連載 『猛毒隠蔽』--プルトニウム 中性子線
「Fukushima50」を覚えているだろうか。
報道が事実なら、絶対に忘れてならない英雄たちである。
2011年、3月15日。福島第一原子力発電所の敷地内には約800人の作業員がいた。彼らは、地震、津波被害の復旧作業に取り組んでいた。
3月12日、午後3時36分。1号機が爆発。
3月13日、午前11時01分。3号機が爆発。
3月15日、午前9時38分。4号機が爆発し出火。
このとき、東京電力の指示により、従業員の避難が始まった。4号機の火を吹いている箇所が、使用済み核燃料プールに近く、爆発により使用済み燃料棒が露出。火災により、大量の放射線が飛散した可能性があったからだ。
しかし、50人の勇敢な男たちが、現場に踏み止まった。
<“Fukushima50”核危機の中、被曝の危険と闘う>(英『ガーディアン』紙 3月15日)
<“Fukushima50”メルトダウンを防ぐため、現場に踏み止まる>(米FOXニュース 3月16日)
菅直人首相は、「Fukushima50」に賞賛を送った。
「この危機的状況を解決できるのは、あなた方だけです。引くことは考えられません」
「Fukushima50」は、消えてしまった。まるで、「幽霊」のように。
マスコミは不気味な沈黙を続けていた。
何が起こっていたのか。誰にもわからなかった。
日本人が「Fukushima50」の凱旋を待っていた頃、もうひとつの幽霊、「中性子線」が現れた。
3月14日。未明の記者会見で、東京電力は「中性子線を観測」と発表をした。
中性子線は目に見えない。爆発も炎もなく、物音ひとつ立てずにコンクリートの壁を通り抜ける。
まるで「実在する幽霊」ではないか。
3月23日。東京電力は、記者発表を修正した。「中性子線観測は13日の2回だけ」としていたが、「12日~14日の間に計11回観測された」と言い出したのである。観測点は福島第一原子力発電所正門付近。「原因は観測データの計算ミス」と説明した。
計算ミス?
東京電力社員は、二桁の数を「計算」できないのだろうか。
これを最後に、「中性子線」の4文字は、マスコミから消えた。
「Fukushima50」と「中性子線」が同じ時期に現れ、消えていったのには理由がある。大きな因果関係がある。(つづく)
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント