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2014年9月13日 (土)

「吉田調書」吉田所長の眼前で被曝した自衛隊決死隊6名は10時間前に日本を救った英雄たちだった!

 ふらふらで吉田所長のもとに向かった自衛隊決死隊。

 
 6時間前まで彼らがいた福島第二原発(2F)で何が起きていたのでしょうか?
 
 2011年3月12日早朝。
 
 1、2、4号機で圧力抑制室の温度が100℃を超えた。
 
 増田尚宏所長は覚悟を決めた。
 
Photo_8
 
「格納容器の破壊を避けるためには、水蒸気を抜くベントしかない」
 
 緊迫した状況でも、増田所長には自信があった。
 
「核燃料は壊れていない」
 
 作業員と自衛隊員50名が必死の注水を続けていたからだ。
 
 しかし、1Fに続いて、2Fもベントしたら東日本はどうなる?
 
 懸命の復旧作業で冷却機能がよみがえったのは14日01時過ぎ。
 
<あと2時間遅れていたら、ベントせざるを得なかった。「紙一重だった」と増田所長は言う。>(日本経済新聞2013年5月3日)
 
 菅内閣は1F、2F同時破局のシミュレーションを行っていた。その答えは、
 
 日本分断。東京からの全員退避。
 
 6時間後に吉田所長のもとに向かった自衛隊決死隊6名は、すでに「日本を救った英雄」だったのです。
 
 隊長の名は、岩熊真司一佐。
 
 英雄たちから車のキーを奪う!?
 
(つづく)
 
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