牛を殺処分するということ
わしは馬に乗ったことはないが、
なら、偉そうに競馬の予想をするな!!
牛に乗ったことはある。
背骨が馬のように縦に揺れずに、横にグニグニ動くので乗りにくいったらない。
生まれは、稲作地帯なのだが、山沿いの近所だけ、乳牛を飼っている農家が多かった。
幼なじみのSちゃんの家も牛がいて、お父ちゃんは若くして亡くなり、体が不自由なおばちゃんもいて、おかあちゃんは婦人会の旅行にも行けない。
Sちゃんは学校から帰ったら手伝い。手伝いの合間に遊ぶ、という日常を生きていた。
そんな日常にも、騒ぎ、お祭りはあって、最大のお祭りは牛の出産である。
近所の人が総出で子牛を母牛から引き出す。
子牛が立ち上がると、誰もが笑顔になる。
ある日、音楽の授業で、一人ずつ独唱する、ってのがあって、課題曲が『ドナドナ』だった。
わしは、後に新宿ロフトを震撼させる(ホンマか?)美声でもって、浪々と歌い上げた。
Sちゃんの番になった。
Sちゃんは歌わない。
口を開けても言葉が出てこない。
はたと気づいた。
激しく悔いた。
お祭りの半分は、お通夜になったのだ。
男の子牛が生まれたときは。
男の子牛は軽トラックに載せられて、山道を運ばれていって、道の頂点で消える。
それをわしも見送ったことがあったのに……。
牛が殺されるということ。
丹精込めた種牛を国家権力によって殺される人の気持ちを、わしなど慮ることも、その資格もありはしないが。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント