思えば、崩壊が始まったのは、15年前の昨日。
神戸が、淡路島が揺れた。
地元の人と交わした会話はこれが最初だった。
「朝鮮人が泥棒しとる」
タクシー・ドライバーの発言だ。
神戸に入ってぼう然とした。
出会う人に片っ端から、話を聞くしか仕事のやり方がないのだが、
「息子が障害者だから、写真は撮らないで」
まず、そう言われた。
今思えば、「災害と差別」こそがわしが書くべきテーマだったと思うが、アホだったわしは希望にすがりつこうとした。
ある新聞販売店の女性と会話を始めて、その記事を書こうと思ったら……。
担当編集者が「東京に帰る」と言う。
「大変なことが起きた」と言うのだが、阪神淡路大震災より大変なことがあるわけはない。
わしは文藝春秋社の『マルコポーロ』からの依頼で神戸に来ていたのだが、そのとき、発行された『マルコポーロ』に「ホロコーストはなかった」という趣旨の記事が掲載されたのだ。
確かにありえない文章。ひどい企画だ。
編集者は、とにかく「大変だ」とだけ言って、「編集会議のために帰ります」と言い残し、いなくなった。
『マルコポーロ』は、瞬時に潰れた。説明も話し合いも何もなく。
ホロコーストで死んだ人は一千万人?
阪神淡路大震災で死んだ人は?
あのときから、わしのポケットには死が入っている。
ときどき取り出して、会話する。
死者とは会話ができる。
雑誌が死んだとき、花田編集長はなんて言ったと思う?
「中田さんの文章のファンです」
謝れ!
しばらくして、わしは、『ナンバー』編集部に頼んで、東京ドームに巨人-阪神戦を観に行った。
ネット裏に文藝春秋社シートがかなりの数あって、頼めば、そこに座れた。
文藝春秋社シートには、頭にちっちゃくて黒い帽子を載せた外国人がいた。
そこに、わしが信頼をしていた編集者がやってきて、ユダヤ人ロビーにビールを配って接待をしていた。
あとで知ったが、このとき、野球を観てビールを飲んでいたユダヤ人たちは、日本のすべての雑誌から自動車の広告を引き上げさせる権力を持っていた。
差別はいけません。
本当にそうだ。
崩壊した。世界が。
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