イスラエル・ロビーとは何か? わしの経験から話します。やつらは雑誌を瞬時に潰すことができます。
1995年1月。わしは神戸にいて途方にくれていた。
雑誌『マルコポーロ』からの依頼で大震災をルポしていたんですが、
わしの力のなさを思い知らされた。
「遺品を掘り出しているんだよ。お前らマスコミは神戸から帰れ!」
そう言われても、ガンガンに取材するのがジャーナリストなのでしょう。
わしはマガジンハウス出身のサブカル「ギョーカイ」人だったので、
ショックを受けて取材ができなくなったんです。わしはアホです。無力。
「家がなくなるということをわかってる? 私は障害を持つ子どもを守る。取材は受けない。テントの中に入るな!」
女性からそう言われたとき、完全にへたり込みました。
わしらは大阪のホテルでうまいものを喰い、タクシーで被災地に通っていたんです。
大阪でタクシーを降りるとドライバーが、
「明日は何時ごろですか?」
出発の時間。
「明日はうまい焼肉屋に御案内しますよ」
これがわしの被災地取材の経験です。
ぐったりしてタクシーで帰っていたとき、
文藝春秋社の女性編集者の携帯がなって、
「中田さん、社に帰ります」
『マルコポーロ』が「アウシュビッツ虐殺はなかった」という記事を掲載。
わしは「この地震より重大なの?」と聞いた。
「雑誌がなくなりそうなんです」
ユダヤ・ロビーがこう言ったんです。
「『マルコポーロ』を廃刊しなければ、文藝春秋社から自動車の広告をすべて引き上げる」
実際にすぐに廃刊。
わしは編集長に「なぜ?」と言った。
編集長の答えは、
「ぼくは中田さんの文章のファンだった」
それでも『ナンバー』との仕事はあったんです。野球。
東京ドームに文藝春秋が買った年間シートがあるので、
巨人・阪神戦の取材をしたんです。
わしの目の前は、黒い小さな毛糸の帽子を被ったユダヤ人だらけ。
彼らにビールを配っていたのが『週刊文春』編集部きっての敏腕、
と呼ばれている編集者だった。
わしはどうしたらいい?
| 固定リンク
« クリントン大統領は退任の数時間前にマーク・リッチを恩赦し、「史上最低の恩赦」と呼ばれた! イスラエルと戦争と「地球温暖化」 | トップページ | 今日17時、国会正門へ集まりましょう! 被災地の人たちが怒りの声を上げるようです。6時からは首相官邸前へ! 広瀬隆さんらがヘリから中継します! »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント