連載 そして、民主党への落胆はもうすぐそこ!
平和島競艇での服部幸男の八百長について、書いてもらいたい人、いる?
いないようなので、民主党の八百長について書く。
連立協議は、なぜ、決裂したのか!?
民主党の約半分は、アメリカ白人の友達だからである。
そいつらが、小泉改革時のアメリカによる泥棒行為の手引きをし、強欲資本主義を助け、「日米同盟は磐石です」と言っているから。
もちろん、激怒している民主党議員はいるよ。沖縄の基地問題に取り組んできた民主党議員はいる。
ここからが、さらに問題。
マスコミは、激怒している民主党議員を取材しても、報道しないのである。
予言するが、民党政権に対する国民の不満が爆発したとき、このお蔵入り映像、記事が噴出する。
マスコミは、「そもそもどこで間違ったのか?」とかなんとか、「TBSのライブラリーにその決定的証拠が残っていた!」とかなんとか、言うに決まっているんだよ。
ひでえ八百長。
ということで、週刊誌ジャーナリズムを問う、連載の続きです。
「脱いだ女」「脱がなかった女」の50年史
もちろん、映画は作り手の意図するサイズ、解像度、音量で体験したい。しかし、観客の「大画面で観よう」という気持ちから、最初にこぼれ落ちたのが、女優の裸ではなかったか。
それでも、「映画館に行かねば」と思わせる「裸映画」はあった。
2万本を売って、「アダルトビデオの時代」を切り拓いた『愛染恭子の本番生撮り 淫欲のうずき』が発売されたのが1981年11月。「高田美和がロマンポルノに主演!」というニュースに衝撃を受けたのはちょうどその頃だった。
筆者の中に怪獣映画のようなものが浮かんだ。
「愛染恭子の本番対高田美和の全裸」
文句なしに高田美和の勝ちだった(いや、両方観ればいいだけの話ではあるが)。父は大スターの高田浩吉。となれば、公私共に「ええとこのお嬢さん」で、銀幕の中の高田美和は可憐な娘役で大映時代劇を支えてきた。のちに片岡秀太郎と結婚、「梨園の人」となり、『2時のワイドショー』の司会者でもあった高田美和が……。
脱いでいいの?
旦那の片岡秀太郎さんは?
プロデューサーの岡田裕さんは言う。
「反対するどころか、ノリノリなんですよ。ベッドシーンの撮影のときも付きっきり。『美和はこういう風に撮った方がきれいだ』とか、いろいろと演出を指導していた。その女形ならではの指摘が的を得ていて、当時35歳の高田さんの、妖艶で成熟した魅力をうまく引き出していた」
筆者は映画館に走って、椅子からずり落ちそうになり、帰り道に考えた。
「豚の丸焼きを床に落として、最後、生首になるボンクラ・ヤングの話だが、破壊的なストーリーは、まあいい。高田美和さんの裸はまぶしかった。特に引きの画でのフォルムが素晴しいじゃないの。ありがとう、美和さん! ありがとう、日活!」
翌年、燎原の火のごとくビデオが普及していく中、日活は名作『ダブルベッド』を公開する。藤田敏八監督。大谷直子主演。東京タワー下の特設テントで上映され、「映画は集団体験だ」ということを強烈に示した鈴木清順監督『ツィゴイネルワイゼン』の共演コンビである。さらに、根岸吉太郎監督『遠雷』で、お見合いの日にモーテルでスポーンと素っ裸になる鮮烈なヒロインを演じた石田えりが助演。主演男優は柄本明。岸部一徳、吉行和子が脇を固める。
豪華すぎる顔ぶれなので、「露出は控えめだろう」と思って映画館に来た観客は度肝を抜かれた。
大谷直子が柄本明のお尻に指を突っ込むなど、セックスシーンは、ロマンポルノ史上でも類を見ない激しさ。しかし、それはサービスでも映画の目的ではなく、登場人物がやむにやまれずのめり込むもの、人間の営みとして、実にリアルに描かれている。映画のエロチシズムの頂点がここにある(と筆者は考えるが、「映画史」を名乗る本がこの作品を黙殺しているのはなぜ!?)。
岡田さんは言う。
「大谷直子は、裸が一番きれいなとき。性描写を売り物にした映画なのに、荒井晴彦のホン、パチさん(監督)の演出、俳優の芝居……みんなの呼吸がピタリと合っている。スタッフ、キャストの気持ち、感性がこれほどひとつになった映画もめずらしいでしょう」
大谷直子こそ、日本「裸」映画史のパイオニアであり、女王である。
1983年、アダルトビデオと激しく闘った女優がもうひとりいる。40歳をゆうに越えた五月みどりである。
『ファイナルスキャンダル 奥様はお堅いのがお好き』は、質屋を舞台にした艶笑コメディ。苦学生が教科書を質に入れて1万円借りようとすると、五月みどりがいきなり、
「あなた、オチンチン持ってる?」
どんな質問だ!?
「あなたの童貞、預かるわ。質草にするの」
お金が返せないと、初体験をさせてくれて、おまけに、
「ここの下宿にいらっしゃい。引越し代出してあげるわ」
ボンクラ・ヤングの夢そのもの。ありえないお話なのだが、五月みどりの脱ぎっぷりは、日本で最も多くの「裸映画」を製作した岡田裕さんをも絶句させた。
「男の子9人とお風呂に入るシーンがあってね。あれは彼女じゃなきゃできない。普通の女優さんだと、ビビッちゃって入れないですよ。彼女はそれを自信満々でやるんですから」
五月みどりのむっちりとした裸体。わずかに寄る年波を感じさせる乳房……。あの時代、「お色気ムンムン」という言葉はまだ死語ではなかった。
1983年は、東映のラインナップも豪華だった。五社英雄監督『陽揮楼』で池上季実子が巨乳を惜しげもなく晒せば、深作欣二、佐藤純弥、中島貞夫共同監督『人生劇場』では、今や日本を代表する大女優、松坂慶子が大胆な濡れ場を演じた。
映画評論家の寺脇研さんは言う。
「松坂さんには“わがままな女優”というイメージがない。監督や観客のために尽くしてくれる女優という感じだから、男性はみな彼女に感情移入しやすいんです。『人生劇場』で旅館の女中、お袖(松坂)は主人公の早大生と恋仲になるが、娼婦に身をやつし、金のために体を売っていた過去が暴かれて、振られてしまう。そんなとき、男の観客は、つい彼女を応援したくなってしまうんですね。仮に秋吉久美子や桃井かおりが同じ役を演じても、男は『しょうがないよな』と突き放してしまうでしょう」
1980年代中盤まではまだ、女優の裸は映画館で観るものだった。
映画評論家の秋元鉄治さんは言う。
「小柳ルミ子『白蛇抄』、十朱幸代『魚影の群れ』、樋口可南子『卍(まんじ)』、松尾嘉代『鍵』も1983年公開です。しかし、大物が脱ぐ流れも、黒木瞳が『化身』で藤竜也相手に全裸ベッドシーンを演じたあたりを最後に、終息していく。女優が映画でヌードになることで、社会的に騒がれたのは、高岡早紀の『忠臣蔵外伝 四谷怪談』が最後かなあ」
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