「オイルショック」などなかった!アパルトヘイト下のナミビアからウランは日本に密輸されていた!http://www.mag2.com/m/0001577514.html
オイルショックの時代。日本人がトイレットペーパー争奪戦をやっていたまさにそのとき、日本の港に石油を満載したタンカーがあふれかえっていた事実をご存知だろうか?
1973年の石油輸入量は前年を上回っていた。備蓄タンクは満杯。石油を陸揚げできないので、タンカーがはしけの代わりに停泊していた。
倉庫には、庶民が奪い合っている生活必需品が山と積まれていた。
モノは溢れかえっているのに日本の物価は23%も上昇した。
大企業は軒並み、記録的な黒字決算を発表した。
「オイルショック」自体が壮大なウソ、巨大詐欺事件だったのだ。
現役通産官僚だった堺屋太一が書いた『油断』がベストセラーとなり、
「中東の石油に頼っていては日本人は死滅する」
「原子力こそ救世主」
ウソがばらまかれた。
オイルショックの直前、ロスチャイルド系の国際原子力マフィアが形成される。
<72年2月の第1週、ジロー長官の補佐役が、パリのフェデラシオン通りの豪壮な原子力庁本部にアメリカ以外のウラン生産国の代表を招いた。集まったのは、フランス、カナダ、南アフリカとリオ・ティント・ジンクだ。リオ社は、アメリカを除いた全世界のウラン埋蔵量の5分の1を支配していたので、主権国並の扱いだったのである。ロスチャイルド家の“格”が想像できるだろう。
この予備会談で「秘密クラブ」を結成し、ウラン価格を引き上げる作戦が話しあわれた。>(山岡淳一郎『田中角栄の資源戦争』(草思文庫)
なぜ、「秘密クラブ」が必要だったのか?
ナミビアのウラン鉱山「ロッシング」の開発に最初に乗り出したのは、南アフリカの「アングロ・アメリカン社」だった。ところが……。
1950年代末に山を掘り始めたアングロ・アメリカンはすぐに撤退してしまうのだ。理由は……。
天然ウランのビジネスは採算が合わない!
白人の21分の1の給料で黒人をこき使っても、ウラン鉱山はまったく儲からなかった。
理由は簡単。
オイルショック前、ウラン価格は1ポンド7ドルと低迷。経費がハンパなくかかるウラン鉱山は「掘ったら損をするだけ」だったのだ。
「闇カルテル」結成と「オイルショック詐欺」でどうなったのか?
1974年からウラン価格が急騰。スリーマイル原発事故が起きる1979年まで40ドルを超える高値で取引された。
逆の見方をすればこうなる。
ウソをつき、イカサマをやり、奴隷を使わないと原子力は絶対に儲からない!
もうひとつのナミビア鉱山「ランガーハインリヒ」を経営するパラディン社の取締役、J・ボルショフはこう語っている。
「オーストラリアやカナダは環境・労働関係法が厳しすぎる。ウラン採掘の未来はアフリカにある」
つまり、労働者の人権を認めたらウラン鉱山は儲からない、ということだ。
ナミビアのウラン鉱山労働には「安全基準」などハナッからなかった。
黒人たちは防塵マスク、手袋すら与えられず、放射性ダストの嵐の中に放り込まれた。
「他にこれといった産業がないから」
ナミビアではなんと、結婚前の女性までウラン鉱山で働いているという。今現在も、である。
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