ついに完結! 貨幣と交換できない原稿
昔、『平凡パンチ』で「洋ピン評論家」を目指したことがある。
一日で、挫折したけど。
なんかね、「隙間産業」なんじゃないか、と思ったアホウなわし。
一日、6本の洋ピンを観て、瀕死。
とういうわけで、これでも、エロ映画が大好きなのよ、連載完結。
「脱いだ女」「脱がなかった女」の50年史⑦(だっけ⑥だっけ)
『忠臣蔵外伝』は「松竹」創業100年記念作品。ところが、監督は東映の実録モノで一世を風靡した深作欣二。まず、この抜擢がわからない。山田洋次監督が下町人情でもって寿ぐべきだと思うがなあ……。
内容も深作監督の「絶対に面白いものにする」という使命感が完全な仇。忠臣蔵も四谷怪談も我が国を代表する普遍的な物語だが、世界観がまるで違うのだから、「面白さ倍増」ではなく「混ぜるな、危険」だろう。
お岩は売春婦(だから、哀れさ激減)。伊右衛門が赤穂浪士(だから、悪が中途半端)。化粧しちゃいけない顔の代表、石橋蓮司、蟹江敬三だけ白塗り(!)。討ち入りの大団円にお岩がカメカメ波で助太刀(大映の化け猫映画か?)。松竹らしさはかけらもない。結果、「裸を売り物すると、変な映画になる」という宿命の絶好のサンプルとなってしまうのだ。
公開前、松竹宣伝部は、スチール写真の管理を徹底したという。業界関係者ですら、「高岡早紀が全裸になることはない」とたかをくくっていたので、
「先行試写会で観ていたとき、佐藤浩市が高岡早紀の胸をわしづかみにする場面で、スリムな体つきからは想像できないほど豊かなバストに、『おー』とどよめきがあがったのをおぼえています」(秋本さん)
試写会のスクリーンを隠し撮りして、つまみ出された人もいたらしい。
この騒動が、おそらく、最後の日本映画の「裸祭り」である。
「オナペット」と呼ばれた映画女優は、アダルトビデオの蔓延によって絶滅。以降は、あからさまな経済原理が女優を縛りつけることとなる。
80年代初頭、夏目雅子がすでに契約書に縛られていたように、
「何が一番儲かるのか」
それは、テレビCMである。
女優本人ではなく、所属する芸能事務所が効率を追い求めていく限り、所属する女優が映画で裸になることは、会社にとっては営業妨害以外のなにものでもない。今、売れてなくても、将来にCM出演の可能性がある限り、誰も脱がない。
寺脇研さんは言う。
「日本は芸能事務所が俳優のマネジメントを仕切るという、世界的に特異な現状にある。
こんな仕組みは日本にしかないですよ。芸能事務所の仕切りが俳優の可能性を狭め、結果的に邦画のクオリティを落としている」
たとえば、世界的ヒットとなった『ハンニバル・ライジング』は、日本人女性がレクター教授の育ての親という設定である。ヌードシーンも映画の重要な要素であり、ハリウッドのスタッフは、日本で女優を探したが、誰も応じず、中国出身の国際派女優、コン・リーが堂々たる裸身を晒した。大げさに言えば、日本の芸能事務所は「国益」を毀損している。
鈴木京香、藤原紀香、広末涼子、天海祐希……1980年前後なら、「裸映画」を期待されたであろう女優は、結局、全員が効率を選んだ。
「『余命1ヶ月の花嫁』にしても、乳がんと闘い、24歳で他界するまでの1カ月間に、どうセックスするかを描くのは避けては通れないはず。きれい事にしてしまうことのほうが、むしろ不自然です」(寺脇さん)
そんな中、ほぼ性描写のみの映画『ヴァイブレーター』の監督と飲み屋で偶然出会い、「ダメモト」で切り出した出演依頼を快諾したという寺島しのぶは本当に偉大だ。50代後半になって『るにん』で全裸になった松坂慶子の「義理堅さ」もすごい。日活最末期の『うれしはずかし物語』や低予算の小品『極道記者』でも期待以上の脱ぎっぷりを見せた川上麻衣子にも頭が下がるが……。
「裸映画は不滅だ!」
筆者はそう言いたいが、そう結論づけられるわけもない現状に、日本映画のチャレンジ精神を体現した老いた天才脚本家、白坂衣志夫さんの言葉がのしかかる。
「日本人はなぜ、こんなに保守的になったんだろう」
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