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2011年4月13日 (水)

原発の幽霊「Fukushima50」 英雄物語が生まれたまさにそのとき、3月15日に数十万ベクレル「レベル7」の破局が起きていた

 ネット百科事典「ウィキペディア」によると、「Fukushima50」はこうして誕生した。

<2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震の後に発生した津波によって福島第一原子力発電所の原子炉の冷却機能が停止し、それらの復旧作業や応急処置の為に同発電所には社員を含め約800人の従業員が従事していた。>

 1号機、3号機が爆発しても、800人が福島第一原子力発電所で働いていた。

<しかし、懸命の復旧作業にも関わらず、原子炉1号機の水素爆発など度重なる原子炉爆発事故が発生し、遂に3月15日には、原子炉4号機の爆発と火災が発生。この4号機の爆発は使用済み核燃料プールに保管していた「使用済み核燃料」が建屋(たてや)上層にあり、爆発によってそれが露出した可能性があるのと放射線が飛散した可能性がある為、これらの危険回避の為に人員約750人は東京電力の指示によって避難した。>

「ついに」が破局を意味しているのだとしたら、最大の問題は、4号機の「使用済み核燃料プール」にあった。

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<しかし、約50人が現地にとどまり、福島第一原子力発電所の被害を食い止めることに尽力した。メディアは彼らを地名と人数を合わせた「Fukushima 50」の呼称で呼び始めた[1]。>

 3月15日以降、福島第一原子力発電所敷地内の屋外で作業する人間をとらえた写真は数えるほどしかない。

 今、画像を検索したら、3月22日に東京電力が撮影した写真、4人ほどの作業員が写っている4号機の写真は「右クリック禁止」の表示。

 わしはパソコンに疎いんだが、「右クリック禁止」にするためには、グーグルが集めた画像にどんな操作を行えばいいのだろう。

 3月15日から、約一ヶ月。

 今日、編集者が見せてくれた『読売新聞』の写真には、4号機への放水作業を屋外でやっている作業員3名が写っている。

 今、画像を検索してみたが、ネットでは出てこなかった。

 以下は、科学者じゃないわしの素人推理である。

 3月15日。福島第一原子力発電所の作業員は全員が退避した。

 おそらく、中性子線を遮断できる場所まで。

 ゆえに、「Fukushima50」は存在しなかった。

 東京電力が発電所正門付近で「中性子線を観測」と発表。

 おそらく、JCO臨界事故と同じ状況が福島第一原子力発電所敷地内で発生した。

 中性子線も、建物にぶつかれば、わずかではあるが数値は少なくなる。

 中性子線の致死量は、6シーベルトと言われている。

 JCO臨界事故の経験から、敷地内の中性子線が致死量の10分の1ならば、計算上ではあるが、作業員は約10分間の屋外作業が可能になる。

 4月13日。約一月がたって、やっと4号機の使用済み燃料プールについての報道が解禁された。

 NHKは、プール上部の空間線量をどう伝えたか?

 約80ミリシーベルトである。

 しかし、そんな人体実験を、日本政府が「命令」して、国民にやらせたかどうかはわからない。

 しかし、日本政府が「その場に止まれ」という「命令」を東京電力に対して出したのは、わしの知る限り、このときだけなのだ。

 4月13日早朝。日本原子力委員会は「レベル7」を発表。

『読売新聞』が4号機への注水をする作業員の写真を一面に掲載。

 2号機のトレンチに溜まった水のタンクへの移送作業開始。

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(この構造図もプールの位置を隠蔽しているが)。

 NHK『ニュースウォッチ9』が「新たな問題が……」と4号機の使用済み燃料プールの温度と放射性物質について報道。

「レベル7」報道に合わせたかのように、日立製作所とGEが廃炉計画を発表。

 皆さんは、どう推理する?

 わしは隠蔽だと思う。

 取材費を出してくれるところがあれば、すぐに走り出しまっせー!!

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