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2014年9月18日 (木)

「吉田調書」のウソ 「2号機のベントはしていない」吉田昌郎所長

「吉田調書」(朝日新聞デジタル)より

 
<——— このころ、ベントではウエットウェルベントということが一つあると思うんですけれども、ドライウェル側のところからベントするような検討みたいのは。
吉田「それはもちろん、しています」
——— それもされているんですか。実際にはそれは、3号機に関してはされていないんですね。
吉田「ウエットウェルを先行してしまったんですね。それをやっている間に爆発してしまって、何か、圧が下がってしまったんですね。ずっと下がってきたんで、ドライウェルベントをやるタイミングが、逆に言うと、検討はしたんだけれどもという状況だったと思うんですね」
——— 1号機はウエットウェルだけをやっていて、2号機はウエットウェルに加えてドライウェルもということの検討も、検討の俎上には上がっていたと。
吉田「3号機」
——— ああ、3号機ですね。>
 
 おかしいでしょ?
 
 まるで「2号機ドライベント」は「検討すらされていなかった」と読めます。
 
 しかし……。
 
Photo
 

<福島第一原子力発電所2号機の状況(6月6日6:00現在)>

 2011年6月6日に東京電力の記者会見場で配布された資料。そこにはっきりとこう書かれている。

<3/13 11:00 ベント開始>

 飯館村を消滅させた放射性物質の大量放出は、3月15日に起きた。

 なんと、その37時間前にベントの弁が開放されていた!

 飯館村の気象データ。そのとき、4・6メートルの強い西風が吹いていた。放射性物質は海に向かって流れたのだ。

 このときはまだ、吉田昌郎所長は「ベントの鉄則」を守っていたことになる。

 しかし……。

<3/15 00:02 ベント開始>

 ベントは2度行われていた!

 2011年6月の時点で東京電力は自供していた。

「ベントを行い、日本の国土を人の住めない場所にしました」

 公表された「東電テレビ会議」は、その4分後に終わる。

「ハードディスクの容量が切れた」

 ウソつけ!!

 直前のやりとりがこれなのだ。

<早瀬祐一東電顧問 ベントできるんならさあ、おい吉田。ベントできるんだったら、もうすぐやれ、早く>(『検証 東電テレビ会議』朝日新聞社より構成)

<峰松昭義東電顧問 ドライウェル(格納容器の上部)、ぶっ壊したらまずいからさあ。早くドライウェルの小弁だけでも開けてくれよぉ>

「ドライベントをせよ」という本店からの指令がはっきりと記録されている。

「検討されなかった」どころか、みんな、度鳴り、哀願している。

「2号機のベントをしてくれ!」

『東電テレビ会議49時間の記録』も「吉田調書」も書いたのは木村英昭記者だろう。

 しかし、木村記者は次の点をまるで気にしていないようなのだ。

「飯館村消滅事件の犯人は誰だ?」

 放射能最大放出の原因を追わず、

「東電幹部が逃げたのか逃げなかったのか」

 それのみにこだわっているのである。

 国土の喪失は戦争以外には考えられない。

 国土喪失事件より東電社員逃亡事件の方が重大ニュース!?

「吉田調書」の最大のウソ。

「2号機はベントしていない」

Photo_2

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