1995年、世界の終わり
阪神淡路大地震とオウム真理教事件が情報環境を席巻した1995年だが、このとき、為替レートは、ひっそりと、1ドル70円台になったのである。
大事件に隠れて、為替の異常事態はほとんど報道されなかった。
バブル崩壊から約4年、当時、日本経済は「緩やかに回復している」と言われていた。
今とまったく同じである。
わしが、この国にいて、つくづくいやになるのは、15年前に経験した事態に対し、今、なんの教訓も対処策もないことだ。
マスコミは言うよね。
企業に打つ手はない。
日銀にも打つ手はない。
政府にも打つ手はない、と。
左翼はこう言う。
50年前、IMF、世界銀行体制が生まれたから、世界は不幸になった。
違うんだよ!
バーナード・ケインズは、基軸通貨たるドルをなくし、国家間取引のための世界通貨を作るべきだ、と主張し、アメリカに潰されたんだよ。
ケインズが会議に向かっていったとき、彼は、世界銀行IMFを作るためには、為替をなくさなければならない、と考えていたんだよ。
ドル支配が続いた世界はどうなった?
テロリズム、戦争、大量虐殺、企業による国家統治、人間の排除、失業、貧困、さらなる殺し合いじゃんか。
1995年に高校生、大学生だった人に聞きたい。
希望はあった?
それでも、日本の輸出産業、メーカー、ものづくりに命をたぎらせてきた人の話こそ、わしは聞きたい。
あったはずだ、とわしは思うから。
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コメント
ものづくりへの情熱は今でも衰えていません。(私の場合はモノを作るための設備を作る仕事でしたが・・・)
今でも機械図面を引きたい・・・、マシンレイアウトを設計したい・・・、制御回路図を読みたい・・・。
私は命はかけませんでした。しかしプライドとメンツは常にかけていました。(すべての顧客と日本の為にかけていました。)
私は息子にこの日本人の情熱とプライドを引き継ぎたい。
なぜなら経済の基本はモノを作って売ることだから。
これを忘れてはいけないから・・・
投稿: たわけ | 2010年8月12日 (木) 18時28分