大恐慌下の思想
アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない (Bunshun Paperbacks) 著者:町山 智浩 |
この本を読んで思うのは、人間とはそもそも「無知だから幸せ」なのか、それとも、国民を無知にする政治的な働きかけがあったのか、という疑問だ。
純粋福音派のアメリカ白人は、日本でも働いている。
たとえば、彼らと飲んでいてジャズの話を振る。アメリカ人だからジャズだろう、と思って振ると、ジャズのことなんか何も知らない。無知であることを恥じることは絶対にない。
ゆえに、こいつは日本で有能な営業マンになれるはずはないのだが(銀座のホステスなら、太い客がジャズ好きだったら、聴き込むよ)、なんでだが、高収入を得ている。
こんな変な関係を日本のマスコミは、「グローバル・スタンダード」の名でかしこい祖国の国民に納得させようとしたのである。
福音派のアメリカ白人には、「神と自分」しかない。それを遮断するやつは、科学だろうが、ビジネスだろうが、常識だろうが、郷に従うべき規範だろうが、完全に無視。
つまりは、究極のオタクなのだ。
神以外趣味を持たないオタク。
じゃあ、イエス様の話をしても、こいつらは食いついてこない。持論を展開して、わしが「でもさあ、キリストは利子を禁じているぞ」と言った時点で、会話はシャットアウトされる。ヘブンリーな微笑とともに。
福音派のアメリカ白人に「グローバル」のグの字もあるわきゃない。
これ、人間の本質なのか?
それとも、国家的な教育、あるいは、陰謀によって、そうなったのか!?
ただ、我が祖国に蔓延している「スピリチュアル」も大差なくて、「死んだお父様とあなた」は語られても、「郷」やコミュニティーに話が及ぶことはまずない。社会の、複雑な人間の相互作用は、きれいさっぱり無視される。知や学問は、ハナッから無視されている。
ひょっとこ麻生が利用しているのもそれで、「マニアックなマンガを読んでいる麻生」と「そのマンガが好きな孤独な俺」という、とるにたらない関係を「アキハバラ」という土地に「熱狂」として描いているに過ぎない。空疎、そのもの。
一方、アメリカによって、ササラモサラにされたイスラム社会は、知恵とコミュニティーの価値を第一義とする場所ではなかったか。
明日生まれる羊を使って取引をしてはならない(コーラン)。
G20の主役は「ヨーロッパ型資本主義者」かもしれないが、イスラム経済を代表する人物も参加する。
世界史でこんなに面白い局面はあるか!?
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