清原和博インタビュー「男として笑えるように。」ナンバー 2008年4月24日号
「髪染めるんは、きまって怪我したときなんですよ」
清原和博が自分の写真を見つめている。本誌594号の表紙(2003年12月撮影)。プラチナブロンドに染められた髪。
「朝起きて、鏡を見る。そこに怪我した自分が映っている。自分を自分だと認めたくないんです。だから、違う自分になろうとする」
あれから4年。
私が肉離れからの復活を目指す清原和博に密着したのは2000年3月。私は本誌494号にこう書いた。
<この人、ジャイアンツに来てなんかいいことあったんかなあ……。>
あれからもう8年が過ぎた。
清原和博が、日本球界の主砲が、本当の自分に出会えるのはいつなのか。
「怪我をしたのは、一昨年の9月の初め。1打席目、打った瞬間です。今まで味わったことのない激痛が走った」
2度目の手術に踏み切っても痛みは消えなかった。何も変わらない。
「真っ暗闇でね。誰かにヒザをバンバン蹴られているような状態」
22年間、闘って、本当にいろいろなことがあった。で、たどり着いたのは真っ暗闇。
憧れの王貞治から「努力」と書かれた色紙を贈られた18歳の秋。ドラフト会議後、いっしょに泣いた母、弘子さんは、
「和博、王なんかに負けたらあかんで! 早う55本のホームラン打たなあかんで!」
『Number』701 2008年4月24日号
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