ブコウスキーは言った
<ときとしてわたしたちはすっかり忘れてしまう。ガス料金を払うことや、オイル交換をすることなどなど。ほとんどの人たちは死に対する用意ができていない。>
できてるよ、と、わしは言う。さすがに、50歳になったからな。
<自分たち自身の死だろうが、誰か他人の死だろうが。死に誰もがショックを受け、恐怖を覚える。まるで不意打ちだ。何だって、そんなこと絶対にありえないよ。>
三沢さんの死がまさにそれ。
ミスター珍の、グレート金山の。
死だ。
<わたしは死を左のポケットに入れて持ち歩いている。そいつを取り出して、話しかけてみる。「やあ、ベイビー、どうしてる? いつわたしのもとにやってきてくれるのかな? ちゃんと心構えしておくからね。>
わしもそうすることにした。ここ3年ぐらい。
<花が育つことについて嘆き悲しむこと以上に死について嘆き悲しむようなことは何もない。>
だよな。
<何が恐ろしいかといえば、死ではなく、みんなが生きる人生そのもの、あるいは天寿を全うしてその死を迎えられないということだ。みんなは自分たち自身の人生をありがたがることもなく、小便をひっかけている。>
人生に。生に対して。
<彼らが頭を使うのは、誰かとファックすること、映画、金、家族、そしてまた誰かとファックすること、それしかない。>
世界はクソ。
わしは三沢さんの死を多分、永劫、言葉として納得することができない。
死んだら死んだでしゃあねえや。
たとえば、これ。
でも、言葉を推薦することはできる。
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死をポケットに入れて (河出文庫) 著者:チャールズ・ブコウスキー |
言葉は慰めにすぎないが。
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コメント
「プロレスラーは死ぬんだよ」
思ってない
プラムが亡くなった時、改めて知った
プロレスは死と背中合わせなんだと、危険をはらんでると
死を認めてるんではない、断じて死を認めたりしない
ただ、絶対に忘れたらいけない
プロレスは危険をはらんでる、死と背中合わせなんだと
プロレスファンやってたらこんな辛くて、苦しくて、切ない事が有るんだと
あの時教わった。
プロレスに対して畏敬と愛しかない
今までもこれからも
プラムに福田に
三沢に誓って
この先も畏敬と愛を持ってプロレスと生きていく
投稿: やんぐらいおん | 2009年6月22日 (月) 01時54分