不安になる必要はない
とわしが強く感じるのには、理由がある。
なぜなら、金融システムが崩壊した国に行くと、ものすごく、気が楽になるからだ。
メキシコだ。
国家ではないところに行くと、さらにうれしい。
プエルトリコ、マカオ。
プエルトリコで出会ったおっさんは、靴がない(靴下で外出。もちろん家なんかあるわけない)のにわしより100倍うまいステップでサルサを踊り、わしより倍は幸せそうだった。
わしが単なる遺伝子の乗り物だと仮定して、遺伝子は、「横にいるやつを損させてわしが儲ける」という指令をわしに出しているか?
違う、と思うんだよ。
もし、そうだとしたら、人類は共同して狩りをしたか?
グローバルとか言っても、世界の金融システムは何度も崩壊してきた。この日本でもメガバンクが誕生したってことは、ひとつの会社じゃ立ち行かなかった、ってことでしょ?
金融システムは何度も崩壊して、それでも、人間は生き延びてきた。
砂漠の底に眠っている木材の成れの果てを汲み上げて、借金して買ってきた鉄の箱にわざわざ入って高速で移動する必要が人間にはある?
ない、ってなれば、恐慌なのだ。
そもそも、ない。ないのに正直に「ない」って言っただけで崩壊する世界は世界じゃない。
車がなくても人は生きてゆける。
でもね、目の前のいる人の心を慮ること、人に情をもって接することを失ったら人間は生きていけない。
人間は流木ではないし、カモでもない。
不安になることは何もないではないか。
経済が崩壊しても、わしらは遺伝子(神でも道徳でも哲学でもいい)の命ずるままに、他人の心を知ろうとしつつ、自由に生きればいいのである。
世界が崩壊しているのではない。
世界の表層に張り付いている欺瞞が解けているだけ。
わしらは確かにバラバラになったんで、努力がいる。
でも、その努力は「わかってあげよう」という一点だ。
報道を信じるな。小泉容疑者をわかってあげようと努力しよう。
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コメント
ブエノスアイレスにいます。日本では年金の国有化からまた経済危機が叫ばれていたアルゼンチンですが、全くそんな気配なしです。日本で流されていたニュースは全くなんだったのでしょう。
確かにヨーロッパやアメリカからの観光客は減ってはいるのかもしれませんが、ダンスホールやカフェ、レストラン何処も超満員です。観光客の多いフロリダ通りも人で溢れています。
物価は以前の倍から3倍になっていますが、街の熱気は2002年の経済危機から比べたら、全く好調そのものです。
こちらにいると日本で流されている悲観的なニュースは何かの策謀ではないかとさえ、感じられます。世界の実態は変わってはいないのでは??
不況のニュースを意図的に流し、経済支援の名目でまた、日本から金を搾り取る、アメリカの政策なのでは?とかんぐりたくなります。
それにしてもそこまで落ちるか、日本株!
投稿: ケンジ | 2008年11月27日 (木) 03時46分