裁判員制度 国家とともに正義をなす?
NHKで裁判員制度をやっていたけど、どう考えても、重いし、三日間の審議は浅はかだ。
国民の義務ってなんなのか。
裁判員制度では、国家による殺人である死刑を「するかしないか」を判断する義務が国民にある、ということなんだろう。
国家とともに個人を裁く。
それ自体は、わしもやっていいと思う。わしは死刑廃止論者じゃない。
でもね、国家とともに個人を裁く、という前提が成り立つのは、国家は「正しい」、つまり、国家は国民に対して犯罪を犯していない、ということがあってこそ、だろう。
年金問題はなんなんだ!?
国家による国民に対する詐欺である。
この問題が法の裁きを受けない限り、わしは絶対に裁判員になりたくなくない。
それとこれとは別問題、とか言う人もいるだろう。社会保険事務所に今もいる犯罪者を裁くのは、また、別の人?
だったら、死刑判決も別の人がやればいい。
たった3日だよ。しかも、情報はすべて国家が用意したもの。
テレビの模擬裁判では、被告の母、被害者の娘が証言したけど、実際の裁判で彼らは法廷に出てくるか?
被告の母だけ出てきて「命だけはお助けください」(これは身内として当然の主張。わしもそう言い張る)と言われた「三日坊主処刑人」はどうする?
被害者の夫がテレビの「スター」になっていたら?
無理。絶対に無理だし、物書きとして3日で判決は下せないよ。
犯罪報道も人を実質的に裁いている。
でもね、自分の足を使わないで、国家から与えられた情報のみで事件記事を書く物書きはいない。自分で調べて、確信を得てから書く。もちろん、確信して、間違いも書く。
すごく間違う、と言っていい。
大混乱になると思うが、どうか?
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コメント
そうですね、年金問題や、公的資金注入や、バブル崩壊の責任者を並べて裁判していいんだったら、やりたがるやつは大いにいると思いますよw
投稿: うへ | 2008年12月 7日 (日) 18時17分