ブルース、資本、そして、わが祖国
まあ、貧乏な酔っ払いの繰言に、つきあいなせえ。
『スパ!』の巻頭コラム、勝谷くんの文章、どう思ったよ、皆の衆。
今、もう一度読み返したが、三島由紀夫の引用文は空虚。
しかも、その空虚を力を込めて伝える勝谷くんの文章に「なぜ、国家は人間にとって必要なのか」という核心部分、基盤、論拠が何も書かれていないのである。
マッチ擦る つかのま海に霧深し 身捨つるほどの祖国はありや
中学生のときだった。 この寺山修司の短歌を読んで、わし、しびれました。
それが盗作だった、と知ったのはずいぶんあとになってからのことだ。
同じ頃に。
国家なんてないとイマジンしてごらん。
というのもあった。
東京に出てきて、大学生になって、バンドを組んで、わし、寺山のようになりたかった。
「言葉遣いの達人」になりたかったんで、Aマイナーに乗せて、
祖国よ!
って歌ってみたら、これが気持ちいい。
それが、わしの「国家=ブルース説」の始まりであり。
根拠は?
根拠なし。通らばリーチ。平和のみ(真崎守の(古い!)漫画より)。
それから、たとえば、「国益」について、いろんなテキストを読んでみたが、そっちだって根拠はないよ。
ブルース=国家<銀行家
資本は?
資本が銀行家が印刷する紙幣で計られるのなら(あるいは、為替レート)、資本は公式には当てはまらない変数なのではないか。
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コメント
「本歌」と寺山短歌の関係は
ブルースとロックの関係。
その関係がひとつ進んだ次の段階が
ロックとパンクの関係では。
もちろん寺山はそうした関係に
十分意識的だったと思う。
翻って、あんたは
ブルースとロックとパンクを
悪い意味でごっちゃにしてないかい?
投稿: 個人的見解だけど | 2010年12月 8日 (水) 13時17分