わしのミスで、冊子「私と現代」に掲載されなかったわしの原稿全文です。
ご笑覧ください。
< 執筆依頼を手紙で受け取った。
極貧ライターにとって、執筆依頼ほどありがたいものはない。しかも書面。丁寧だ。編集者との接点がメールのみ、打ち合わせなし、の昨今では、本当に久々。
しかし、だよ。差出人は「『月刊現代』休刊とジャーナリズムの未来を考える会」。発起人は、魚住昭さんと佐藤優……。ん?
なんで、佐藤優!?
ジャーナリズムと佐藤優がどこでどうクロスする? 関係あるか!?
佐藤さんは元外交官だから、ロシアの要人と会えたが、私には無理。
起訴されて本を書いてベストセラーとなったが、佐藤さん、今、ジャーナリストとして取材してる?
国家権力をバックに機密費使い放題の経験を書いて、やれ、インテリジェンスだ、知だ、マルクスだ(私がマルクスについて書いても誰も活字にはしてくれんよ)ってメディアが持ち上げただけじゃん!
私は、佐藤さんの外交は全部、失敗している、と思うが、どうか?
私は「ジャーナリスト」ではない。事件記事の依頼を受けて、「真実」も「報道」も書けない、と深く感じ入ったからだ。先入観、恐怖、取材者に対する申し訳なさ、そして、締め切りの前に、私個人の判断力なんて爪の先ほども信用できないと思ったからだ。
私は「ジャーナリスト」ではないが、佐藤優さんのような人が出てきたら、私の稼業を守るために闘う。100回闘って、ほぼ100回負けてきたが、それでも闘うよ。権力には書けない事柄がこの国の地べたには存在し、ストリートワイズみたいなもんは、権力に抗する部分を必ず有していたからだ。
だから、私の『月刊現代』に対する思い出も負けた記憶ばかりである。
「博打ばっかりやっているダメ人間が、渾身でノンフィクションらしきものを書いたけど、『現代』って誰が読んでいるの?」
入り口の感想はこれ。
皆さんに問いたい。本当に、ここ20年、誰がこの雑誌を読んでいた!?
文字通りの背水の陣。お金がまったくなくなって、私は新宿駅西口地下の公衆電話から編集部に電話をかけた。
「今、撤去間際の新宿駅のダンボールハウス村を取材しているんですけど……」
「それ、送ってください」
即答だった。私は泣きそうになった。
池袋からの往復運賃300円。昼飯が立ち喰いカレーで350円。本当にお金がなくて、この取材費で講談社の原稿料をいただけるのなら、本当にありがたい。書く!
私は地べたから動けない人を片っ端から取材した。
ほとんどの人が、「悪いのは自分なんで、ここにいる理由を聞かないで」と言うのでめげた。身につまされた。
私は、西口に座っている人の中で一番でかい白髪老人に声をかけた。
「俺は国鉄スワローズの鵜飼勝美だ」
老人はそう告げた。
調べると、国鉄を金田正一がたった一人で支えていた時代のダメな4番打者だった。オールスターゲームに一度だけ選出された男。
ジャーナリストなら、ここでどうするのだろう?
鵜飼勝美に身分証を提示させる?
写真を撮って、家族を訪ねて確認?
「シゲをここに連れて来い! シゲが見たらすぐわかる」
長嶋茂雄を連れて来るわけにはいかないとしたら?
私は金田正一にコメントを求めたが、取材拒否された。
私はしょんべん横丁でしこたま酒を飲んだ。
意識もうろうでダンボールハウス群に向かい、
「ウソでしょ? あんたは鵜飼勝美じゃない」
当然、関係は決裂。
「シゲを連れて来い!」
締め切りが来たんで、そのまま書いたら……。なんと、一言の注文もなく掲載。
でもね、私がつけたタイトル「ダンボールハウスの4番打者」は、なんの断りもなくこう変更されていた。
「新宿ホームレスかく語りき」
こんな雑誌、ダメでしょう?
こんな雑誌が「ジャーナリズム」「ノンフィクション」を語る資格があるか!?
80年代に私がいた『平凡パンチ』は、「ジャーナリズムを捨てたからダメになった」と言われた。
でもね、「海開き 股開き」なんてタイトルの特集の原稿について、深夜まで徹底討論、書き直しを繰り返していた。ジャーナリズム、ノンフィクションじゃなくても、それが雑誌の常識です。違う?
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