清原和博の野球は「自殺未遂の連続」となった5
「考えてくださいよ。いま、こうしてウチが首位にいられるのも、落合を獲ったというシーズンオフの戦略、つまり、チーム作りが成功したからなんだ。試合での戦術なんか、どこの監督も似たり寄ったり、鼻くそみたいなもんだ。チーム作りという戦略が勝負の分かれ目なんだ」(長嶋茂雄 1996年)
監督の采配は鼻くそ!?
野村克也が聞いたらどう言うだろう?
1994年から96年。落合博満が4番に君臨した3年間で、読売は2度のリーグ制覇を果たしている。
落合はこう語っている。
「清原獲得を(読売に)進言し始めたのは早かったよ。最初は去年(1995年)だからね」
「それからしょっちゅう進言していた」
「あの子は西武に11年いて一度もタイトルを獲れず、『無冠の帝王』とか言われているけど、日本シリーズやオールスターでの活躍を見ればわかる通り、短期決戦となると驚異的な力を出すわけよ」
「いい時と悪い時の差が大きい。今日は駄目だとなると、まるっきり駄目なんだって」
「それがもし、ジャイアンツのようにいつもスタンドが満員になるチームに来れば、今日は駄目だからといってタコ(無安打)ばっかり食らっているわけにはいかない。短期決戦で出せる力をシーズンを通して維持して出せるんじゃないか。そういう風に環境を変えてやらなきゃ、あの子はこのままで終わってしまうだろう」
まず、清原本人のために。
「同じチームにいて俺が近いところで見ていれば、いろんなことをアドバイスできるだろう。俺が43歳、松井(秀喜)が22歳。その差は21歳もあるでしょう。そこで29歳の清原が入れば、俺と松井の間にワンクッション置けるわけじゃない。で、4番とは何ぞや、プロ野球とは何ぞやということを俺が清原に教え、それを清原が松井に伝え……。今後のプロ野球界のことを考えたら、そういうことが必要だろう。そう思っていたんだけれどね」
次にプロ野球界全体のために。
「それはジャイアンツのためでもあるし、清原のためでもあるし、松井のためでもあるし、ひいては俺のためでもあるだろうと」
「キヨは俺と競争して一塁を獲れば、一皮剥けると思っていったんだ」
真剣勝負は落合自身の「復活への道」あるいは「引退への花道」になるはずだ。
最後は自分自身のために。
落合博満……こんな男、今の球界にいますか?
1996年11月13日。都内のホテルで深谷尚徳読売代表を待つ、清原は念じていた。
「あれから11年もたった。本当のことを聞かせてくれ」
到着した深谷代表の口から出てきた言葉は……。
「落合はクビにする。4番ファーストで待っているよ」
……。
11年前のドラフト会議については。
「そんなこともああったねえ」
深谷は笑った。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。



コメント