドルの財産損害を生じる」
一企業が支払える補償金ではない!
この報告書により、アメリカの原子力政策は大きな転換を迫られた。人類が原子力による発電をあきらめる、最初の転機が訪れたのである。
「原発は悪魔のような代物」と木川田一隆東電社長は吐き捨てた
「買って使って分解する」正力松太郎の性急な方針に最初に異議を唱えたのが、電力会社だったことは特筆していい。
その急先鋒が、黒部ダムと水力発電所を完成させたばかりの関西電力副社長、一本松珠璣だった。のちに東海原子力発電所総責任者となる一本松は、手記にこう書いている。
<日本では原子力の経験が無く、原子力発電も火力のボイラーが原子炉に代わったくらいと考えた。しかし、この両者は多くの異質の要素を持っていることが漸次明らかになった。考えてみると、これだけ複雑な新技術、未知の工学分野に挑んで、しかも利潤を上げるというのは無理であろう>
「ミスター東京電力」と呼ばれた木川田一隆社長は、周囲の「原子力時代がくる」という声に、こうこたえたという。
「原子力はだめだ、絶対にいかん」
「原爆の悲惨な洗礼を受けている日本人が,あんな悪魔のような代物を受け入れてはならない」
東京電力の豊田正敏は、「原子力政策研究会」でこう言った。
「原発のコストを安くしないとダメだ。他の電源に太刀打ちできるようにしないとダメだ」
官僚が「豊田さんは一貫して経済性を頭の隅においておられましたね」と言うと、
「隅じゃないですよ。真ん中です(笑)」
1954年3月。原発の「経済性」は根底からくつがえされた。
東電も関電も原発などやりたくなかったのである。
拙書『報道詐欺 プロパガンダの百年』より
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