寺山修司先生の映画『書を捨てよ、街に出よう』はやっぱすごい
退屈。長回しがうっとおしい。意味不明。
だけど、この映画を引き継いだ監督は一人もいないよね。
映画が終わったら何もない、白いスクリーンだけだ、と言って、直後に、映画は29日間で撮り終えて、物語も関係性もウソだ、と言う。
本当は、そこから始めなきゃならなかったんじゃないか、としみじみ思うよ。
「コカコーラの瓶の中のトカゲ」から「国家」に至るせりふは今もしびれるねえ。
寺山先生はモーホで変態で盗作魔であったかもしれないけど、わしの原点はこの映画にあった。
つまり、物語を自明として商品化するやつは疑ってかからなきゃいけない、ってこと。
その足場で始めなきゃいけないはずなのに、日本の文学ってやつは!?
そんなことを足場にしてるから、おめえは売れねえんだよ!
確かにそう。
でも、後戻りはできないよね。
読んでしまった、観てしまったんだから。
ゴダールなんぞ、古典的じゃん!
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コメント
ゴダールは映画監督というよりも画家だと思う。
投稿: CAYONG | 2010年10月 1日 (金) 17時01分