週刊誌ジャーナリズムはもうあかんでしょ?
実はわし、『週刊現代』のわしの記事がどうなったか、今日まで知らなかった。
掲載誌が送られてこないからである。
喧嘩したから、発送が止められたの?
直前まで、毎週送ってくれていたのに。
激怒してメールしたら、なんと、3冊まとめて送られてきた。
今、読んだ。
感想は……。
昭和の香り漂う名文ですなあ。
わしの原稿と比較してほしい。
映画を観て、批評しない、という立場が、物書きにありえるのか?
それがあるのなら、編集者は、絶対にわしに原稿を依頼すべきではなかった。
映画はなぜ存在しているのか?
それを観た人間が何かを感じ、それを人に話したくなるからでしょう? 違う?
そういう欲求を持ってない特殊な人にしか、今回の原稿は書けない。
つまり、人としてわからん。
簡単に言えば、批評眼を持っている、少なくとも、持っていると思っている人間は週刊誌ジャーナリズムには不用なのよ。
だから、巻頭の記事でこう書く。
<日本の”すべて”が変わる日が目前に迫った。>(どこよりも詳しい! 全480議席 最終「当落」)
本当に「すべて」が変わるのかよ!?
これが国民的ツッコミだ! 違う?
でも、巨大マスコミには、編集者がいないから、いても激しく劣化しているから、この書き出しは素通り。
本当にこの国の「すべて」は変わるのか?
どこまで読んだって、書いてないよ。
「すべて」と書くのなら、日米同盟は変わるのか!?
これが、安保闘争を闘って、胸に空しさを刻み込んだ世代の実感だろ!?
その世代が、『週刊現代』を5年前まで読んでいた顧客だから、売れなくなるのは当然だ。違う?
「すべて」はたった3文字。でも、遣っていい3文字か、遣っちゃダメな3文字か、考えてみてほしい。
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