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2010年10月 6日 (水)

歴史は一度も「死」によって書かれたことがない

 今の日中関係に死があるか!?

 ない。皆無。

 中国人船長が故意に船をぶつけてきた、ってだけの話だ。

 でも、この対立の解決策は戦争しかないのよ。

 あるなら、コメントください。

 銃口が火を噴けば、戦争だ。

 戦争になったときに、まず、最初に、人間の死から目をそむけるのは誰?

 劣勢の国家である。

 国家には歴史を書く人間がいて、それはまず、マスコミである。彼らは死を書くかもしれないが、死の数には触れない。

 人類は物の数が数えられないのか!?

 死だけは数えられないらしい。

 私は死にしか興味がない。数人の死をポケットに入れて持ち運んでいる。ポケットから出して対話するために。

 死とはそういうものであり、多分だが、「死の総数」に意味はないのかもしれない。

 でもね、あなたが抱える死を、小泉純一郎くん、バラク・オバマくん、菅直人くん、小沢一郎くんと語り合って、しみじみできるか!?

 権力は死を考えない。

 そこが根本の問題だ。

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