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2016年9月17日 (土)

原子力災害が起きるとマスコミが真っ先に逃げる<一番悩んだのは、中継車を撤収する光景を見て、地域の住民がどういう感じがするか、だった>(日テレ報道局次長)

<第8章 NHKは原発事故を取材しない 

日本のマスコミはJCO臨界事故報道を「大げさだった」と反省した 

 1999年9月30日。茨城県東海村の核燃料工場(JCO)で核分裂が起きた。ウランを加工する容器(貯塔)のなかで核分裂が止まらなくなった。

 亡くなった二人の従業員を襲ったのは中性子である。

「青い光を見た」

 隣室にいた作業員の証言。

 事故の報を受け現地に向かった住田健二原子力安全委員はこう書いている。

<核燃料を取り扱っている場所で、青白い閃光が走ったと思ったら、他人のことなぞかまわずにその場からとにかく逃げ出せ。そうすれば、命だけは助かる可能性があるが、立ち止まってもたもたしていたらおしまいだぞ>(『原子力とどうつきあうか』筑摩書房)

 核分裂の連鎖反応が止まることなく自己維持される状態――「臨界」。

 中性子の恐ろしさは、臨界事故被害者の手の写真が何よりも雄弁に物語っている。

Photo

 大雑把に言えば、莫大な数の分子の結合によって、我々、人間は存在している。細胞膜の主成分は炭素である。人間の分子結合のエネルギーは数電子ボルト。炭素の「くっつく力」が失われたら、人間はドロドロになって崩壊する。

 中性子は物質である。小さな粒々が皮膚の中に入り込む、とイメージしてほしい。

中性子の持つエネルギーは、分子結合のエネルギーの10万倍、100万倍、1000万倍にも達する。こんなものが身体に入り込んでくると、多くの分子が一刀両断にされてしまう。染色体も切りきざまれる。

JCO臨界事故で、ひとりは18グレイ(≒シーベルト)、もうひとりは10グレイの放射線を浴びて、長い闘病の末に亡くなった。この被曝量は、ガンマ線に比べて、中性子線を1・7倍として補正され報告された。

 工場から500メートル圏内の住人への避難要請、10キロ圏内、約31万人に対する屋内退避が呼びかけられ、上空にはヘリコプターが舞った。

 ヘリに乗っていたジャーナリストは何を思っていたのだろう?

 JCO臨界事故は、日本のマスコミにとっても大きな転機となった。

 危険な現場に住人を残し、ジャーナリストが先に逃げる、という光景が展開されたからだ。

<一番悩んだのは、中継車を撤収する光景を見て、地域の住民がどういう感じがするか、だった>(日本テレビ報道局次長『原子力広報におけるリスクコミュニケーション調査報告書』日本原子力文化振興財団)

 テレビクルーはアメダスをチェックし、迫りくる雨雲に青くなって逃げた。

 毎日新聞の記者は役場の広報担当を追っていた。ハイヤーで現場から350メートル圏内に入り、青くなって被曝測定を受けた。

 毎日新聞の臼井研一社会部副部長は<自慢めいた記述にならざるをえない>と前置きしてこう書いている。

<放射能汚染に対する認識には個人差が大きく、住民が暮らしている地域内の取材でも、実は汚染が進んでいるのではないかという疑念にかられる記者もいた。放射能汚染に関する研究・対策が進んでいないことも明らかになり、今は大丈夫でも十年後、十五年後、健康に何らかの影響が出るのではと心配する記者もいた>(『新聞研究』2000年2月)

 経験をつんだ記者がひとりもいなかったということだろう。あわてて調べて、

<しかし、そこで住民が放射能汚染を心配しながらも生活している以上、記者が「不安だ」といって退去したら取材にならない>

 事故から半日が過ぎ、毎日新聞の記者は屋内に退去した。

<記者の安全と取材との間には、解決不能のジレンマがあった>

 日付が変わる頃になると、全員が水戸支局に逃げた。

<常にリスクをゼロにすることはできないが、減らす努力はできる。しかし、リスクを減らそうとすればするほど、取材は弱く、浅くなる>

 これは自慢か?

 冒頭に書いたように、NHKの取材クルーは社内マニュアルにしたがい、

<事故直後(放射性物質や放射線の放出状況がはっきりしない段階)は、事故の起きた施設の周辺での取材は行わないこと>(梅村伊津郎『新聞研究』2000年2月)

記者会見場など「安全圏」にいて、国、自治体の発表を「速報」し続けた。

 次の原子力災害が起きたとき、NHKは「取材をしない」のだ。現場から逃げる。

<茨城県東海村のウラン加工施設で放射能漏れ、作業員二人が被曝>(事故の91分後の「スーパー速報」)

 朝日新聞の佐藤吉雄社会部次長は同じ雑誌の中でこう書く。

<二社会面ではNHKの早すぎる速報と県の情報収集の遅れが、事態を悪化させていった経緯を詳報した>

 早すぎる速報?

<住民に必要以上の不安を持たせないような報道が不可欠><住民の不安には><我々も含めて報道にも原因があった。例えば、NHKが台風や地震のような型の災害報道を続けたことの影響も小さくない。放射能漏れ事故という前置きで、「十キロ圏の屋内退避」を県の発表の前に速報した>

 朝日新聞がJCO臨界事故から得た教訓とは?

<何キロも離れた人が家に閉じこもる必要はなかった>

「屋内退避する必要はない」と書くべきだった。列車を止める必要はなかった。白い防護服と防塵マスクで交通整理する警察官の姿が世界に伝えられたことは、

<チェルノブイリ事故の取材経験のある科学部デスクは、テレビを見ながら、「ばかな。今回の事故は明らかに違う」と強く主張した>

 報道は大げさだった。

朝日新聞はそう考えた。

<反響が大きく、東海村の村上達也村長が「チェルノブイリ型とは違うのに、村民に不安心理がまん延していて、どう説明していいか苦慮していた」とお礼の電話をかけてきた>

 このとき、日本のマスコミ人に「大げさなことは書かないようにしよう」という心理が埋め込まれた。原発推進派は、「大げさではない」朝日新聞の記事に拍手喝さいした。

 そんなバカな!>

 拙書『報道詐欺 プロパガンダの百年』より

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