裁判員制度とセットなのはマスコミ弾圧
なのは、明らかでしょう。
週刊誌が間違ったことを書いたときの賠償金が10倍になったことと、市民の主観を裁判に反映させよう、という動きとは無関係ではない。
この地上で、反対意見がない主張は、「官僚が悪い」と「マスコミが悪い」だ。
わしもマスコミ人だが、じゃあ、書くことに不自由を感じるか、といえば、全然、感じない。
ウソばっかり書いてきたマスコミは、反省すべき時がきた、と思うからだ。
もっと言えば、マスコミはウソを書いて、権力を補助し続けてきたんだから、その馴れ合いを考え直したほうがいい。4000万円払え、と言われたら、考え直すかもな、と国家権力は考えている。
そんなウソの馴れ合いは、わしには金輪際、これっぽっちも、関係ないよ。
どっちもウソ、なんだから。
わしはまず、「マスコミ報道が信じられないから裁判員をやめたい」という人が出てくると思う。
これ、一番、まっとうな感情でしょ?
次に、「警察の取調べの説明を受けたが、これも信用できないから裁判員をやめたい」という人が出てくるよ。
これも、いたってまっとうでしょ?
次に「たった4日間の伝聞や体験で正義を主張する人は理解できない」という人が出てくる。
これもまっとう。裁判員内部の不信感だ。
わしは、人がまっとうに動いたら、裁判員制度はすぐ、潰れると思うがなあ。
あ、忘れてたけど、裁判員を断った人にはこう言う権利はないか。
私に人を殺すことを強要するなら、この国で、私の基本的人権は守られているの?
生存権が守られない国で人を裁け、と誰が言えるの!?
当然、それも出てくるよ。
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