「うへ」さん、消費は根源的な快楽か?
ブログをやって、やっと面白くなってきた。
「うへ」さんのコメントには、ものすごく深い問いかけがある。
ひとつは、「消費」だ。
先進国に需要がなく、社会制度が違う国では、みんなが消費したがっている?
そんなこと、あるわけない、と言いたいが、もし、そうだとしても、わしは「消費は人間にとって根源的な快楽か?」と問いたい。
もう、消費しなくても全然平気だとわしは思う。
もうひとつは、生存権。
生きることは国家が保障すべき事柄なのか、ということ。
まず、わしは国家というカテゴリーに疑問を持つ。
国家か? 基本的人権を守るのは?
国家がなくなったらどうする?
なくなるよ。近い将来。
だから、わしは希望しか抱いていない。
大恐慌のとき、まだ、日本には地域コミュニティーがあったから救われた?
作ろうじゃん! もう一度。
国家でも地方行政でもないところに。
日本人が破損している、みたいなことを書いて大金を稼いでいるやつらが大勢いるが、わしは100%信用しない。
自分で作るのよ。
だから、楽しいのよ。
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コメント
「消費は人間にとって根源的な快楽か?」という問いには、「仁義なき戦い」から答えるのが正しいと思う。
「ワシ等うまいモン食うてよ、マブいスケ抱くために 生きとるじゃないの。それもゼニがなきゃあできゃあせんので?ほじゃけん、そのゼニに体はろうっちゅうん、どこがわるいんよ?」
誰が否定できる?
あなたが、もう、消費しなくても全然平気だと思うのは、
「わしら、もう口が肥えて野良つくほどの根性はありゃあせんのよ」
ということは違うのか?
生きることはそれだけで消費なのだ。
メシ食ってるでしょ。
ブランドや高級車のように、差異のための消費は、個人的には存在しなくてもかまわないが、経済的には存在したほうが良いのだろう。
悲しいことだが、経済は戦争である。
そして、「戦いがおきるとき、真っ先に流れるのは若者の血である。そしてそれが報われることはあまりにも少ない」のだ。
投稿: うへ | 2008年12月22日 (月) 13時49分