悪夢とは何か?
悪夢のサイクル―ネオリベラリズム循環 著者:内橋 克人 |
かつて、「国家からの自由」「政治からの自由」は、大杉栄をはじめとする無産者の政治スローガンだった。貧乏人の思想だった。
しかし、今現在、それを最も強く主張しているのは、アメリカで「スティングリー・リッチ」(匂うほど金持ち)と呼ばれる少数派である。お金持ちの思想なのだ。
考え方の瓦解、崩壊、転換の前で、呆然としているのが、私を含めた日本人の姿なのではなかろうか。
最も強欲でエネルギッシュで自由を求める人たちが、民主主義、人権の世で既得権益を得た人たちを攻撃し始めた。
私は「普通の人」だが、どっちにつけばいいのだろう。
となると、「自由」以上に価値のある考え方は思い浮かばない。
アメリカでの選挙の場合は、物心ついたときから通っている教会の教えしかよりどころはない。
かくして、良識派、「普通の人」たちは、構造改革を支持したのである。
日本人に与えられた「美しい国」ナショナリズムが、アメリカのキリスト教のような役割を演じられるかどうか、は今後の課題だ。
自由民主党というそもそも矛盾した党名を持つ組織は、矛盾に沿って分裂した。
思想的に言えば、「自由なんてクソだ!」と言い切れる理論がなくてはどうにもならない。
現実的に言えば、「あなたは自由です」と言われた人が、失業し、収入を絶たれ、入院していた病院から追い出され、福祉作業所に通えなくなり、自殺する。
一番、情けないな、と思うのは、最も過激にネオリベラリズムを告発し、攻撃しているもの書きが、対抗する考え方として今も「民主主義」「人権」「人間」しか打ち出せないことにあるんじゃなかろうか。
もちろん、私もそう。良識派の普通の人だから(笑)。
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