年末ジャンボ宝くじ
『ザ・クオンツ』という本を読んでいて、これ、マジに面白くて、酒場でこう声をかけられた。
「中田は宝くじ買った?」
とっさに出たきた答えが「多分、一枚だけ買うんでしょう」というもので、答えてうろたえた。
300円に対する期待値が、とか、真剣に博打をやること、とか、講釈はいくらでもあるんだが、わしは「一枚買う」のである。多分だが。
そして、はたと気づいた。
『ザ・クオンツ』に出てくるウォール・ストリートの大立者は、数学の天才であり、ポーカー、ブラック・ジャック、ルーレットなど、ギャンブル必勝法にとりつかれていた。
もちろん、彼らは宝くじは買わないが、そこに競馬も皆無なのである。スーパーボールに代表されるスポーツ賭博も出てこない。
天才たちが何を言うか、といえば、競馬は、株式市場よりはるかに複雑な複雑系であり、未来予測をしようとする努力に意味はない。ゼロ。
そこで「真剣に博打をやる」と言ってるバカがわしなのだ。
数学の天才たちは、カジノで成功しなかったが、ウォール・ストリートに精緻を極めたコンピュータ・システムを構築し、ぼろ儲けをする。
そして、結局、ギャンブル必勝法が、リーマン・ショックを引き起こし、世界を崩壊させるのである。
なぜなのか? なぜ、天才は道を誤ってしまうのか?
それは、宝くじにおける「300円の期待値」にある。
数学の天才たちの作った数式でも、300円は「変数」ではない。
300円は明日も300円である、思い込んでいる。
牛丼と交換できる、と思い込んでいるんだな。
タバコが好きな人は、国家権力によって、300円がセブンスター一箱と交換できなくなった現実を考えてみてほしい。
単純に、住宅ローンを払い続けている人の300円と、持ち家に住んでいる人の300円は違う。
つまり、「変数」だ。
国家、祖国とは、1億個の変数が相互作用する方程式といえないか?
しかも、その方程式を成り立たせている基盤は、「300円は明日も300円の価値がある」という人間の思い込み、脳内の出来事でしかないのである。
リーマン・ショックについて、コンピュータはこう結論づけるだろう。
全人類の気が狂っている、と。
しかし、あなたは正気でしょ?
方程式やプログラミングに優雅さや美しさを感じるのではなく、夕焼けや子どもの笑顔、馬が走る姿に美しさを感じるでしょ?
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