清原和博の野球は「自殺未遂の連続」となった4
清原和博が覚せい剤に手を出した、といういわれる時期。
彼の身に何が起きていたのか?
1994年のシーズン終了後。
長嶋監督をインタビューした二ノ宮清純さんは唖然とした。
<長嶋茂雄に「どんな野球が理想ですか?」と問うと、次のような答えが返ってきた。
「あくまでも僕の理想は9人野球です。>(『ナンバー』494)
つまり「選手交代を一度もしないまま勝つ」こと?
<アメリカで野球の監督を「フィールド・マネージャー」と呼ぶ。戦略や戦術よりも、人材をどうマネージメントするかが、与えられた最大の職分である。
にもかかわらず、長嶋茂雄は人材の登用、起用に一切、興味を示さない。そればかりか采配にすら愛情を示そうとしない。>
なぜなんだ!? ミスター!?
<続けてミスターはこう語った。
「今シーズン(94年)はたまたまベテランと若手を切り替える過渡期ということでアメフト野球をせざるをえなかった。正直言いましてね、これは疲れるんですよ。代走がどう、ピンチ守備がどう……。5、6回になると、もう8、9回のことを頭に入れおかなければならないんですから、精神がクタクタになってしまう。僕はこういうのは好きじゃないですねぇ。9人に試合のすべてを任せることができれば、もうどれだけ気分が楽だろうかと……(笑)」
およそ、指揮官たるものの発言とは思えない。>
「長い目で見て、中心打者がほしかった」(長嶋茂雄)
長嶋の「楽がしたい」監督論ならば、清原和博をずうっと4番で使い続ければいい、と思うのだが……。
「読売1年目」の1997年5月21日。
場内アナウンスに清原はわが耳を疑った。
「3番、センター松井。4番、レフト広沢。5番、ファースト清原」
約5年ぶりの4番降格だった。
試合後、長嶋監督はしれっとしてこう言い放った。
「ある程度ね、気分転換を兼ねてね」
メンバー表を書いたのは、河村健一郎、篠塚和典両打撃コーチ。長嶋に提出したのは「素案」であり、決定権はもちろん、長嶋にある。
両打撃コーチは「監督が清原に話すはず」と考えていた。
長嶋茂雄はその仕事を放棄した。
読売は試合には勝ったが、清原の気分は最悪の領域へと転換していた。
記者 5年ぶりの5番ですが……。
清原 ウグイス嬢のアナウンスで初めて知ったわ!
記者 5番に座って、リラックスして打てたのでは……。
清原 僕が何年、4番を打ってきたと思ってんのや!!
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