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2016年9月25日 (日)

「3・11」直後「日米調整会議」日本代表、細野豪志の闇 朝日新聞の取材を拒否 米国訪問は「オフレコ」 そして、大飯原発再稼動へ

 菅直人は、まったく役に立たなかった自衛隊ヘリからの冷却水投下、というプロパガンダ、パフォーマンスをやって、直後にオバマと電話会談を行った。

 日米同盟の危機はこうして回避された……ということに表向きなっているが……。

<……翌十七日の午前一〇時二二分から始まった菅首相とオバマ大統領との電話会談では、オバマ大統領が「東京エリアに居住する米国民は同エリアから出るように促す予定である」と切り出した。>(木村英昭『官邸の一00時間』岩波書店)

 実際はまったく逆だった。

<菅首相とオバマ大統領の電話会談が約30分にわたって行われ、大統領からは日本にいる米国民に対して避難勧告を出す予定であるとの発言があった。>(福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書)

 自衛官による決死の作戦は逆効果だったのだ。

 ユーチューブには、米兵の家族が厳重な放射能検査を経て、厚木基地から飛び立つ動画が投稿されている(日付は3月21日)。

 米政府による「在日米国人全員退避」の方針は揺るがず、日米同盟は終わった。いや、正確には「独立した民主国家」同士が結んだ同盟が崩壊した。

 

 同盟崩壊後に始まった「日米調整会議」とはなんだったのか?

 いったい何が話し合われたのか?

 政府事故調HPにある資料は、ほぼ黒塗り。米国側の出席者は姓名すら黒塗り。13名の出席者が記されているが、名前がわかるのは「Kurt Tong 」(現在の香港・マカオ総領事。当時は外交官として東京にいた)「Rob Luke」(公使)の2名のみ。読めるのは会議に先立って行われた「日本側調整会議概要」だけで「米国の会合」はすべて真っ黒に塗りつぶされている。

 360度どこから見ても完全な秘密会議。「日本人には知らせていけないこと」が話し合われた。

 日本側の出席者。

<細野総理補佐官、福山官房副長官、長島衆議院議員>

 これも奇妙だ。一介の総理補佐官が副長官の前に記されている。

 トップの福山哲郎は実はお飾りで、本当の「日本代表」は細野だったということだろう。

 米国側が「ホソノ・プロセス」と呼んだ日米調整会議を、細野はブログで自画自賛している。

<会館の事務所には、国務省の関係者が持ってきてくれた「ホソノ・プロセス」のパネルがあります。あの時、私は日米同盟の厳しさとありがたさを痛感しました。>

<あのプロセスがなければ、米国、そして世界に更に大きな不信感を与えることになったと思います。>(2013年4月10日)

 パネルは二枚ある。

「プレ・ホソノ・プロセス」と題された一枚は、米国側が個々に情報を収集しようとして線がぐちゃぐちゃになった情報系統図。

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「ホソノ・プロセス」と題されたもう一枚は、「米国チーム」と「KANTEI」が一本の直線で結ばれている。

Photo_2

 なぜ、細野豪志は米国側から絶賛されたのか?

 なぜ、原発は再稼動されたのか?

 

 東電本店で行われた記者会見で私は何度も聞いてきた。

「情報は包み隠さず皆様にお知らせする」(細野豪志)

 どの口で言っているのか?

 細野は、朝日新聞連載「プロメテウスの罠」の取材を拒否した。

<取材に応じなかった者もいる。当時首相補佐官だった細野豪志氏もその一人だ。文書や電話で何度か申し込んだが、梨の礫だった。>(木村英明『官邸の100時間』岩波書店)

『官邸の100時間』は「プロメテウスの罠」を元に書き上げられた。著者の木村は「吉田調書誤報事件」で消された朝日新聞記者である。

 細野は政府事故調の聴取には応じているが、「ここからはオフレコで」と何度もICレコーダーを止めさせている。事故調が細野の米国訪問(2011年6月)について聞くと、

<2つ意味があって、英米仏に行ったのは、この3か国はいろんな技術協力をしてくれたので、そこに対するお礼と、あとは、これはちょっと国益上余り記録に残したくないので。

○質問者 ちょっと止めてください。>(2011年12月14日聴取)

 話が太平洋を越えると文書もインタビューも黒塗りとなる。

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2016年9月22日 (木)

雨の東電福島第一原発 汚染地下水バキュームカー汲み取り作戦失敗 一方、K排水路がさらなる暴走

 原発地下水位が地表面と同等になりました。

 東京電力がやった対策がこれ↓
 
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 バキュームカー作戦。
 
 台風対汲み取り。
 
 そんなんじゃダメだろう、と思っていると……。
 
 
 9月22日(本日)18:25頃。
 
 またしても地下水位が地表面と同等になった。
 
 バキュームカー作戦失敗。
 
<港湾口海水放射線モニタに優位な変動がないことを確認しています。>(東電 報道関係各位一斉メール)
 
 すでに海の汚染過去最高値が記録されています!
 
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 場所はここ↓
 
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 当然、最悪の汚染水は外洋に出ます。
 
 東京オリンピック開催中もバキュームカー汲み取りを続けるの?
 
 東電の奮闘努力の甲斐もなく
 
 K排水路は目も当てられない状況になっています。
 
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2016年9月21日 (水)

東電福島第一原発 汚染地下水流出 2地点で過去最高値 35万Bq最大汚染井戸から直線状に並ぶ

 9月20日21時57分頃。

 東電福島第一原発。
 
 地下水位が地表と同じ高さに。
 
 9月21日7時~。
 
 海の2地点で過去最高値を記録↓
 
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 7時37分「1号機取水口」↓
 
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 セシウム137 95Bq/L
 
 告示濃度限度(90Bq/L)超え。
 
 7時58分「1~4号機取水口内北側」↓
 
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 セシウム137 74Bq/L
 
 場所はここ↓
 
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 最大汚染、全ベータ35万ベクレルの井戸がここ↓
 
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 過去最高を記録した地点はこの井戸から直線状に並んでいる。
 
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 すぐ出るはずのセシウムのデータが4地点で「分析中」。
 
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「分析中」の意味するものは?

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東電福島第一原発地下水ストロンチウム56万ベクレルの衝撃 今年8月2日 以降、雨が降り続き、海の汚染は最悪となった

 地下水観測孔1-6↓

 
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 ここで何が起きているのか!?
 
 最新のストロンチウム90データ↓
 
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560000Bq/L!!
 
 法定濃度の18667倍!!
 
 青枠の部分を見てください。
 
 ストロンチウムの値が全ベータより大きい!?
 
 科学的にありえない!!
 
 ストロンチウム90は全ベータの約半分!!
 
 東京電力はなぜ
 
 いまだにこんなデータを平気で公表しているのか!?

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東電福島第一原発 全ベータ35万ベクレルの地下水が海に流出か? 

 9月20日21時57分ごろ。
 
 発電所内4m盤↓
 
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 上の部分の地下水が地表面と同等の水位となりました。
 
http://www.tepco.co.jp/press/mail/2016/1325051_8708.html
 
 嵐の中の作業の様子↓
 
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 地下水位が地表面を越えると
 
 汚染水が海に流出します。
 
 地下水はどれくらい汚染されているのでしょうか?
 
 東電公表の最新データ↓
 
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 全ベータ 350000Bq/L
 
 場所はここです↓
 
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 ストロンチウム90 推定157500Bq/L
 
 告示濃度限度の5250倍。

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原発がやめられないのは米国のせいなのか? 歴史から消された「米原子力規制委員の東電本店殴り込み」事件 仲裁したのは「対米盲従」「原発推進」あの長島昭久だった

 2011年3月18日。

<18日の朝にアメリカのNRCが東京電力に初めて来たのです。統合対策本部にいよいよ来たわけです。>(長島昭久 政府事故調聴取結果書 2012年2月2日聴取)

 表向きの歴史はこうなっている。

「3・11」当日から米政府と米原子力規制委員会(NRC)はいら立っていた。

「米軍が支援に向かったのに日本政府は原発事故情報をまったく出さない」

「グレゴリー・ヤツコNRC委員長に日本人は『支援はいらない』とメールしてきた」

 その他いろいろ。

 3月15日。バラク・オバマ大統領は「全米国人の日本脱出計画」を検討していた。

 米国は菅直人を脅した。

「英雄的犠牲が必要だ」

 つまり、「原発に突っ込んで日本人は死ね!」ということだ。

 菅直人は、まったく役に立たなかった自衛隊ヘリからの冷却水投下、というプロパガンダ、パフォーマンスをやって、直後にオバマと電話会談を行った。

 日米同盟の危機はこうして回避された……ということに表向きなっているが……。

 翌3月18日朝。NRCのチャールズ・カストーら数名が、東京電力本店に直談判にやって来ていた。

<いろいろなところに行ったのだけれど実態がよくわからんということで東京電力に来たのです。>

 対応したのは……。

 原発事故報道ではまったく表に出なかった男。元米外交問題評議会アジア政策担当上席研究員。安倍政権の解釈改憲に賛成した民主党議員。「原発再稼動」「菅直人退陣」を要求した男……長島昭久だった。

 その後のやりとり。

長島<これは相当やばいんじゃないの。こんな原発が大変だと言っていて、NRCが来てくれていて、情報共有ができていない。隠すものがあるのかどうかそこは知らないけれども、どうなんだ>

細野豪志<何かいい案はありますか>

長島<ちょっと僕も考えてみるよ>

 長嶋が次に訪ねたのは……。

「菅おろし」→東電延命→原発再稼動路線を強力に推し進めた仙谷由人だった。

仙谷<アメリカのルース大使が非常に困っているようだ>

長島<仙谷さん、僕にできることだったらやりますから、とにかく大使に細野補佐官を1回会わせましょう><大使に一応現状を説明して、そういう中で、何が一緒にできるか考えたらいいではないか>

 これが、2011年3月22日に始まった「日米調整会議」の萌芽だった。

 いったい何が話し合われたのか?

 政府事故調HPにある資料は……。

Photo

 ほぼすべて黒塗り。

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2016年9月20日 (火)

東電福島第一原発に暴風警報 今月19日中10日法定濃度超えのK排水路 汚染水流出に警戒を

 双葉町、大熊町に暴風警報+大雨注意報。

 
 先月後半から今月にかけて
 
 暴走を続ける福島第一原発K排水路。
 
 今月の東電公表データ↓
 
1910_2
 
 全ベータの45%がストロンチウム90と仮定すると
 
 全ベータ 告示濃度限度 63Bq/L
 
 セシウム137 告示濃度限度 90Bq/L
 
19日中10日!
 
 告示濃度限度超え!!
 
 法律に違反した日、
 
 犯罪を行った日が、
 
 法律を守った日よりも多い!!
 
 台風接近!
 
 汚染水流出に警戒を!!

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「3・11」直後「今の原稿使っちゃいけない」NHKのウソ「電池が8時間、炉心を冷却」「水位は燃料+1m」保安院のウソ 甲状腺がんの子どもに謝罪なし

「3・11」直後、支配層、マスコミが殺した「国民に知らせるべき情報」。

<1号機水位低下。ダウンスケール時の-150cm。現在のまま低下していくとTAF(燃料頂部)まで1時間>(東電福島第一原発情報班メモ)

 2011年3月11日午後6時15分頃「燃料露出」情報を幽霊にしたのは経産官僚だ。

 情報を消しただけではない。首相官邸に呼ばれた東電幹部、原子力安全・保安院は嘘八百を並べている。

 3月11日。

 19:03 原子力災害対策本部会議。

<冷却用の非常用ディーゼル発電機→系統 津波で動かない→電池で動く冷却系で冷やしている><8h→超えると><炉心温度が上がると→10h メルトダウンを起こすという>(官房副長官(当時)福山哲郎のメモ)

 バッテリーで動く冷却系?

 そんなもの存在しなかった。その「存在しないものが」炉心を冷やし続けているが、「8時間で電池切れ」「10時間でメルトダウン」するという。管直人をはじめとする政治家はそれを信じ「電源車集め狂想曲」が展開された。

 同席していた広報担当審議官・下村健一が残したメモはさらに意味深だ。

<電源確保中→8hで切れる><約10h(? 不公表)で危険>

<(? 不公表)>とは、会議で「メルトダウンは国民に知らせるな」と決まった、ということだ。

 真っ赤なウソの次は情報遮断。

 官邸にいた原子力安全・保安院の平岡英治審議官は「自ら行った解析」を隠した。

<3月12日0:50 炉心溶融>

 そのわずか7分後。平岡と斑目春樹・原子力安全委員会委員長(当時)がついた大ウソは記憶されていい。

<炉心は溶けていない><水位+1m>(福山メモ)

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平岡英治 原子力安全・保安院次長(当時)

「燃料はたっぷりの水に沈んでいる」というウソを元に1号機のベントが行われた。排気筒から放たれた強烈な放射能雲は北に向かい宮城県に上陸。岩手県南部まで汚染は広がった。

 3月12日。

「ちょっとね、今の原稿使っちゃいけないんだって」

 12:12 NHKのスタッフと思われる男の声をアナウンサーのマイクが拾ってしまった。

「原子力安全・保安院などによりますと、福島第一原子力発電所1号機では、原子炉を冷やす水の高さが下がり、午前11時20分現在で、核燃料棒を束ねた燃料集合体が水面の上、最大で90センチほど露出する危険な状態になったということです。このため、消火用に貯めていた水など、およそ2万7千リットルを仮設のポンプを使うなどして原子炉の中に流し込み、水の高さを上げるための作業を行っているということです。この情報をくり返します」

「ちょっとね、今の原稿使っちゃいけないんだって」

 アナウンサーはくり返すことができなかった。

 完全な自主規制。NHKは「史上初のメルトダウン報道」を自らの手で殺した。

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2016年9月18日 (日)

「3・11」当日、菅直人は1号機メルトダウンを知っていた!?「1700mm燃料露出」衝撃の平岡英治・保安院次長証言「11日のことはあまり記憶がない」枝野幸男

 2011年3月11日午後8時ごろ。首相官邸5階で住民避難についての会議が行われた。

 出席していた平岡英治は、政府事故調の聴取で驚くべきことを語っていた。

http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/hearing_koukai_3/134_koukai.pdf

<いつの話であったか正確な記憶はないが、相当早い段階で、東電から原子炉水位がTAF(有効燃料頂部)からマイナス1700mmという情報がもたらされ、官邸5階においては、この情報が正しいかは確かめようがないが><もし正しければ炉心の一部が露出しており、燃料損傷までに要する時間はそれほど長くないであろうとの議論が行われていた。>(2011年8月26日)

 もし、これが事実なら、菅直人は5年以上、ウソをつき続けたことになる。

<しかし当時総理の私に届いていた報告記録を見てもそうした記述は見当たらない。逆に当日22:00には1号機はTAF+550mmという連絡が東電から来ていた。>(菅直人HP 2016年4月6日)

 菅は安心しきっていた?

 この会議を仕切っていたのは、枝野幸男官房長官(当時)だが……。

 この会議が始まった頃、テレビは枝野の談話を伝えていた。

「福島第一原発をめぐる原子力緊急事態宣言について、対象区域内の居住者らは現時点で特別な行動を起こす必要はない」

 1号機の二重扉付近にさしかかった作業員の線量計の針が振り切れたのも、ちょうどその頃だった。

 さらに奇妙なのは、政府事故調による枝野幸男聴取記録だ(2012年3月15日)。

http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/hearing_koukai/641_koukai.pdf

 枝野はこう切り出す。

<まず、私は余り記憶力がよくないので正直に言って詳細な時刻あるいは順番とかも、余り自信がないところがたくさんあります。>

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 事故調がイの一番で聞きたかったのは「原子力緊急事態宣言発出の経緯」だったのだが……。

<まず初日で、原子力緊急事態宣言の発出ということで質問事項をいただいているんですが、私自身が原発の方がメインだなと思ったこと自体、あえて言えば、12日の未明でベントができていないというのでたたき起こされたときかなと思っていまして>

 原発事故は二の次だった!?

<実は11日の原子力緊急事態宣言の発出のプロセスとかということの記憶は余りありません。>

 記憶がない、だと!?

<勿論出していることはわかっていますし、全閣僚に準ずるぐらいのメンバーで原災本部を開催した記憶はありますが、当時そこに余りコミットしていた記憶は余りありません。>

 わたくし、枝野は関係ない!?

<むしろ初日は、例えば16時台とか、私は帰宅難民対策をやっていました。むしろ地下の危機管理センターで国土交通省にどうなっているんだとどなっていました。いつになったら鉄道が動くのか、動かないのか、情報を早く集めろと言ってやっていました>

 原発事故より山手線が心配!?

 これを読んで「枝野は正直に話している」と思う国民がどこにいる!?

「3・11」当日の枝野「劇場」。

20:01「福島第一原発をめぐる原子力緊急事態宣言について、対象区域内の居住者らは現時点で特別な行動を起こす必要はない」

21:23「福島第一原発から半径3キロ以内の住民は避難してください」

21:51「今の時点では、環境に危険は発生しておりません」

「不確実な噂などに惑わされることなく、確実な情報だけに従って行動するようお願いをいたします」

 当然、記者からは不満の声が上がる。

「さっきは『逃げなくていい』って言ってたじゃないか?」

「常にこういった場合には、一番悪いケースを想定して準備をすべきであると考えております」

「放射能が漏れる可能性があるってことだろ?」

「常にこういった場合には、一番悪いケースを想定して準備をすべきであると考えております」

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2016年9月17日 (土)

原子力災害が起きるとマスコミが真っ先に逃げる<一番悩んだのは、中継車を撤収する光景を見て、地域の住民がどういう感じがするか、だった>(日テレ報道局次長)

<第8章 NHKは原発事故を取材しない 

日本のマスコミはJCO臨界事故報道を「大げさだった」と反省した 

 1999年9月30日。茨城県東海村の核燃料工場(JCO)で核分裂が起きた。ウランを加工する容器(貯塔)のなかで核分裂が止まらなくなった。

 亡くなった二人の従業員を襲ったのは中性子である。

「青い光を見た」

 隣室にいた作業員の証言。

 事故の報を受け現地に向かった住田健二原子力安全委員はこう書いている。

<核燃料を取り扱っている場所で、青白い閃光が走ったと思ったら、他人のことなぞかまわずにその場からとにかく逃げ出せ。そうすれば、命だけは助かる可能性があるが、立ち止まってもたもたしていたらおしまいだぞ>(『原子力とどうつきあうか』筑摩書房)

 核分裂の連鎖反応が止まることなく自己維持される状態――「臨界」。

 中性子の恐ろしさは、臨界事故被害者の手の写真が何よりも雄弁に物語っている。

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 大雑把に言えば、莫大な数の分子の結合によって、我々、人間は存在している。細胞膜の主成分は炭素である。人間の分子結合のエネルギーは数電子ボルト。炭素の「くっつく力」が失われたら、人間はドロドロになって崩壊する。

 中性子は物質である。小さな粒々が皮膚の中に入り込む、とイメージしてほしい。

中性子の持つエネルギーは、分子結合のエネルギーの10万倍、100万倍、1000万倍にも達する。こんなものが身体に入り込んでくると、多くの分子が一刀両断にされてしまう。染色体も切りきざまれる。

JCO臨界事故で、ひとりは18グレイ(≒シーベルト)、もうひとりは10グレイの放射線を浴びて、長い闘病の末に亡くなった。この被曝量は、ガンマ線に比べて、中性子線を1・7倍として補正され報告された。

 工場から500メートル圏内の住人への避難要請、10キロ圏内、約31万人に対する屋内退避が呼びかけられ、上空にはヘリコプターが舞った。

 ヘリに乗っていたジャーナリストは何を思っていたのだろう?

 JCO臨界事故は、日本のマスコミにとっても大きな転機となった。

 危険な現場に住人を残し、ジャーナリストが先に逃げる、という光景が展開されたからだ。

<一番悩んだのは、中継車を撤収する光景を見て、地域の住民がどういう感じがするか、だった>(日本テレビ報道局次長『原子力広報におけるリスクコミュニケーション調査報告書』日本原子力文化振興財団)

 テレビクルーはアメダスをチェックし、迫りくる雨雲に青くなって逃げた。

 毎日新聞の記者は役場の広報担当を追っていた。ハイヤーで現場から350メートル圏内に入り、青くなって被曝測定を受けた。

 毎日新聞の臼井研一社会部副部長は<自慢めいた記述にならざるをえない>と前置きしてこう書いている。

<放射能汚染に対する認識には個人差が大きく、住民が暮らしている地域内の取材でも、実は汚染が進んでいるのではないかという疑念にかられる記者もいた。放射能汚染に関する研究・対策が進んでいないことも明らかになり、今は大丈夫でも十年後、十五年後、健康に何らかの影響が出るのではと心配する記者もいた>(『新聞研究』2000年2月)

 経験をつんだ記者がひとりもいなかったということだろう。あわてて調べて、

<しかし、そこで住民が放射能汚染を心配しながらも生活している以上、記者が「不安だ」といって退去したら取材にならない>

 事故から半日が過ぎ、毎日新聞の記者は屋内に退去した。

<記者の安全と取材との間には、解決不能のジレンマがあった>

 日付が変わる頃になると、全員が水戸支局に逃げた。

<常にリスクをゼロにすることはできないが、減らす努力はできる。しかし、リスクを減らそうとすればするほど、取材は弱く、浅くなる>

 これは自慢か?

 冒頭に書いたように、NHKの取材クルーは社内マニュアルにしたがい、

<事故直後(放射性物質や放射線の放出状況がはっきりしない段階)は、事故の起きた施設の周辺での取材は行わないこと>(梅村伊津郎『新聞研究』2000年2月)

記者会見場など「安全圏」にいて、国、自治体の発表を「速報」し続けた。

 次の原子力災害が起きたとき、NHKは「取材をしない」のだ。現場から逃げる。

<茨城県東海村のウラン加工施設で放射能漏れ、作業員二人が被曝>(事故の91分後の「スーパー速報」)

 朝日新聞の佐藤吉雄社会部次長は同じ雑誌の中でこう書く。

<二社会面ではNHKの早すぎる速報と県の情報収集の遅れが、事態を悪化させていった経緯を詳報した>

 早すぎる速報?

<住民に必要以上の不安を持たせないような報道が不可欠><住民の不安には><我々も含めて報道にも原因があった。例えば、NHKが台風や地震のような型の災害報道を続けたことの影響も小さくない。放射能漏れ事故という前置きで、「十キロ圏の屋内退避」を県の発表の前に速報した>

 朝日新聞がJCO臨界事故から得た教訓とは?

<何キロも離れた人が家に閉じこもる必要はなかった>

「屋内退避する必要はない」と書くべきだった。列車を止める必要はなかった。白い防護服と防塵マスクで交通整理する警察官の姿が世界に伝えられたことは、

<チェルノブイリ事故の取材経験のある科学部デスクは、テレビを見ながら、「ばかな。今回の事故は明らかに違う」と強く主張した>

 報道は大げさだった。

朝日新聞はそう考えた。

<反響が大きく、東海村の村上達也村長が「チェルノブイリ型とは違うのに、村民に不安心理がまん延していて、どう説明していいか苦慮していた」とお礼の電話をかけてきた>

 このとき、日本のマスコミ人に「大げさなことは書かないようにしよう」という心理が埋め込まれた。原発推進派は、「大げさではない」朝日新聞の記事に拍手喝さいした。

 そんなバカな!>

 拙書『報道詐欺 プロパガンダの百年』より

「本をくれ」とメールしてください。

nakadajun@nifty.com

 郵送いたします。 

 中田潤メルマガのバックナンバーでも読めます。

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2016年9月16日 (金)

東電福島第一原発事故後、真っ先に逃げ出したのは経産官僚とマスコミだった「原発事故は取材しない」と明記されたNHK社内マニュアル

<「まず誰よりも先に現場に行く」

 これが記者の習性である。しかし、社内の規定があって原発には近づけない。たとえば、朝日新聞の記者は50キロ圏内に入ってはいけない。神林さんがそう書くと朝日新聞が『別冊宝島』にクレームをつけてきた。

「そんな社内規定はない」

「40キロ圏内まで」というNHKの規定についても、広報部が否定している。

 マスコミに社内規定は存在しない?

 じゃあ、この文書はなんだ!?

Photo

<NHKは取材全般にかかわる安全委員会で、原子力事故が起きた時にどうすべきか、マニュアルを作った>(原子力広報におけるリスクコミュニケーション調査報告書)

 この文書は、1999年9月のJCO臨界事故をうけ、日本原子力文化振興財団によって、2001年にまとめられた。

<無用の被ばくは最小限にする、やむを得ず被ばくする場合でも一般人の年間被ばく限度1msvを超えない>

 法律遵守は理解できるが……。

<事故直後(放射性物質や放射線の放出状況がはっきりしない段階)は、事故の起きた施設の周辺で取材は行わないこと>

 この一節にはのけぞった。

 放射能の状況をはっきりさせ、国民に伝えるのが公共放送の仕事だ!

 誰かに安全を確認してもらってからでないと、日本人ジャーナリストは事故現場に入らない。倒錯にもほどがある。

 ジャーナリストのために、安全を確認するのは誰?

 原子力安全・保安院か?

 事故直後、保安員の職員が福島第一原発から福島県庁へと避難していた事実が発覚した。全員が逃げ出したのだ。

 原子力安全委員会の斑目春樹委員長か?

 視察のヘリコプターの中。斑目は菅直人首相にこう言った。

「爆発はしない」

 菅は怒鳴ったといわれている。

「水素が出てくれば爆発するだろう!」

 原子力災害取材についての社内規定を公表しているマスコミは一社も存在しない。いわば、マスコミのタブー。大衆には秘密にしておいて、原発推進団体に対しては、平気でこう語るのだ。

<危険を冒して撮る必要はないというのが大原則だ>(NHK科学文化部長)

 NHKが大衆のためにあるのではなく、プロパガンダで大衆を誘導する側であることをこの文書ははっきりと示している。<みなさまのNHK>は、大衆から金を集め、一部の支配層のために働いているのだ。>

 拙書『報道詐欺 プロパガンダの百年』より

 本日9月15日。 

 この本の書籍CD―Rを緊急配布いたします。 

 地下鉄霞ヶ関駅 経産省前テント広場 19時~ 

 お気軽にお立ち寄りください。 

「本をくれ」とメールしてください 

nakadajun@nifty.com 

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2016年9月15日 (木)

原発と官僚独裁<トラブルをマスコミに発表する前、電力会社と通産省の間では電話とファクシミリが飛び交う>官僚の検閲は国会で暴露されていた

<原子力災害時の情報操作について、大手マスコミは何も語らない。しかし、業界の専門紙記者がポロリと漏らしたことがあった。

<トラブル内容をマスコミに発表する前、電力会社の広報部門と通産省の間では電話とファクシミリが飛び交う。発表文の一字一句にチェックが入る。発表前に待ったがかかったこともある>(『日経産業新聞』1992年10月27日)

 事故を把握した電力会社は、記者発表の前に通産省にお伺いを立てる。

 ここでプロパガンダが発動される。

 国の役割は、主に削除と隠蔽であることが、国会で暴露されたことがあった。

 1986年11月27日。衆議院科学技術委員会。小沢克介議員(当時。以下肩書きはすべて当時のもの)が入手した日本原子力発電(原電)の「官庁折衝メモ」が読み上げられた。

<国「敦1はOK、但し公開要求があったらHPCIトラブルについては非公開と主張すること」>

原電「了解」>

 国側の発言者は、資源エネルギー庁の職員。トラブルは敦賀原発1・2号機で起きた。

<国「敦2の出力変動の記載細かすぎる>

 国が注文をつけているのは、原電が福井県敦賀市に提出予定の資料である。

<国「もっと簡略化できないか。ここまでプラント挙動が公開されるのは困る」>

 国の隠蔽工作が、はっきりと刻まれている。

<原電「何時何分に出力変動があったかを記載するようフォーマット定められており、訂正困難。試運転時なので細かくなる」

国「今回は、このままでよいが、来月以降、詳細は別添にする等検討して欲しい」

原電「難しいが検討してみる」>

 国は、一貫して「事故を小さく見せる」ためのプロパガンダを行ってきた。

 なんと四半世紀も前から!>

 
 拙書『報道詐欺 プロパガンダの百年』より
 
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 明日9月15日。
 
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2016年9月14日 (水)

原発と官僚独裁 菅直人に知らされなかった「1号機水位急低下」14分間で60cm低下 2011年3月11日18時15分頃に燃料露出 経産省官僚、原発からの逃亡

「3・11」津波到達直後、国民に伝えるべき最も重要な情報はなんだったのか?

<この間、ルース(引用者註・米駐日大使)がもっとも衝撃を受けたのは12日の根井寿規原子力安全・保安院審議官との電話だった。

 根井は「1号機がメルトダウンを始めている」と気忙しげに言った。

「メルトダウン? メルトダウンと言ったのか?」

 しかし、ルースが心底打ちのめされたのは、根井の次の言葉だった。

「すみません、いまメチャクチャ忙しいので。撤退の準備を始めている」

「撤退? 誰が? どこへ? その根拠は?」

 ルースはもっと詳しく根井に質したかったが、根井は「忙しいので申し訳ない」と言って、電話を切った。>(船橋洋一『カウントダウン・メルトダウン』文藝春秋)

 なぜ、経産官僚だけが「1号機メルトダウン」を知り、一目散に逃げたのか?

 真相は9ヶ月以上、隠された。

 2011年12月26日発表の「政府事故調」中間報告から、時系列で見ていこう。

 2011年3月11日。東電福島第一原発1号機。

 15:37 全交流電源喪失。原子炉水位の監視ができなくなった。

 16:45 1、2号機。水位監視不可。注水状況不明。原災法第15条通報。

 この3分前に「血の凍る14分間」が存在した。

 16:42 突如、水位計が復活した。

「水位が下がっている」

「いや待て。水位は今も、ものすごい勢いで下がり続けている」

 16:56 水位計の針は落ちた。ダウンスケール。一番下まで落ち、水位計は再び死んだ。

「……14分間で60センチも下がった……」

  データは技術班に持ち込まれ、メルトダウンまでの時間を予測した。

 17:15<1号機水位低下。ダウンスケール時の-150cm。現在まま低下していくとTAF(燃料頂部)まで1時間。>(情報班のメモ)

 このデータが正確なら、2011年3月11日18時15分頃、1号機のメルトダウンが始まった。

 最も重要な情報が消された。

 その頃、テレビはなんて言っていた?

「福島第一原発は4機すべてが自動で停止しました。いずれも外部への放射能漏れの恐れはないということです」(日本テレビ 17:57)

「福島第一原発では今のところ、放射性物質が漏れるなどの外部への影響はないということです」(NHK 18:20)

 

 菅直人元首相がこのメモの存在を知ったのは、なんと、5年以上が過ぎた今年4月。新潟県発表の資料からだったという。

<しかし当時総理の私に届いていた報告記録を見てもそうした記述は見当たらない。逆に当日22:00には1号機はTAF+550mmという連絡が東電から来ていた。>(菅直人HP 2016年4月6日)

 TAF+550mm!? 1号機燃料はたっぷりの水の底で眠っていた?

 そんな資料、私は一度も見たことがない。

<そこで今回、当時の原子力安全保安院の後継組織である原子力規制庁に東電から「TAFまで1時間。」という連絡が保安院に来ていたかを確かめたが、来ていないという。東電にも確かめたが現時点まではっきりした返事は来ていない。>

 保安院が知らなかった!?

 真っ赤なウソ。究極のヨタ話だ。

 通産省→経産省は、これまでずうっと、マスコミ向けの「原発事故情報」をすべて検閲し、修正してきた。3日後の14日に「プレスを止め」たのも保安院の官僚。どこからどう見たって、まず、疑われるべきは経産官僚だ。

 この国では、官僚がどんなウソをついても免責される。官僚のみ治外法権。だから、どんな政権になっても官僚はへっちゃらだ。官僚独裁国家は選挙を何度やっても変わらない。

 

 2011年3月11日。東電福島第一原発にいた保安院職員は何をやっていたのか?

「政府事故調」の中間報告を読んで腰が抜けそうになった。

<……地震発生後、同月12日未明までの間、保安検査官は、免震重要棟2階にいたが、緊急時対策室横の会議室に留まり、同室において、発電所対策本部から提供されるプラントデータを受け取り、携帯電話又は衛星携帯電話を用いて、その内容をオフサイトセンターやERCに報告するのみであった。>

 ウソつけ!

 じゃあ、なんでこいつだけ夜逃げのように消えたのか?

<実際には、保安検査官が、発電所対策本部に対し、必要な指導・助言をした形跡はまったく見当たらず、当時、保安検査官が免震重要棟にいたことによって事故対処に何らかの寄与がなされたという状況は全く見受けられなかった。>

 官僚はいつも「ぼくちん無能ですから」とバカのふりをしたら無罪放免される。

 ……実際には……保安検査院は横の会議室で検閲していた。国民に「知らせていい」情報と「知ってもらっちゃ困る」情報をより分けていて、自分が握りつぶした情報に恐れをなして逃げたのだ。

 18:15頃、メルトダウン開始。

 19:50頃、建屋に入ろうとした作業員が、1号機の二重扉付近にさしかかったところ線量計が振り切れる。300cpm超。

 21:51 1号機立ち入り禁止……。

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この写真も5年近く公開されなかった!

1号機ベント 煙は海に向かっていない!

企業犯罪!

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2016年9月12日 (月)

「メルトダウンが始まった」「撤退の準備で忙しい」米駐日大使の電話を一方的に切った経産官僚・根井寿規 2011年3月12日 逃げた根井はマスコミへの情報を遮断した

 日本には10万人以上の米国人が暮らしている。

「米軍の方々も、健康影響という面ではまったく問題ない」(斗ヶ沢秀俊)

 この毎日新聞編集委員の言葉を聞いて「安心しました」と言う米国人がひとりでもいたか!?

 このとき、米オバマ政権は苛立ちの極致にあった。

<12日早朝。原子力安全基盤機構(JNES)の曾我部捷洋理事長は、グレゴリー・ヤツコNRC委員長宛に電子メールを送り、NRCからの支援の申し出に対して丁重に謝意を表すとともに、その時点ではその申し出を断った。

「日本側は米国政府の対日支援を敬遠しているのか?」

 米側に戸惑いが生まれた。>(船橋洋一『カウントダウン・メルトダウン』文藝春秋)

 日本の「原子力ムラ」は同盟国の支援を拒絶した。これが「民主国家崩壊→独裁」の萌芽だった。

<この間、ルース(引用者註・米国駐日大使)がもっとも衝撃を受けたのは12日の根井寿規原子力安全・保安院審議官との電話だった。

 根井は「1号機がメルトダウンを始めている」と気忙しげに言った。

「メルトダウン? メルトダウンと言ったのか?」

 しかし、ルースが心底打ちのめされたのは、根井の次の言葉だった。

「すみません、いまメチャクチャ忙しいので。撤退の準備を始めている」

「撤退? 誰が? どこへ? その根拠は?」

 ルースはもっと詳しく根井に質したかったが、根井は「忙しいので申し訳ない」と言って、電話を切った。>

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根井寿規

 撤退の準備?

 東電福島第一原発から真っ先に逃げ出したのは経産省の官僚だった。

 2011年3月12日朝。原発免震重要棟にいた原子力安全・保安院の職員は、5キロ離れたオフサイトセンターへ退避した。

 米駐日大使がじきじきに電話をかけてきたのに、審議官ごときが、

「逃げなきゃいけないので話せない」

 なぜなのか?

 米政府だけでなく、「すべての市民」への原発情報を遮断するためだ。

「原発で起きていることは全人類に知らせていけない」

 経産省の態度は一貫している。今も。

「ちょっとね、今の原稿使っちゃいけないんだって」

 NHKテレビが「拾っちゃいけない音声」を全国に流したのは、12日の12時過ぎ。「1号機原子炉の燃料棒が90センチ露出している」という原稿をくり返し伝えようとしていたときだった。

「使っちゃいけない」という指示は経産省から出ていた。これまで、経産省は原発事故の報道原稿をすべて検閲してきた。

 3月14日07時49分。

「今、NISA、保安院からも官邸に向かって共同で処理していますが、プレス(報道発表)を止めているそうです」(東電テレビ会議)

 情報遮断。このとき「市民のために権力を監視する」はずの日本のマスコミは死んだ。記者は現場に向かうのではなく、現場から逃げた。

 70年前の「大本営発表」が幽霊のようにこの国を覆った。

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9月9日 東電福島第一原発 汚染水外洋へ流出 この夏4度目の国際犯罪

 台風直撃だけが問題ではありません!

 
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 2016年9月9日。強烈な汚染水が外洋へ!
 
 青線は「港湾口」↓
 
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 外洋への流出です。
 
 地下水、遮水壁の問題ではありません!
 
 最大の汚染はK排水路です↓
 
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 雨が降ったら、東電は国際犯罪を起こす!
 
 東京オリンピックは今すぐ返上!

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2016年9月11日 (日)

新聞記者は米兵の命をどう考えているのか!?「米軍の方々も健康影響という面ではまったく問題ない」「検査の必要ない」斗ヶ沢秀俊・毎日新聞編集委員 2011年3月14日

 トモダチ作戦に駆けつけてくれた米軍に対しても、斗ヶ沢は想像を絶する暴言を吐いている。

 2011年4月14日20時38分~TBSテレビ。

アナ「応援に来た米軍の人たちが、それを回避するためにちょっと離れたというふうな情報もあったので、どうなのかな、とも思ったのですが、それは、とにかく、念のために、ということに過ぎないわけですね」

「そうだと思います。わざわざ被ばくさせるということは、たとえば、米軍の兵士が米軍を相手取って訴訟を起こしたら、兵士が勝つでしょうから、そうわざわざ被ばくさせるということはさせない、という話で、あの米軍の方々も、健康影響という面ではまったく問題ないです」

アナ「じゃあ、検査などもする必要はないと」

「する必要はないです、本来は。安心のために検査を受ける、というのは意味があると思いますけど」

 

 2016年9月6日。小泉純一郎元総理記者会見。

「(トモダチ作戦参加の)元米兵は放射能の被害で亡くなった」

「これまで7人が亡くなり、300人も病気で苦しんでいる」

「人から聞いたよりも、直に被害者の話を聞いたほうがよいかな、と思い(5月に)訪米した」

「20~30代の10人の健康被害にあった兵士の皆さんに会った」

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2016年9月10日 (土)

「住民にはまったく健康被害がない」TBS報道の直後に退避する自衛官が「原発が爆発する」「100キロ以上離れて!」マスコミが市民を見殺しにした2011年3月14日

<14日午後9時ごろ。第一原発の西25キロにある葛尾村役場では、松本允秀(まさひで)村長(73)らがテレビを囲んで情報収集していた。電話はすでに使えなくなっていた。>(朝日新聞 2011年9月11日)

 家を追われ何も持たずに逃げてきた人たちにとって、テレビの情報しかなかった。

 住民にとっての「ただ一本の命綱」で、斗ヶ沢秀俊・毎日新聞編集委員が勝手に「安全宣言」をした。

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「健康に問題がないということを強調しておきたい」

「まだ避難勧告の範囲内にいらっしゃる方々がいるということですけれども、そういう方々も含めて、住民にはまったく健康被害がない」

 それから1時間もたたないうちに……。

<東日本大震災発生から4日目の3月14日午後9時40分すぎ。福島県南相馬市役所1階にいた江井(えねい)芳夫課長(56)は、正面入り口から入ってきた迷彩服姿の自衛官が発した言葉に驚いた。

「原発が爆発します。退避してください」

 自衛官は階段を駆け上がり、各階で「100キロ以上離れて」と呼びかけた。>

<原発の状況は、放射能汚染は……。市は情報を集めようにも、地震と津波で通信網がやられ、外部とつながるのは災害用の衛星携帯電話一つだけ。県の災害対策本部からは情報がほとんど来なかった。

 駐車場の自衛隊車両は赤色灯を回し、内陸方面に向かっていく。職員たちは色を失った。>

 この報道が正確なら、市民よりも先に自衛隊が逃げ出した。

 この時点ですでに、日本は国家の態をなしていない。祖国が崩壊した。

<情報は正しいのか。急いで県の災害対策本部に真偽を確かめた。「原発にそうした動きはない」と確認が取れたのは午後10時5分ごろ。その10分後、桜井勝延市長(55)も県から同じ回答を得た。市職員が説明のために避難所を回った。

 しかし、市民は目の前の光景を信じ、情報はメールや口づてで広がっていた。避難所を出ていく人が続出。石神第一小学校では、1100人の避難者が翌朝には800人に減った。>

 3人にひとりは、国家、地方自治体、マスコミの情報を信じなかった。自衛官を追って逃げた。

 このとき、防衛省に多くの記者が詰めていた。

 なぜ、テレビは自衛隊退避を報道しなかったのか?

 石神第一小学校の混乱は、日刊ゲンダイも報道していた。

<14日の深夜。

 町全体が壊滅状態の福島県南相馬市の石神第一小学校の体育館には、 津波から逃れてきた1000人もの住民が避難していた。燃料もなく体を寄せ合って眠っている中、突然、自衛隊がジープで乗りつけ、避難住民に向けて大声で叫んだ。

『私たちは上(北沢防衛相?)の命令で退避するように命じられたので南相馬市から引き揚げます。 これは私見ですが、福島原発は非常に危険な状況にきていると思います』

 そう言うやいなや、隊員たちはジープに乗って去って行ってしまった。

 館内は騒然となり、避難住民は出口に殺到。止めてあったマイカーに分乗し、大急ぎで福島市方面に逃げ出した。>(2011年3月18日)

 複数の新聞が報道しているのに、5年半が過ぎた今、石神第一小学校で起きたことは「デマだ」とされている。

「自衛隊退避」の第一報が毎日新聞だったことは、「歴史の皮肉」では片づけられない大問題だ。

<東日本大地震 防衛省に「東電不信」 陸自特殊防護隊が撤退>(毎日新聞3月16日02時30分配信)

<東京電力福島第1原発の爆発事故の応急対策を巡り、自衛隊が東電の対応に不信感を募らせ一時撤退する事態に発展。政府内でも被災地への救援物資輸送で調整不足も露呈、支援活動でもぎくしゃくぶりが目立っている。【西田進一郎、坂口裕彦】

「安全性が担保されていない。慎重に対応すべきだ」。14日夜、北沢俊美防衛相ら防衛省幹部の会議で折木良一統合幕僚長が指摘した。幹部の一人は会議後、「給水活動は危ないのでしばらくできない」と語った。

 きっかけは14日に起きた同原発2号機の爆発事故で給水作業中の隊員4人が負傷した事故。東電からは「安全だから」と言われて指示された活動だっただけに、安全性に対する東電などの判断に疑問が噴出した。防衛省は14日夜、現地に派遣した中央特殊武器防護隊150人など計180人を原発近くの政府などの拠点施設オフサイトセンターから60キロ離れた陸上自衛隊郡山駐屯地(福島県郡山市)まで退避させた。午後にオフサイトセンター自体が約60キロ離れた福島県庁に移されたが、自衛隊が後退したのはその15時間前だった。

 中央特殊武器防護隊は核・生物・化学(NBC)攻撃を受けた際、有害物質を検知し、部隊を安全なところに誘導したり、汚染された隊員を除染するのが主な任務。今回行った民間人の除染は国民保護法に定められた活動だが、原発事故への対応は想定外だった。防衛省関係者は「原発関連のノウハウは防護隊は分からない。安全性や、どの現場に向かうかの判断は東電や原子力安全・保安院に従うしかない」と不満を漏らした。>

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新聞記者は読者の命をどう考えているのか!? 「強調しておきたい」「住民にはまったく健康被害がない」斗ヶ沢秀俊・毎日新聞編集委員 2011年3月14日

 2011年3月14日。東京電力は福島第一原発2号機ベントを開始しようとしていた。

 20時38分からTBSで解説を担当した斗ヶ沢秀俊・毎日新聞編集委員は、信じがたい暴言を吐いている。

「その放射能を外に出すということになると、恐怖心を持つ方がいらっしゃると思うのですけども、このくらいの量はまったく健康に問題がない、ということを強調しておきたいと思うのですね。先ほどの図でありましたように、これまで測定されている最高の数値でさえ1・5ミリシーベルトくらいなわけですね。1時間あたりの放射線が」

「これは原発の敷地の境界のところで測ったものであって、放射線量というのが、少し離れるとぐんぐん減ってくるんですよね。ですから、人が住んでいるあたりのところでは、その100分の1とか1000分の1とかくらいのレベルなのですよ。ですから、まだ避難勧告の範囲内にいらっしゃる方々がいるということですけれども、そういう方々も含めて、住民にはまったく健康被害がないと、現時点では、そういうふうに言い切ることができるという数値です」

 

 2016年9月10日。毎日新聞地方版。

<福島第一原発事故 「甲状腺がん子ども基金」設立 治療費、通院費給付 募金呼びかけ>

<県によると><132人ががんと確定し、41人にがんの疑いがあると診断されたという。>

<記者会見した崎山代表理事は「甲状腺がんは、子どもの人生を大きく狂わせる>

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賛同人となった吉永小百合さん直筆のTシャツを掲げる武藤類子副代表理事

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2016年9月 7日 (水)

三反園知事の原発停止要請を蹴った九州電力 川内原発再稼動はお金を借りるため? 再稼動後20年社債を連発

 川内原発が再稼動して1年になります。

 三反園鹿児島県知事が誕生。
 
 8月26日。新知事が九州電力に原発停止を要請。
 
 9月5日。九州電力が要請を拒否。
 
 三反園「極めて遺憾である」
 
 9月7日。知事が福岡の九州電力本社に乗り込み再び要請。
 
 三反園「ご英断を」
 
 なぜ、大地震が起きた地で原発を動かすのでしょうか?
 
 お金の流れをみていきましょう。
 
「3・11」後、原発を抱える電力会社は社債が発行できなくなりました。
 
 最大のプレイヤーがいなくなり、債券市場はぶっ壊れました。
 
 2012年7月。大飯原発再稼動。
 
 関西電力の史上最大額1000億円をはじめ、電力各社が競い合うように社債を発行。
 
「電力債ラッシュ」となりました。
 
 2012年8月。九州電力が500億円の社債を発行。
 
 メガバンク、生保など機関投資家から大金を借りました。
 
 諸悪の根源は、
 
「危険な原発が動いたから電力債は魅力的な金融商品となった」
 
 そう考えるやつら。人の命を気にもかけない「リスク知らズ」どもです。
 
 こいつら「人の命よりもバランスシート」なんでしょう。
 
 原発が動いて、大金を手に入れた九州電力ですが……。
 
 しかし、これは「5年債」。
 
 5年後にお金を返さなければならない「足の速い借金」です。
 
 その後も九州電力は「3年債」を連発。
 
 こういう状態を「自転車操業」と呼びませんか?
 
 やっと「10年債」が発行できたのは2013年11月。
 
 川内原発再稼動前1年と再稼動後1年の社債発行額グラフ↓
 
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 原発再稼動は電力会社が「お金を借りるため」のものなんですね。
 
 今年に入って、九州電力はすごい勢いでお金を借りまくっています。
 
 4月。原発事故後初の「20年債」200億円と6年債200億円を同時発行。
 
 6月。20年債100億円、10年債100億円、3年債100億円を発行。
 
 原発再稼動とは何か?
 
 逆に言えばこうなります。
 
 こんな風にお金が回り出したら、原発は止まります。
 
 現に黒字になった関西電力の大飯原発は、動く気配すらありませんよね。
 
 抗議すべき場所はメガバンクです。
 
 メガバンクからお金を一斉に下ろすデモ「バンク・トランスファー・デイ」をやりましょう!

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2016年9月 6日 (火)

菅直人「撤退はありえない」勝俣恒久「子会社にやらせる」バラク・オバマ「米国人は日本から全員退避」

「3・11」当時、首相補佐官だった寺田学議員が5年前を振り返ったブログ。

 
 
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 2011年3月14日。
 
<関係する大臣らに招集をかける。御前会議が開かれるまでの間、数人で総理執務室で総理を囲む。総理、長官、福山副長官、細野補佐官、伊藤内閣危機管理監、そして私。東電から撤退の申し出があったことを総理に報告。
 
 総理から「撤退するって、それじゃあ原発はどうするんだ」と一喝。
 
「自分たちでコントロール出来ないから、他国に処理をお願いするなんてことになったら、日本はもう国としての体をなしてない」。
 
「東電の清水社長を官邸に呼べ」。
 
 その指示をもって、いわゆる御前会議は終了。長官ら一部が、総理執務室に移動。その場で改めて総理から
 
「これで東電が投げ出したら、全ての原発がダメになる。福島第一だけじゃなく、第二も、それ以外の原発も。それは東日本全部がダメになるってことだ。」
 
「そうなったら国の体をなしてない。そんな日本だったら、他国から管理される結末になる」>
 
 菅直人が「米国による日本再占領」を恐れていた様子が伺えます。
 
 以下は、東電に乗り込んだときの菅直人の演説。
 
<ここで総理が話した内容に関しては、既報の通り。私の記憶の断片は以下。
 
「撤退は許されない」
 
「撤退したら、日本はどうなるのか。東日本は終わりだ」
 
「自国の原発事故を、自ら放棄する事は、国として成り立たない。そんな国は他国に侵略される。」
 
「撤退しても、東電は潰れる。だからやるしかないんだ」。
 
「60歳以上の職員は全員現地に行く覚悟でやれ。俺も行く」。>
 
 このときすでに横田基地を出発した米軍の消防車は福島第一原発に到着していた。
 
<15日早朝、東電本店。
 しばらくすると、総理がいる小部屋には数人のみ。総理と向かい合って座るのは、勝俣会長。総理がおもむろに落ち着いた声で勝俣会長に一言。
 
「絶対に撤退は無い。何が何でもやってくれ」。
 
 その総理の言葉に対する勝俣会長の返答は、返答の持つ意味の重さを微塵も感じさせない程あっさりとしていた。
 
「はい。子会社にやらせます」。
 
 総理の隣で聞いていて、思わず身をのけぞった。適不適を論ずるつもりは無い。シビア過ぎて、怖かった。>
 
 原発労働とは何か?
 
 これが東京電力の回答だ。
 
 3月14日。トモダチ作戦参加の米空母「ドナルド・レーガン」が被ばく。
 
 翌15日。
 
<「オバマ大統領が相当悩んでいるらしい。もしかしたらアメリカ人全員の日本からの退避が近々決定されるかもしれない」。そんな話が秘書官室で語られた。>
 
「○○キロ圏内」からの米国人退避ではなく、「米国人全員の日本からの退避」が、ホワイトハウスで検討されていた。
 
<アメリカ人全員の退避決定は、在留外国人全般に大きな影響を及ぼす。オバマ大統領の懸念は2点と言われていた。
 
 一つは、四号機燃料プールの状態。
 
 もう一つは、日本政府の決死の覚悟。>
 
<四号機プールの現状に関し、日米で分析が違っていた。
 
 アメリカ側は無人偵察機グローバルホークを幾度となく原発上空に飛ばし、四号機プール周辺の温度を測定、独自に四号機プールの状態を把握分析していた。米国は、既に四号機プールは崩壊し、燃料棒が地上に転げ落ちているとの判断。
 
 一方日本側は、自衛隊による温度測定等で状態を把握。分析は、燃料棒はかろうじて水の中にある、との判断。
 
 この分析の違いからか、ルース米国大使の日本側への不信感は高い、と聞いた。官邸側と相当大喧嘩したとの話。アメリカ側の緊張も相当なもの。>
 
 3月16日。
 
<作戦中止の詳細が総理に報告され、翌日、再実行と決定。決行時間は、既に予定されているオバマ大統領との電話会談の直前。オバマ大統領が懸念している2点、
 
・燃料プールの水位改善、
 
・日本政府の必死の覚悟、
 
 この二つを背負った決死の作業は、自衛隊の一機のヘリに託された。自衛隊の実行如何が、様々なものを左右する状況となる。>
 
 かくして、「米国盲従」の独裁国家、日本が誕生した。

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東京電力、関西電力は原発を持ちたくなかった「原発は悪魔のような代物」木川田一隆・東電元社長

 WH社製の加圧水型シッピングボート原発は、1957年12月に運転を開始した。

 米原子力委員会(AEC)は、アメリカ初の原発運転開始を前に、大事故が起きた場合の被害について詳細な検討を行った。報告書「大型原子力発電所の大事故の理論的可能性と影響」が公表されたのは1957年3月。報告書にはこう記されていた。

<最悪の場合、3400人の死者、43000人の障害者が生まれる>

<15マイル(24キロメートル)離れた地点で死者が生じうるし、45マイル(72キロメートル)離れた地点でも放射線障害が生じる>

 55年も前に日本の破局は予言されていた。

「核分裂生成物による土地の汚染は、最大で70億ドルの財産損害を生じる」

 一企業が支払える補償金ではない!

 この報告書により、アメリカの原子力政策は大きな転換を迫られた。人類が原子力による発電をあきらめる、最初の転機が訪れたのである。

 

「原発は悪魔のような代物」と木川田一隆東電社長は吐き捨てた

 

「買って使って分解する」正力松太郎の性急な方針に最初に異議を唱えたのが、電力会社だったことは特筆していい。

 その急先鋒が、黒部ダムと水力発電所を完成させたばかりの関西電力副社長、一本松珠璣だった。のちに東海原子力発電所総責任者となる一本松は、手記にこう書いている。

<日本では原子力の経験が無く、原子力発電も火力のボイラーが原子炉に代わったくらいと考えた。しかし、この両者は多くの異質の要素を持っていることが漸次明らかになった。考えてみると、これだけ複雑な新技術、未知の工学分野に挑んで、しかも利潤を上げるというのは無理であろう>

「ミスター東京電力」と呼ばれた木川田一隆社長は、周囲の「原子力時代がくる」という声に、こうこたえたという。

原子力はだめだ、絶対にいかん」

「原爆の悲惨な洗礼を受けている日本人が,あんな悪魔のような代物を受け入れてはならない」

 東京電力の豊田正敏は、「原子力政策研究会」でこう言った。

「原発のコストを安くしないとダメだ。他の電源に太刀打ちできるようにしないとダメだ」

官僚が「豊田さんは一貫して経済性を頭の隅においておられましたね」と言うと、

「隅じゃないですよ。真ん中です()

 1954年3月。原発の「経済性」は根底からくつがえされた。

 東電も関電も原発などやりたくなかったのである。

 拙書『報道詐欺 プロパガンダの百年』より

 詳しくはメルマガで

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東京電力は原発を建設したくなかった 最も強力に原発を推進してきたのは新聞記者だ

 新聞に原発「やらせ」問題を批判する資格はない。そのことを最も悪質なウソ、高速増殖炉「もんじゅ」を例にみていこう。

 原子力開発長期計画(以下「長計」)は、1967年にこう言っている。

「1980年代前半に高速増殖炉を実用化させる」

 これがウソのつきはじめ。

長計作成の中心メンバーに、朝日新聞の奥田教久論説委員、田中慎次郎元論説委員がいた。

 約10年が過ぎ、長計はこう言い出した。

「1990年代に実用化」

 10年たったら、当初の予定の15年後にずれ込んでいる。

 長計作成の中心メンバーに、日本経済新聞の円城寺次郎会長、産経新聞の稲葉秀三元社長がいた

 約10年が過ぎ、長計はこう言い出した。

「2030年までに技術体系を確立する」

 半世紀近く予定がずれ込んだ、いや、未来へと吹っ飛んだだけじゃない。

「実用化」が「技術体系の確立」に後退!?

 そんなもん、できるわけがない!

 長計作成の中心メンバーに、朝日新聞の岸田純之助元論説主幹がいた。

 運転開始直後にナトリウムを撒き散らし、いまだ1KWhの電気も生み出していない「もんじゅ」のために消えたお金は?

 1兆円以上!!

 これは明らかな詐欺である。新聞人を含め関係者は逮捕されていて当然である。

 権力のウソを暴くはずの新聞が、詐欺師のDMの如きウソを作成し続けた57年間。

 今、こう考えて新聞を替えた人も多いだろう。

「東京新聞だけは違う」

 じゃあ、この記事はなんなのか?

<三多摩の山中に新しい火が燃える。工場、家庭へどしどし送電。さて原子力を潜在電力として考えると、まったくとてつもないものである。しかも石炭などの資源が今後、地球上から次第に少なくなっていくことを思えば、このエネルギーのもつ威力は人類生存に不可欠なものといってよいだろう>

原発がないと人類は絶滅する?

<電気料金は2000分の1になる>

……東京新聞よ、お前もか!?

<原子力発電には火力発電のように大工場を必要としない。大煙突も貯炭場もいらない。また毎日石炭を運びこみ、たきがらを捨てるための鉄道もトラックもいらない。密閉式のガスタービンが利用できれば、ボイラーの水すらいらないのである。もちろん山間へき地を選ぶこともない。ビルディングの地下室が発電所ということになる>(東京新聞1955年12月31日)

 新聞が書いたウソの中で、これ以上のウソがあるだろうか?

あったら教えてほしい。

新聞記者がウソを書いた。

 新聞記者が詐欺を働いた。

 新聞がプロパガンダを行った。

「東京電力が悪い」

 今、そう思っている人へ。

 東京電力は、原発などやりたくなかった。

 原発をやりたかったのは、「ジャーナリスト」どもなのだ。

 今すぐやるべきことはただひとつ。

 新聞を止めろ!

 詐欺師どもに金を払うな!

 拙書『報道詐欺 プロパガンダの百年』より

 詳しくはメルマガで

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脱原発テント強制撤去「これから逮捕される人にそれを知らせることはできない」(東京新聞社会部記者)

 私が東京新聞を取材したのは「記者には記者の言い分があるはずだ」と考えたからだ。

<脱原発テント、未明に強制撤去「外に出たらマスコミがいた」>(田中龍作 ブロゴス 2016年8月21日)

 東京新聞を含むすべての新聞が、脱原発テント強制撤去の日時を知っていた。

<権力はマスコミを引き連れていた。警視庁記者クラブあるいは司法記者クラブへのリークであることは明らかだ。>

 東京新聞本社は、テントからワンブロックしか離れていない。徒歩2分。脱原発テントを最も熱心に取材してきたのは東京新聞だ。

 なぜ、強制撤去の日時を教えてくれなかったのか?

 東京新聞社会部記者の言葉を聞いて唖然とした。

「たとえば……たとえば、ですけど、誰かが逮捕される、とわかったとき、逮捕者にそれを知らせるか、というと、それはできない」

 どういう意味なのか?

 記者が市民に情報を伝えていたら、状況は大きく変わっていた。

 2012年1月。当時の民主党政権が脱原発テントを撤去しようとしたとき、何が起きた?

 撤去期限の1月27日。500人を超える市民が駆けつけた。警察は近づくことすらできなかった。

「テント撤去の報を聞いたら、いつでも駆けつける」

 市民の意思は今も変わっていない。

 田中龍作氏のレポートにはこうある。

<連れて来てもらったことへの恩返しなのか。マスコミは道路の中央分離帯から望遠レンズで撮影した。新聞テレビは政府と原子力ムラの広報機関であることが改めて明らかになった。>

 取材自体が「警察の仕切り」で行われた可能性が高い。

 8月21日午後1時半。テント跡地で取材していたフリーのカメラマンが逮捕された。

「これから逮捕される人に、それを伝えることはできない」

 新聞記者が立つ場所は、「市民の側」なのか? それとも「権力が仕切る空間」なのか?

 脱原発テント撤去の前日。沖縄・高江で沖縄タイムスと琉球新報の記者が警察に拘束された。

 8月20日午前。ヘリパッド建設資材を搬入する車両を止めようとして市民約50名が高江橋に座り込んだ。

<排除の様子を撮影していた本誌記者は機動隊員に2度も両腕をつかまれ、背中を押されて約40メートルも移動させられた。2度目は車両の間に押し込められた。約15分の不当な拘束により、記者は市民排除の様子を取材できなかった。>(琉球新報 社説 8月22日)

<本誌記者は午前10時26分すぎ、排除の様子を取材していたところ、機動隊4人に囲まれた。背中を強く押されながら、バスとバスの間に連れて行かれ、すでに拘束された市民ら15人と一緒に押し込められた。>(沖縄タイムス 8月21日)

 この事件を東京で報道したのは、東京新聞ただ一紙だった。

<警察 報道の自由侵害><記者ら沖縄で一時拘束 東京で逮捕>(東京新聞 8月23日)

<こうした度を越した警察の強権的な対応は、報道の自由を侵害している。>

 もし、東京新聞の記者が脱原発テント側に強制撤去の日時を伝えていたら、多くの市民が駆けつけ、高江橋と同様の事態が東京・霞ヶ関でも起きていただろう。そのとき、東京新聞の記者は「市民とともに拘束される側」にいただろうか?

「これから逮捕される人に、それを伝えることはできない」

 沖縄では、反対派の車両の屋根に上り、「報道の自由」を叫び、最後まで抵抗する地元紙記者の姿が記録されている。

 それが「市民のために権力を監視する」新聞記者の真の姿ではないのか?

 東京新聞は、脱原発テント強制撤去を最も大きな紙面で報道した。

<脱原発テントは消えても 避難者を優しく支えた場「またみんな集まってくる」>(東京新聞8月22日)

<「何も持たずに逃げてきた。こんな私をテント村の人たちは優しく支えてくれた。その第二の古里を返して」

 原発事故直後、福島県双葉町から避難し、東京都港区で暮らす主婦亀屋幸子さん(七二)は、テントのなくなった経産省前で涙ながらに語った。毎週金曜日の集会に通い続けた。市民団体のメンバーからの電話で未明に駈け付けたが、テントの撤去作業を見守るしかできなかった。>

 避難者を「見守るしかない」状態に追いやったのは誰なのか?

 私は東京新聞に現場にいた記者への取材を申し込んだが、返事はない。

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2016年9月 3日 (土)

明日です!ILL BONE 9月4日(日) ”Long Time Live Show”@吉祥寺ブラック&ブルーopen/start18:00/18:30 charge¥2500+1d 『二月』歌詞

2月

 

お前が この場所に 名前を与えたとき

 

手をかざせば かすかに熱いから

わけもなく 大丈夫だ、と言ってみる

曇りガラスに 立ちのぼる 悲しい体温

雨の祖国から まだ遠い 我等の2月

 

プラットフォームに 打ち揚げられたままの 我等の旅よ

玄界灘の彼方に 花開いた お前の肉よ

世界はまだ 雑音に満ちてはいない まだ今は

雨の祖国から まだ遠い 我等の2月

 

我等が 出会った場所 視界を ふさいでゆく煙

足元に 咲いていた 花の名前は?

非常線の向こう側 白い息 笑いつづける 昭和

お前が この場所に 名前を与えたとき

 

アスファルトに 流れつづける お前の血よ

玄界灘の彼方に 花開いた お前の肉よ

世界はまだ 雑音に満ちてはいない まだ今は

雨の祖国から まだ遠い 我等の2月

 

あの炎が見えるか? 燃やされているのは……

あの墓が見えるか? 殺されたのは……

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「アレバ文書」安倍独裁政権を直撃!稼働中の川内原発2基を含む8原発13基!の圧力容器などに強度不足の疑い

 安倍政権の原発再稼動路線は「外圧」によって終わる!!

 
 原発圧力容器、蒸気発生器の強度不足「アレバ文書」は仏英発の一大スキャンダル。
 
 アレバ社クルーゾー工場だけではない。
 
 北九州市の日本鋳鍛鉱にも飛び火。
 
「日本の製鋼技術は世界最高」
 
 この神話が完全に崩壊した。
 
 予想通り、川内原発はすぐに止まります!!
 
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日本鋳鍛鋼
 
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2016年9月 2日 (金)

脱原発テント撤去 東京新聞電子版全文掲載 権力を監視せず、権力の行使に協力した記者 なぜ、こんな原稿が書けたのか?

 脱原発テント撤去の時間を知りながら、テント側に伝えず、以下の記事を書いた東京新聞の記者。
 
 現場で取材した記者への取材をお願いしたが、東京新聞社会部からの返答はない。
 
 東京新聞 TOKYOWeb
 
 
脱原発テントは消えても 避難者を優しく支えた場「またみんな集まってくる」
2016年8月22日 朝刊
 
 日曜未明の強制執行だった。東日本大震災後から約五年、脱原発運動の象徴的な場所として知られていた東京・霞が関の経済産業省敷地内のテントが東京地裁によって撤去された。東京電力福島第一原発事故で避難生活をしている人や、福島で畜産業を続ける人からは「第二の古里を返して」「国への抗議のやり方は別にある」という声が上がった。 (萩原誠、神野光伸)
 
「何も持たずに逃げてきた。こんな私をテント村の人たちは優しく支えてくれた。その第二の古里を返して」
 
 原発事故直後、福島県双葉町から避難し、東京都港区で暮らす主婦亀屋幸子さん(72)は、テントのなくなった経産省前で涙ながらに語った。毎週金曜の集会に通い続けた。市民団体のメンバーからの電話で未明に駆け付けたが、テントの撤去作業を見守るしかできなかった。
 
 テントを設置した市民団体代表の淵上太郎さん(74)は「今ここにテントはないが、脱原発の行動をやめるということはあり得ない」と話した。
 
 強制撤去が始まったのは午前三時四十分。静まり返った暗がりの官庁街に、東京地裁の執行官らが現れた。市民団体のメンバーによると、テントの中には五人の男性が寝泊まりしていた。ガタガタという音が聞こえて目が覚めたという国立市の男性会社員(53)によると、「強制撤去を執行します。十分以内に私物を持って出てください」と通告された。
 
 寝泊まりしていた男性らが執行官に囲まれるようにテントから出てきた。ほとんどの人が抵抗することなく皆自分たちの荷物を持ち、テントひろば向かいの歩道まで追い出された。
 テントの中にいた北区の無職の男性(63)は「寝ている時に来るなんて、汚いやり方。悔しい」と嘆き、もう一人の北区の男性(64)は「テントは霞が関のオアシスのようだった」と語った。
 
 午後一時から、テントの跡地で開かれた抗議集会には約百人が集まった。たまたまこの日、テントを訪れる予定で上京した福島県浪江町の畜産農家吉沢正巳さん(62)も参加。吉沢さんは福島第一原発事故で被ばくした牛を飼育しており、「福島の原発事故の反省もないまま国は原発を動かしていく。私たちの街は原発事故でチェルノブイリの状態になり、多くの人や家畜が亡くなった」と訴えた。
 
 さらに「テントは脱原発の象徴だったが、抗議のやり方は別にある。テントがあった場所にまた皆集まってくるはず。命そのものがどう扱われてきたか訴えることは変わらない」と強調した。
 
 捜査関係者によると、抗議集会では、吉沢さんが持ち込んだ牛のオブジェをどけようとした男性警察官にぶつかって抗議したとして、丸の内署が公務執行妨害の疑いで、六十代の男性参加者を現行犯逮捕した。男性は黙秘しているという。
 
◆有無言わさぬ国の意思
 武蔵大・永田浩三教授(メディア社会学)の話 テントは再稼働反対や脱原発を多面的に考える拠点になっていた。原発の再稼働を目指す現在の政権下では、そういう日が来るだろうと予想された。不法占拠と言われれば、そうではないとは言いにくいが、判決では表現の場として一定の評価をしていた。国が強制執行を申し立てたのは、参議院選挙での勝利で政権として信任され、有無を言わさないという意思表示だ。
 
◆都合の悪い主張の排除
 高千穂大・五野井郁夫教授(政治学)の話 省庁の敷地内で5年近く活動を続けたのは前例がない。賛否両論はあるが、党派を超えた人々が集まり、権力に対して議論をする場となっていた。今回の強制執行は、政治に対して声を上げることへの不寛容さの表れだ。テントの撤去は不法占拠という理由だが、政府にとって都合の悪い主張の排除と受け取られてもしかたがない。
 
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「逮捕される人にそれを知らせることはできない」東京新聞記者「第二の古里を返して」双葉町からの避難者 脱原発テント撤去とマスコミ

 東京新聞電話取材。

 東京新聞(8月22日朝刊)は<21日午前3時51分>撮影の写真を掲載。
 
 ――写真は東京新聞のカメラマンが撮影したものなのか?
 
 社会部の女性。
 
「そうですねえ。そうだと思います」
 
 ――東京新聞はいつテント撤去の情報を知りましたか?
 
「それは、すみません、多分、むずかしいんじゃないかと思うんですけど」
 
「それは記者が取ってきたものなので、いつ、というのはちょっと、お伝えできないと思うんですが」
 
 ――なぜ、テント側に知らせなかったのか?
 
「ちょっと会社に聞いてみないとですね、わたくしが取材しているわけはないので」
 
 ここで問題の発言が出る。
 
「事前に……たとえば、たとえばですけど、逮捕する方。逮捕、誰かがされる、とわかっているとき、逮捕者にそれを知らせるか、というとそれはできない」
 
「私が取材しているわけではないので、すぐお答えできるような話ではない、と思うんですね。ええと、要するに『社として答えろ』ということですね?」
 
 ――そうですね。
「『社として答えろ』ということなのか? 『記者として答えろ』と言うことなのか? ということなんですが、ということは、社として、ということですね?」
 
 ――両方だと思いますよ。現場にいた記者さんに聞くのが一番、いいんじゃないですかね。
 
「確認しないと、今、お答えすることはできない」
 
 ――記者の方に連絡することはできませんか? 電話をかけなおす、メールでやりとりをする、ということでいいんですけど。
 
「まず、どういう態勢で取材したのか、聞かなくちゃいけないので、私のほうで。どういう形で回答ができる、とか、回答ができない、とか、そのへんは、すいません、今の段階では、私は答えられません」
 
 電話番号を伝えて、一度、電話を切る。
 
 20分後。東京新聞読者部部長エノモト氏から電話。
 
「社の見解を示してほしい、というご質問があったということで、私のほうで話をいただいてきたんですけど」
 
 エノモト氏は「取材の経過についてはお答えできない」「記事に書いたことがすべて」という「社の見解」をただ繰り返した。
 
 現場を取材した記者からの連絡はない。
 
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東京新聞Webに掲載された「共同通信カメラマンが撮影したと推測される」写真。クレジットなし。21日午前3時59分撮影。

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2016年9月 1日 (木)

脱原発テント撤去 記者は日時を知っていた なぜ、市民に知らせなかったのか? 東京新聞の回答

 東京新聞読者部 エノモト部長

 
「詳しいことは、ひととおり記事に書いたつもりでいるんですけど、記事に掲載したこと以外のですね。取材の経過ということについては、お答えができないんですよ。記事に書いたことがすべて」
 
 これが、「表向き」脱原発新聞の正体。
 
 最初に電話に出た社会部の女性はこんな言い方もしました。
 
「たとえば……たとえばですけど、逮捕する方、逮捕、誰からされる、とわかっているとき。逮捕者にそれを知らせるか、というと、それはできない」
 
<権力>←監視←<マスメディア⇔情報⇔市民>
 
 この構図は安倍独裁のこの国にはすでにありません。
 
<権力⇔情報⇔マスメディア>×情報遮断×<市民>
 
 ジャーナリスト自身がこの惨状を黙認し、放置しています。
 
 脱原発テントの図式はこれだったと思います↓
 
<権力⇔情報⇔マスメディア>×情報遮断×<市民⇔情報⇔テント(公共の言論広場)>
 
 私たちひとりひとりが「テント」です。
 
「テント」(公共の言論広場)をどんどん広げていきましょう!
 
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東京新聞のカメラマンが8月21日午前3時51分に撮影した写真

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英国ついに脱原発へ 中国「原発スパイ」事件と、北朝鮮、中国が攻撃してきても日本を助けない「大統領」ヒラリー・クリントン

 クリントン夫妻は、中国の企業グループから巨額の政治資金を受け取っていた。

 この事実が暴露されたのは1997年。中国による原発産業スパイ事件の捜査開始時期と一致している。

 そして、FBI、米司法省が動いたが、なんと20年近くも事件化されることはなかった。

 この事実もまた、クリントン夫妻と中国をめぐる疑惑報道と奇妙な一致を見せているのだ。

<ヒラリー夫人が上級パートナーを務めるアーカンソーの法律事務所は、この時期から、リッポ・グループの「顧問」として高額の報酬を得ている。>(伊藤貫『中国の「核」が世界を制す』PHP)

 この本によれば、ヒラリーと中国企業の癒着の原点は1983年。「弁護士」ヒラリーは、同時に原子力企業エンタジーの顧問としても稼ぎまくった。

<FBIは、「クリントン夫妻と人民解放軍スパイ機関との協力関係が始まったのは、多分この頃だろう」と推定している。>

<中国共産党と人民解放軍は、クリントン夫妻に対して多額の賄賂をするパイプとして、インドネシア・香港・中国に拠点を持つリッポ・グループ(力宝集団)を使用した。リッポ・グループはインドネシアの華僑財閥、リアディ家が所有する企業集団であり、銀行業・不動産業・流通業・観光業等を経営している。>

 リッポ・グループからのワイロの総額は少なくとも数千万ドルといわれている。

 日本人にとって重要なのは、クリントン夫妻が、北朝鮮にミサイル技術を密輸した中国の会社、ポリ・テクノロジーから賄賂をもらっていたことだ。ノドン、テポドン、ムスダン、潜水艦弾道ミサイルを売った武器商人から金をもらっていたヒラリーが、

「いざというときは日本を守ってくれる」

 そう考える人は、神経組織の大半がいかれている。

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 もーむちゃくちゃ。なんで、ヒラリーはこの大スキャンダルから逃げ切り、大統領候補になっているのか?

 

 中国による原発産業スパイ事件に立ち戻ろう。

 1990年代、中国が米国から盗みたかった核燃料物質、核燃料技術とはなんだったのか?

<中国、ウラン濃縮技術の国産化に成功>(日本経済新聞 2013年2月22日)

 濃縮ウランしか考えられない。

 原子力平和利用の歴史は、「米国が全世界の濃縮ウランを独占しようとした日々」に他ならない。正確には、独占しようとしたけど、ロシアのせいでできなかった。結果的に失敗。ロシアに完敗。

 一方、中国は1960年代からウラン濃縮に挑んできたが、半世紀たっても成功しなかった。ウランも濃縮技術もソ連→ロシアからの輸入に頼りっぱなしだった。

 1991年9月。父ブッシュ大統領とゴルバチョフ大統領が各兵器削減交渉を開始。

 1993年2月。「核兵器解体に伴う高濃縮ウランの処分に関する米国およびロシアの政府間合意」(米露高濃縮ウラン合意)が締結された。

 ソ連崩壊後、ロシアに残る核弾頭を米国が買い叩く約束。経済が破綻したロシアへの「火事場泥棒」といっていい米国の策略だ。

 1994年。父ブッシュを打ち負かしたクリントン夫妻は、米エネルギー省合衆国濃縮公社を民営化。「USEC」が誕生した。

「核軍縮」の美名の元、旧ソ連の解体核兵器濃縮ウランをタダ同然で手に入れ、原発燃料にして売る「濡れ手に粟」のビジネスだ。仕切ったのは、「ミセス・アトミック」ヒラリー・クリントン。

 注目すべきは、このとき、クリントン夫妻は中国からの賄賂を湯水のごとく浴びていたことだ。実質上、ヒラリーは中国に買収されていた。

『産経ニュース』の報道が正しければ、そこに「中国広核集団のスパイ」アレン・ホーが現れた。

「中国独自のウラン濃縮システムをつくる」

 中国の濃縮工場は、ライバル企業「中国核工業集団」が独占していたが、独自技術開発は失敗の連続だった。

「金ならいくらでも出す」

 事件は、20年近く隠された。

「なぜだ!?」

 私もそう叫びたいけど、「大統領候補№1」ヒラリーの笑顔を見ろ、と言う他ないよね。

 

 北朝鮮が日本を攻撃したとき、「大統領」ヒラリー・クリントンは、日本を助けない。

 中国が日本を攻撃したときも、「大統領」ヒラリー・クリントンは、日本を助けない。

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