亀田父の孤独。バラバラになった日本人。
人間の人間に対する態度で最悪なのは「無視」だと私は思う。
内藤大助選手は、3年ほど前から、亀田家に対し、丁寧に「試合をしましょう」「いっしょに日本のボクシングを盛り上げていきましょう」と語りかけた。
それに対し、亀田家は「内藤は弱い」「パンチがない」「6回戦クラス」などと口で言うだけで、無視を決め込んでいた。
私、亀田騒動の本質は「バラバラになって孤立した日本人」にあると思う。
亀田家にもいろいろ事情はあったと思うが、亀田家には他者に対する尊敬がかけらもない。だから、内藤選手にもファンに対しても謝罪しない。「無視」から始まった関係だから当然、そうなる。
「ファン」のほうはどうか。
抗議のために電話口で怒鳴り散らしたり、ランダエタ戦のあとにベネズエラ大使館にまでメールした「匿名」の群れ。
私が感じるのは孤独感だけである。
付和雷同して一方方向にどどどっと走る「大勢」は、孤独感ゆえに「大勢」を形成しているのではないか。
後楽園ホールに来いよ、と言いたい。
後楽園ホールに来れば、まず、ボクシングの本質がわかる。
本質がわかれば、「亀田大毅は打ち合いになれば強い」などといった奇妙な「世論」に流されることはない。
後楽園ホールに来れば、不当判定がある、ということもわかる。
私は何度、「ジムの力関係があるから」という言葉を聞いただろう。ジムの力関係があるから、グレート金山選手は死んだ。
そしてなにより、後楽園ホールに来れば、「殺す!」という意思の下、互いに殴り合っていた二人の男が、試合が終わり、互いに尊敬し抱き合う姿を見ることができる。
人間は流木ではない。(杉作J太郎)
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投稿: qgvtrsfmaw | 2007年10月23日 (火) 00時31分