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2016年5月29日 (日)

ざっくりアメリカ原発史 米国で最も多くの原発が稼動していたのは1974年 それからずうっと原発は減り続けている

ざっくりアメリカ原発史

 

大きな流れ

 米国で最も多くの原発が稼動していたのは1974年。それからずうっと原発は減り続けている。

 

 1978年。ワシントン州原発が社債を発行。格付け会社は「A」(投資適格)の格付け。

 1979年。スリーマイル島原発事故。史上初のメルトダウン事故。

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 1983年。ワシントン州原発が破産。投資家は格付け会社を訴えた。

 この事件以来、ウォール街は一貫してこう主張している。

「原発は投資不適格」

 1993年。ビル・クリントン政権誕生。電力会社の顧問弁護士だった妻ヒラリーとともにウラン・ビジネス開始。「核軍縮」の美名の下、旧ソ連の解体核兵器から濃縮ウラン、プルトニウムを抽出、原発燃料として日本に売る「濡れ手に粟」のビジネスだった。日本は「米国、ロシアのゴミ捨て場」に。

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 1998年。米エネルギー省の米国濃縮公社を民営化。USEC誕生。この会社の濃縮ウラン輸出先は100%日本。

 2001年。息子ブッシュ政権誕生。原発建設運営会社ハリバートンCEOだったディック・チェイニー副大統領が、新エネルギー政策を発表。

「2010年までに米国に原発を新設する」

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「米原子力規制委員会はガタガタ言うな!」

「政府が原発企業を選んで、どんどん建設を促進する」

 この計画はコストの問題で頓挫。「米国人の血税をくれてやる」と政府が言っても原発に投資する人は現れなかった。

 2009年。バラク・オバマ政権誕生。オバマの選挙資金を集めたのは、全米最大の原発所有会社エクセロンだった。原発2基を所有する投資家、ウォーレン・バフェットが経済顧問としてホワイトハウスに入り。

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「原発建設に今までの3倍の税金を注ぎ込む」

 この計画もまた頓挫。「グリーン・ニューディール」という仮面をかぶった原発予算案が何度も提出されたが、原発投資家はひとりも現れなかった。

 2009年。ロシアのプーチン大統領が、米国への解体核兵器の提供を停止。

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 2011年。「3・11」。

 ウラン価格暴落。

 2013年。USEC破産。日本が原発ゼロになり、買い手が消えた。

 シェールガス革命。

 原油価格暴落。

 米原発は次々に消えていった。

 2014年。ヒラリー・クリントンが次期大統領最有力候補に。

 2016年。エクセロンが原発7基の早期閉鎖を示唆。

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 ヒラリーを大統領にしてはいけない!

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