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2014年1月31日 (金)

UK論 被害者の叫び「どんな救済手段があるのか、誰も教えてくれない」宇都宮けんじ 地下鉄サリン事件

<当時、私は東京弁護士会の副会長の任にあり、霞ヶ関の弁護士会館にほぼ常駐していたので、亀戸からJR総武線に乗り、秋葉原で日比谷線に乗り換え、霞ヶ関に通っていました。だた、私の出勤時間は九時半頃であり、八時にはまだ自宅にいました。テレビをつけると、たくさんの負傷者がうずくまっている場面が目に飛び込んできました。映されているのは、築地駅の出口付近の路上です。アナウンサーは、地下鉄で爆発事故が起きたと伝えています。これは大変だと思い、JRを乗り継いで弁護士会館に駆けつけました。

 その後、被害の発生が、化学兵器に使われる猛毒の神経ガス、サリンの散布によることが判明すると、多くの人が、やはりオウムの犯行かと考えました。というのも、前年の一九九四年六月二七日に起きた松本サリン事件が想起されたからです。事件は未解決だったものの、教団の動静を知る者には犯人の見当がついていました。

 また、九五年の元旦には、読売新聞がトップで記事で、オウムの道場がある上九一色村(現甲府市富士河口湖町)からサリンの残留物が検出されたと報じていました。周辺の草木が異様な枯れ方をしているというのです。同年二月二八日には、目黒公証人役場の事務長が拉致される事件が起こりました。その背景に教団とのトラブルがあり、信者の関与は濃厚でした。>

『弁護士、闘う』岩波書店より

 1994年秋、私はある雑誌から、

「上九一色村のオウムの教団施設を取材しないか?」

 という依頼を受け、快諾しました。

(つづく)

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