「新聞の戦争責任を問う」ジャーナリストを脅し本を絶版にした朝日新聞社http://www.mag2.com/m/0001577514.html
ついに恐れていた事態が起きた。
2月22日9時5分。沖縄辺野古のキャンプシュワブのゲート前で山城博冶さんら2名が米軍憲兵に逮捕された。
米軍による日本国民逮捕は、戦後70年、一度も起きていない異常事態である。
罪状は「基地内侵入」「刑事特別法違反」。
だが、辺野古新基地建設反対運動の先頭に立ってきた沖縄平和運動センターの山城博冶議長は、まったく逆の行動をとっていた。
このとき、キャンプシュワブのゲートには約2800人(主催者発表)の人々が押し寄せていた。
「イエローラインのなかに入らないようにお願いします」
日米を分ける「基地境界線」を越えないように呼びかけていたのだ。
そこに突如、米軍憲兵がやってきて山城さんを引きずり倒し、手錠をかけて基地内へと連れ去った。約3時間、基地内に拘束された山城さんらは「法に則って名護署に身柄が引き渡された」と沖縄県警は説明しているが、それがどんな法律なのか、最後まで説明できないままだった。
「突然、米軍がやってきて拘束した。私たち(県警)はやっていません」
「米軍のすることを県警は判断しません」
「法律の問題も答えられない」
山城さんらは翌23日19時44分に釈放された。
新聞を広げて、愕然とした。
朝日新聞、毎日新聞が、この「戦後史をひっくり返す事件」をまったく報道しなかった。一行も、である。
東京新聞の一面トップ見出し。
<米軍、反対派2人拘束>(2月23日)。
これに対し、朝日新聞は……。
<医療機関19%浸水の恐れ>
南海トラフ地震が起きると病院が津波に襲われて……。
朝日新聞記者は、何を恐れているのか!?
毎日新聞は……これはもう、笑うしかない。
<大都市の私大生数抑制>
文科省が私立大学の学生数制限を厳しくする……って……だから……どうした!?
2月22日に辺野古にいた毎日新聞記者は、この1面見出しを見てどう思っただろう?
2015年2月23日。ジャーナリズム崩壊。
「やっぱり、そうなんだなあ」
ある意味、納得する他ない。
新聞は「戦争を待っている」のである。
大正デモクラシー崩壊と同時期に読売新聞を買収した正力松太郎は、
「戦争になったら新聞は売れるぞ!」
誰はばかることなく、そう豪語し、
「銃剣から血が滴るような記事を書け!」
編集現場で吠えた。
満州事変を機に読売新聞は夕刊を発行。戦線が拡大すると「第二夕刊」まで出して大儲けをした。
読売は確信犯であり、批判されても「その通りのことをやった」と白状しているのでまだ潔い。
問題は、満州事変を機に140万の発行部数を350万部に激増させた朝日新聞である。
朝日新聞だけは、自らの戦争責任を「なかったこと」にし、今も正義面をしている。
朝日新聞社は、実際に「社史」から戦時報道を削除し、批判するジャーナリストを脅す事件まで起こしている。
1994年夏。『読んでびっくり 朝日新聞の太平洋戦争記事』(リヨン社)という本が発行された。
売れ行きは好調で増刷を重ねていたが……突如、絶版。
朝日新聞社が著作権を楯に抗議してきたのだ。
「本を絶版にせよ」
「新聞に謝罪広告を出せ」
「賠償金を支払え」
著者は「現役記者」安田将三、石橋孝太郎。
巻末の対談で二人はこんな会話を交わしている。
<石橋 ……新聞という言論機関が、戦時中の新聞報道の問題点を検証するという、現代にも通じる極めてまじめな取り組みに横槍を入れるというのは、非常に残念な態度だと思います。僕は外部の批判を認めるのが、新聞社の当然の姿勢じゃないかと思うわけです。
安田 自己批判すらきちんと行わない新聞社にそれを期待するのは、僕は難しいと思う。本書刊行に当たって、5月下旬に朝日新聞の中江利忠社長に、朝日新聞が戦争責任についてどう考えいるかなどを問う質問状(別掲)を出した。しかし、中江氏は広報を通して、回答はできないとの返事を寄せてきた。朝日は自らの戦争責任を明確にするのを避けていると言われても仕方がないのではないだろうか。>(絶版後、出版社を変えて刊行された『朝日新聞の戦争責任』太田出版)
「3・11」直後、私も朝日新聞から取材拒否を受けた。朝日新聞はジャーナリストの取材に答えないのだ。
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