2018年11月18日 (日)

マイルチャンピオンシップで万馬券!!

京都11レース マイルチャンピオンシップ

 
単勝⑥
 
複勝⑥
 
馬単⑥―⑧⑦⑮⑩⑱②
 
馬単⑧―⑥
 
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2018年11月 4日 (日)

JBCクラシックで固い握手

京都11レース JBCクラシック

 
単勝⑭
 
馬単⑭―④⑧①⑯
 
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2018年11月 3日 (土)

たった二日の国会答弁で片山さつきのウソがばれた!! 「南村博博二氏は片山事務所とはなんの関係もない」(11月1日) 「南村氏は(私設秘書しか入手できない)通行証を保有していた」(11月2日)

動かぬ証拠「参議院出入記章」「私設議員議員秘書に対する記章交付申請書」

<南村が原告(片山)の私設秘書であったことはない。>(片山さつきの訴状)

 この大ウソはたった二日の国会審議で完膚なきまでに叩き潰された!!

 11月1日。衆院予算委員会。逢坂誠二(立憲)は、片山さつきに問いただした。

逢坂「南村氏が片山さつき事務所の監査をしましたか?」

片山「その方につきましては、平成24年、25年のみ監査員を務めていただき、その前も後も、まったく、事務所とはなんの関係もない」

 税理士である南村博二は片山さつき事務所の政治資金収支報告書などを監査していた!!

 なのに「南村はうちの事務所となんの関係もない」!?

 さすがに「言い過ぎた」と思ったのか、片山は、

「まったく、事務所とはなんの関係もない、というか、そういう方でございます」

 むちゃくちゃだ。

 翌11月2日。後藤祐一(国民民主)が「動かぬ証拠」を出した。

後藤「昨日、片山大臣は『南村博二氏は私設秘書ではない』と答弁しておりますが、そうしますと、こういうものがあります。これは参議院議員の私設秘書しかもらえないバッジ、通行証と呼ばれるものです」「実際、小さくですが、(カードに)『私設議員秘書』と書いてある。片山大臣にお聞きします。南村氏はこの通行証を持っていましたか?」

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参議院出入記章

 のろのろと歩いてマイクの前に来た片山さつきは、このシンプルな質問にまったく答えない。

「お騒がせして申し訳ない」とか「私設秘書の法的定義」とか、なんの説明にもならない自説を並べ立て、ヤジの集中砲火を食らった。後藤議員の「質問に答えてください」という声などガン無視。しかし、一級年下の野田聖子議長に「質問に答えてください」と言われると「はい」。それでもなお、

「ここ重要ですから」

 などと無罪を主張し出す片山。のろのろと歩いてくるだけで、どれだけ国民の血税が浪費されるか、わかっているの!?

片山「この南村さんという方は、強く要望されたので、参議院事務局参議院出入記章を2011年10月から2015年5月までの間、保有されておりまして、同氏の活動の本拠地が福岡県に移りました2015年5月に返納されております」

「返納」の部分だけ大声で叫んだが、もう、逃げられないよ。

 1日前の片山さつきの答弁。

片山「当該税理士さんにつきましては、私ども事務所といたしましては、秘書として契約したこともございません。給与、報酬などを払ったこともなく、私が指揮、命令をする立場にあったこともございません」

 偽証罪が100%証明された。

後藤「南村さんは片山さつき議員の私設秘書じゃないですか!?」

 もはや「辞任するか、罷免されるか」しかなくなった片山新大臣だが、後藤議員が持つ「動かぬ証拠」は通行証だけではなかった。

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後藤「さらに言いますけどねえ、これ、ちょっと見てください。このバッジと通行証を入手するには申請が必要なんですけど、(ボードの申請書コピーの)ここに『私設議員秘書に対する記章交付申請書』とあって、『下記の私設議員秘書に対して、参議院出入記章(甲)の交付を申請します。』とある。そこに申請議員名を書きゃなきゃいけない。おそらくここに『片山さつき』と書いて、ハンコを押して、その下のところに『南村博二』と書いて、この申請書を出しているはずなんですよ」「片山大臣が、当時、議員ですけど、南村博二さんのことを私設秘書だと認めた上で、これ、公的な書類ですよ。参議院の。公的な書類を出しているんじゃないですか?」

 昨日まで、時折、笑みを浮かべて答弁していた片山新大臣から表情が消えた。

 安倍独裁政権崩壊へのカウントダウンが始まった。

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2018年10月29日 (月)

天皇賞(秋)レイデオロが勝った!! 「5代血統表にサンデーサイレンスの名前がない馬」6年ぶりの勝利!!

 って、書いて空しくなる。レイデオロは社台ファーム直系「サンデーサイレンスがいた」ノーザンファームの生産馬なのだ。

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レイデオロ

 6年前に勝ったエイシンフラッシュは、「総本山」社台ファームがドイツから輸入した。

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エイシンフラッシュ

 競馬場、牧場にサンデーサイレンスの血があふれ、交配ができなくなる「血の袋小路」を恐れ、正しく対処しているのは社台グループだけだ。

 サンデーサイレンスの子孫たちに賞金をがんがん咥えて来させ、その金で「非サンデーサイレンス系」の馬を輸入する。他の牧場はやりたくてもできないことだ。

 ジャパンカップはどうか?

「5代血統表にサンデーサイレンスの名前がない馬」の勝利は、なんと、2009年のウオッカが最後だ。

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ウオッカ

 ウオッカを生産したカントリー牧場は、2012年2月に解散した。

「歴代リーディングサイアー」表など、空しくて誰も見ないだろうけど、1位の馬の5代血統表からサンデーサイレンスが消えるのを目撃するためには、1994年のトニービンまでさかのぼらなくてはならない。

 トニービンを輸入したのは、ノーザンファームだ。

「非社台」リーディンサイアーを見つけるためには、1989年のミルジョージまでさかのぼらなければならい。

 1989年の今頃は、オグリキャップがマイルチャンピオンシップとジャパンカップを連闘した狂気の秋。競馬ブーム爆発の起点だ。

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オグリキャップ

 JRA競馬場入場者数がピークを記録するのは1996年。売り上げのピークは翌1997年。

 オグリキャップがJRA競馬場で疾駆した約2年10ヵ月。テレビ東京の血統予想コンピュータは延々とアナウンスを続けた。

<コンピュータの診断では、オグリキャップはダート向きである、という判定です。>

 どういうことか?

「出自」「血の呪縛」をぶっ飛ばし、下剋上を叫ぶ馬がいなければ、マニア、ギャンブラー以外の客を競馬場に呼べない、ってことだ。

 それは、ウオッカが疾駆した2007年以降、長期低迷だったJRAの売り上げ、入場者数がわずかだが上昇したことにも表れている。

 2008年。天皇賞(秋)。ウオッカ、ダイワスカーレット、牝馬2頭の壮絶な叩き合い。あれ以上の名勝負があったら教えてください。

 昨日の天皇賞の売り上げは、183億4111万1700円で前年比5.3%減だった。

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2018年10月28日 (日)

天皇賞(秋)東京競馬場に奇跡は起きる!!

東京11レース 天皇賞(秋)

 
単勝⑩
 
馬単⑩―⑤④⑫⑥①⑦
 
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2018年10月27日 (土)

安田純平の長い沈黙と「ゲイには生産性がない」という身内議員の言葉を「自民党の多様性」として放置する安倍独裁政権 今、観るべき映画『アラビアのロレンス』は、なぜ、史上最高作なのか? 

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 真っ黒なスクリーン。太鼓の音で映画は始まる。

 出だしの音楽は、ストラヴィンスキー的な混沌。それが「映画を観た人の脳裏に一生残る」テーマ曲へと変わり、さらに行進曲に転じるが、スクリーンは真っ黒なままだ。

 最初に映し出されるシーンは、バイクの俯瞰。

 金髪の男が歩み寄ってきて、ガソリンを入れ、タンクを丁寧に拭く。

 男は数分後にバイク事故で死ぬ。

 葬儀のシーンで最初のセリフが入る。

「偉大な男だった」

「しかし、この大聖堂にふさわしいかどうか?」

 この映画は、「キリストになりたかったアンチ・クライスト」の物語なのだ。

 今、観直しても、シナリオ、撮影が信じがたいほど素晴らしく、「戦争スペクタクル」「史劇」として最高の作品だが、「この映画を繰り返し観ている」という人に会ったことがない。

 なぜ?

 主人公のロレンス(ピーター・オトゥール)に感情移入できないからだ。

 それは映画製作者の失敗ではなく、監督、シナリオライターが意図して「感情移入できない戦争の英雄」を作り上げているのだ。

 もうひとつ。この映画に女優はひとりも出て来ない。「ロマンス」の要素はゼロ。戦争映画なのに男の子向け映画として作られていない。

 女子ゼロの傑作映画があったら教えてほしい。

 私は『遊星からの物体X』一本しか知らないし、『物体X』は南極が舞台の超破壊的ホラーで「英雄の存在を許さない」という意図で作られている。

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映画『遊星からの物体X』

 なぜ、ロレンスに感情移入できないのか?

 ロレンスは「戦争の英雄」であると同時に「少数派の中の少数派」「壊れた人間」だからだ。

 私は「主人公の壊れっぷりがすごい」と思って、映画『タクシー・ドライバー』を十数回も見てしまったが、『アラビアのロレンス』のピーター・オトゥールは、トラヴィス(ロバート・デニーロ)よりはるかに壊れている。

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映画『タクシー・ドライバー』

 謎のシーンの数々を見ていこう。

 50人の部隊で砂漠を横断する、という誰もやったことのない冒険に挑むロレンスとアラブ人たち。ロレンスは人が乗っていないラクダを見る。

「それがあいつの運命だったんだ」

 シャリーフのアリ(オマー・シャリフ)は言うが、ロレンスは、

「運命などない」

「俺はあいつを見つけ、助け出し、アカバに行く。運命にはそう書かれている。ここにな」

 ロレンスは自分の頭を指差し、救出に向かう。

『アラビアのロレンス』は、アルベール・カミュ的な反抗者を始めて描いたアメリカ映画だと私は思うが……いや、待て。マーロン・ブランドの『波止場』があったか。これも観直さねば。

 戦友を救出し、歓喜の声の中、オアシスにたどり着いたロレンスは、英国軍の軍服を脱いでぶっ倒れる。

「洗濯してくれ」

 アリは、干された軍服を焚火に放り込む。

 次のシーンに登場するロレンスは、純白の「族長の服」を着ている。アリは、ラクダに乗るときの半透明の薄い上着を差し出す。

 上着をなびかせ疾駆するロレンス。しかし、次のシーンがどう考えても解せない。

「もう誰も見ていないな」というところまで来たロレンスが、新しい服を見つめ、上着を両手で持って踊るのだ。

 後半の拷問シーンも奇妙だ。

 トルコ軍に拘束されたロレンス。ボスは、捕えた数人の顔をじっくり眺め、

「こいつだ」

 ロレンス以外の拘束者は解放される。

「ここに来て3年半になるが、月の裏側よりも退屈だ」

 ボスは、ロレンスの服を脱がせ、胸の肉に触る。

「白いな」

 ボスを殴ったロレンスは鞭打たれる。

 拷問後に解放されたロレンスは、まったくの別人となり、アラブ人の仲間を見捨て、ロンドンへと帰還する。

 久々に英国軍将校クラブに行くロレンスのシーンは奇妙奇天烈だ。

 知った顔を見つけたロレンスが、両手を外に突き出したおてんばな「女の子走り」で軍人集団にとりつくのだ。

「新しい軍服をもらったの♡」

 砂漠を走るピーター・オトゥールは、むちゃくちゃ力強く男性的だったのに……。

 シナリオライターは明らかに「英国軍の英雄はゲイだった」と書いているのに、映画評論家は誰もそのことに触れず、『アラビアのロレンス』はアカデミー賞を独占した。

(つづく)

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2018年9月30日 (日)

スプリンターズステークスで万馬券!!

中山11レース スプリンターズステークス

単勝 ⑮
馬単 ⑮―⑤⑪⑯⑦⑧
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2018年9月23日 (日)

沖縄県知事選 佐喜真淳候補の選対にいる元週刊文春記者 竹中明洋のねつ造記事が巻き起こした憎悪の連鎖、そして殺人予告

<こいつの父親のせいでどれだけの日本人が苦労したことか。><自殺するまで追い込むしかない>

元朝日新聞記者・植村隆の娘の写真を晒したツイート

<あの元朝日(チョウニチ)新聞記者=捏造朝日記者の植村隆を講師として雇っているそうだな。売国奴、国賊の。朝鮮慰安婦捏造記事がどれ程日本国、国民の利益を損なったか? 植村の居場所を突き止めて、なぶり殺しにしてやる。すぐに辞めさせろ。やらないのであれば、天誅として学生を痛めつけてやる>

植村隆が勤務する北星学園大学学長宛の脅迫状

 現在、佐喜真淳候補の選対にいる元週刊文春記者・竹中明洋の記事は、ヘイトスピーチの連鎖を生み出した。

<“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に>(『週刊文春』2014年2月6日号)

 1ページにも満たない記事だが、ウソとねつ造の塊だ。

 植村がすでに雇用契約を交わしていた<お嬢様大学>神戸松蔭には、抗議、脅迫の電話、メール、手紙が殺到し、3月7日、契約は解除された。

 竹中明洋の著書『沖縄を売った男』(扶桑社)のオビ推薦文を書いたのは、菅義偉官房長官だ。

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<仲井眞さんこそが県民の幸せと発展を考えて最善の努力をした人。「売った男」でないことは歴史が証明するはずです>

 この本の出版後、自民党青年部は竹中明洋を招き昼食会を行っている。

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 佐喜真淳候補はこう言っていなかったか?

「対立や分断からは何も生まれない」

 そう語った政策発表記者会見で真後ろに座り助言を行った竹中明洋こそ、この国の人々を分断し、憎悪の応酬を生み出した張本人だ。

<一九九一年八月十一日。朝日は当時、大阪本社社会部にいた植村隆記者の署名で<「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人」従軍慰安婦のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかった>(大阪本社版)とする記事を掲載した。>

 この記事はねつ造された!?

<だが、朝日の報道には、その後の研究で重大な誤りがあったことが明らかになっている。>

<ちなみに植村記者の妻は韓国人で、その母親は慰安婦支援団体の幹部を務めていた人物だ。>

<総括すべきなのは、最初に署名入りで報じた植村記者も同じだ。だが、なんと今年三月で朝日新聞を早期退社し、四月から神戸を代表するお嬢様女子大、神戸松蔭女子学園大学の教授になるのだという。>

 植村隆は文藝春秋社を名誉棄損で訴え、裁判は今まさに山場を迎えている。

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<植村さんは><『ライフワークである日韓関係や慰安婦問題に取り組みたい』と言っているようです」(朝日新聞関係者)>

 今年9月5日。<朝日新聞関係者>は実在せず、このコメントが完全な「作り話」だったことが法廷で暴露された。

 竹中明洋自身が登壇し、助言を行った佐喜真淳氏の政策発表記者会見の2日後に「竹中明洋は記事をねつ造した」と裁判記録に記されたのだ。

 竹中は裁判で「この記事は自分のプランではなくデスクから指示されて書いた」と主張した。

<吉村弁護士 記者には5本のノルマがあったそうですね

竹中証人 おっしゃる通りです

吉村弁護士 陳述書では、デスクに指示を受けて取材を開始した、とあるが、あなたのプランではないのか。

竹中証人 そのような事実はない。

吉村弁護士 このプランをデスクはどうやってみつけたのか。

竹中証人 わからない。デスクが自分でネタをみつける場合もあるので、なんとも申し上げようがない。

吉村弁護士 デスクから指示があったということか。

竹中証人 おっしゃる通りだ。

吉村弁護士 秦郁彦氏や西岡力氏に会ったのもデスクの指示か。

竹中証人 デスクの指示だったか私が思いついたのか、記憶が定かではない。>

「私の発案ではない」と言い張る竹中だが、記事を書いた後も神戸松蔭、植村の職場である北星学園大学、朝日新聞社に何度も質問状を送付している。

 最も激烈なヘイトスピーチを受けた北星学園大学への質問状にはこうある。

<植村氏をめぐっては、慰安婦問題の記事をめぐって重大な誤りがあったとの指摘がなされていますが、大学教員としての適性に問題ないとお考えでしょうか>

 法廷での質疑ですでに「竹中明洋は記者としての適性がない」とことが明らかになっていた。

<吉村弁護士 あなたが植村さんには大学教員の適性がないと考えたからですね。

竹中証人 たしかに適性という言葉を使っているが、私が植村さんに適性がないなんていうことを思ったことはない。

吉村弁護士 じゃあ、どうして訊いたのか。

竹中証人 ほかに表現を知らなかったからだ。(傍聴席に笑いとざわめきが起きる)

吉村弁護士 疑問を感じたから訊いたんでしょう。

竹中証人 ですから、ここに書いてあるように指摘されていると。

吉村弁護士 だれが、適性がないと指摘しているのか。

竹中証人 巷間、一般的にです。>

<吉村弁護士 あなたが取材した西岡さん、秦さんに言われたのか。

竹中証人 うーん、誰と言われても、それは記憶していない。

吉村弁護士 少なくとも疑問は持っていたわけですよね。

竹中証人 私は識者である西岡さんが書いたものをそのまま記事にしただけだ。そのような先入観を持っていたわけではない。

吉村弁護士 そうですか。あなたは、週刊文春の8月の記事の地の文で「今ではこの記事には捏造と言えるほどの重大な誤りがあることが明らかになっている」と書いている。

竹中証人 言えるほどの、と書いていて、断定はしていない。(傍聴席、笑い声)

吉村弁護士 あなたは同じ記事の文末で、「韓国人留学生に対して自らの捏造記事を用いて再び“誤った日本の姿”を刷り込んでいたとしたら、とんでもない売国行為だ」と書いている。

竹中証人 いたとしたら、と仮定の話として書いている。断定はしていません。>

 佐喜真淳氏の背後に陣取り、せわしげに資料を繰り、助言していた男は、そのわずか2日後、法廷で「記憶にない」「私が悪いんではないんです」と言い訳を繰り返し、冷笑を浴びていた。

 問題の週刊文春記事はこう締めくくられている。

<朝日は不都合な真実にいつまで頬被りをするつもりなのか。日本が失った国益は余りにも大きい。>

 国益!?

 辺野古の海を埋め立てることが国益なのか?

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 ノーパラサン!!

 奴らを通すな!!

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2018年8月12日 (日)

大拡散希望!!麻生太郎と「ブラッド(虐殺)ダイヤモンド」の深い闇 終戦間際、麻生吉隈鉱山でオーストラリア人捕虜2名が亡くなっていた!!

「私たちは麻生鉱山で殴られながら重労働に苦しんだ」

「腰布一枚だけを身につけ1日12時間勤務を強いられた」

 2009年4月。第2次大戦中のオーストラリア人捕虜3名が、麻生太郎首相に共同書簡を出した。

<当時の虐待行為とその事実を認めなかったことについて、個人的な謝罪を求めます。><過去の不法行為に対する救済についての国際的な基準に沿った金銭的補償を求めます。>

<こうした手続きを取ることは、あなた自身やあなたの親族企業、そして日本にとって正しい道です。>

 2006年1月。外務大臣となった麻生太郎は、日本記者クラブで次のような演説を行っている。

「実は私、西アフリカのそのまた西の端にあるシエラレオネという国で、昭和45年から2年生活したことがあります」

「私の実家というのは元は石炭の山を掘っておりました。シエラレオネでは、ダイヤモンドを掘れという命令です」

「ダイヤモンドを掘る現場ですから、マシンガンで襲われたりする事件に、いちいち驚いてはいられない。けれども我々のところは、全く襲撃されませんでした。部族の長老にきちんと挨拶をしてあるし、電気を起こしてあげたり薬を譲ったり。指導者たちの信頼を勝ち得ていたから、命を狙われるというような心配は何もなかったわけです」

「この時期以来、私はいつしか、『日本の常識は世界の非常識などと言うが、日本人がアフリカでもっと働くようになると、日本の常識は素晴らしいと言われるようになるのじゃないか』と思い、口にもするようになったのです」

「というのは2年というもの、我々日本から行った者と同じようにして、現地の人たちと一緒に汗を流しているヨーロッパ人や、アメリカ人の姿というものに、あまりお目にかかることがなかったからです。一般化しすぎるのは慎まないといけないが、少なくとも我々日本人だけでした、現地の人々とまったく同じ目線で、共同して働くという姿勢を持ち合わせていたのは」

 外国人とまったく同じ目線?

「日本人のこういう働きぶりこそ、我々の誇るべきソフトパワーではありませんか。現場で現地の人たちと一緒に汗を流し、労働の喜びそれ自体を伝道するということ」

 麻生太郎はシエラレオネの人々と一緒に汗を流した?

「旧約聖書によれば、労働とは、アダムとイブが神との約束を破った罰として与えられたものといいます。ところが古事記には、天照大神が機織小屋から出てみれば、神々は高天原で働いていたと書いてある。神々が働くくらいですから、日本の神話によれば労働とは当然のこととして、善をなす行いであるわけです」

 麻生太郎は、キリスト教徒の労働観をも否定したのだ。

 その年の11月、ニューヨーク・タイムズなど米国メディアが「麻生はウソつきだ」と一斉に報じた。

<麻生太郎一族が経営する石炭鉱山で第2次大戦の捕虜300人が強制的に働かされていた。>

 怒った麻生は外務省に怒鳴り込み、在米総領事館HPに否定のコメントを掲載させた。

<日本政府は当時の一私企業である麻生鉱業の雇用形態や労働条件などをコメントする立場にはない。しかしながら、日本政府は、これまでに麻生鉱業が強制労働に関与したというどんな情報も得たことがない。ニューヨーク・タイムズ紙が何の証拠もなしにこのような偏向した報道を行うとは、はなはだ遺憾である。>

 麻生太郎が総理大臣の椅子に座り、わずか3ヵ月後の2009年1月。在米総領事館はこのコメントを削除した。

 民主党議員の情報公開請求により、終戦間際の麻生鉱業の資料4つが、外務省の倉庫から発見されたからだ。

 1945年2月22日。麻生鉱業は、杉山元・陸軍大臣に対し「捕虜300名を1年間使用したい」という許可願を出していた。

 これがその許可願だ↓

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 内訳は、オーストラリア人197名、英国人101名、オランダ人2名。

 その後の報告書には、オーストラリア人2名が麻生吉隈鉱山で死亡したことが記されていた。

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麻生鉱業所吉隈鉱山

 わずか半年足らずで麻生鉱業はオーストラリア人ふたりを殺したのだ!

 終戦の年。麻生太郎一族の石炭鉱山はどうなっていたのか?

<一九三九年になると朝鮮から(労働者を)強制的に連れてくるようになった。毎月五十人づつ寮には千三百人も収容しとった。>

<坑口のすぐ側の第二鮮直(朝鮮人直轄寮)は、一つの棟を二階建ての総ガラス張りの監視所を作って番兵を置いた。

 赤坂炭鉱の寮は全部立ち入り禁止で、刑務所よりも悪かった。刑務所は申し込めば面会も出来たが、ここだけは絶対に許されんやった。

 寮の周囲には板塀があって、刑務所みたいに針金が出とって飛び越えるのは無理でね。石の門があって、そこしか出入りが出来んが、労務の詰め所があって犬一匹も通さんやった。>

<ある日、一人の朝鮮人坑夫の首筋の傷を見たので、

「お前、首の傷はどうしたとか?」とたずねた。

「労務からやられました」

 首筋には蛇のような跡形がついて、皮膚がめくれて逆立ちしとった。そこが化膿して血膿が出て、悪臭が漂っとったですばい。>

<見ただけで吐き気がきそうな体をしとった。それを側で聞いとった労務が、「何だと? 労務からやられたんだと? 嘘をつきやがって、誰が何時叩いたか!」といってまた叩き始めた。一人が仲に入って止めた。シャツを脱がせるとすごい傷跡でね。>

<炭鉱は、はっきりいって朝鮮人地獄ですよ。命令通り石炭を掘らんと、坑内でくらす(叩く)ですよ。馬でも牛でも朝鮮人ほどはくらさんですよ。>(黄学成・元麻生鉱業所赤坂炭鉱朝鮮人隊長の証言『消された朝鮮人強制連行の記録(林えいだい)』明石書店)

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2018年8月11日 (土)

麻生太郎と「ブラッド(虐殺)ダイヤモンド」の深い闇 「労働者万歳! 麻生炭鉱ストライキだ!」 筑豊遠賀川の土手に数十本のムシロ旗が翻った!!

<1999年 シエラレオネ

 ダイヤモンド採掘権をめぐり内戦は激化

 数千の命が消え 何百万もの難民が生まれた

 ダイヤには無縁の人々だった>

(映画「ブラッド・ダイヤモンド」冒頭の字幕)

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「実は私、西アフリカのそのまた西の端にあるシエラレオネという国で、昭和45年から2年生活したことがあります。年齢で言うと、30歳になった年に行き、32歳までおりました。

 実家の会社からの派遣でした。ご存知なくても一向構いませんが、私の実家というのは元は石炭の山を掘っておりました。シエラレオネでは、ダイヤモンドを掘れという命令です」

(麻生太郎・外務大臣の演説 日本記者クラブ 2006年1月)

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麻生太郎

 シエラレオネのダイヤモンド採掘権を握っていたのが、麻生太郎の「実家の会社」麻生産業だった。

 世界のダイヤ消費量の3分の2は、アメリカと日本が占めていた。

 映画のファーストシーンで漁師のソロモン・バンディー(ジェイモン・フンスー)は反政府軍に捕らえられる。

「お前ら、わかるな? 政府は投票させたい。“国の未来は国民の手にある”ってさ。違う! 俺たちの未来だ。だから手を切る。投票させない。切れ!」

 少年の手が斧で切断される。

「広めろ! “革命統一戦線(RUF)”が来たと」

 次はソロモンの番だったが、

「いや待て。切るな。こいつは使える。トラックへ。採掘場行きだ。こいつは働ける。乗せろ」

 ダイヤモンド採掘場でRUFのポイズン大尉(デヴィッド・ヘアウッド)が叫ぶ。

「この国の政府は白人の言いなりで、ダイヤの利益を独占してきた。RUFは人民を解放した。奴隷も主人もいない」

 麻生太郎はなぜ、シエラレオネの地に降り立ったのか?

<みなさんは、西アフリカにある「シエラレオネ共和国」をご存じだろうか?>

<この国の人々の健康状態は、世界一悪いことで知られている。

 例えば、平均寿命は三十四歳(二〇〇二年、ユニセフの統計)と世界最短であり、日本人の平均寿命が八十歳ぐらいであることと比較すると、半分以下である。>(山本敏治『世界で一番いのちの短い国 シエラレオネの国境なき医師団』小学館文庫)

 麻生太郎一族の奴隷労働の記録は百年前に始まる。

<筑豊で大正時代から朝鮮人坑夫を大量に雇用したのは、一九一六年貝島炭鉱が最初であった。次に三菱鉱業所、麻生商店(後の麻生鉱業所)、古川鉱業所へと続いた。>(林えいだい『消された朝鮮人強制連行の記録』明石書店 以下「」内は同書からの引用)

 戦前、麻生炭鉱で一番タフだった男、黄学成はこう語っている。

<一九二八年の八月十七日、麻生赤坂炭鉱に志願できた。><八十人の坑夫を抱えて、朝鮮人納屋では大きいほうでね。納屋の部屋をぶっ放して広いところに坑夫はごろごろ、まるで豚小屋のような感じやった。>

<赤坂炭鉱の坑内はガスが多くて、息苦しくて採炭するとふらふらしてね。安全灯を持って下がるが、ガスが多いとぽっぽっと燃えるが、ガスのないところじゃ青い火が燃えた。>

<二交代制の場合は十二時間だが、それで上がれることはない。石炭を掘っても函がないと上まで出せないから、函待ちで上の連中と揉めるよ。本線のレールが一本しかないから下の者は文句をいうが、箱がないのでやっぱり十五時間くらい坑内におるわけだね。

 朝五時に入坑して、昇抗するのが十時になるのはそう珍しいことではないので、眠る時間が少ないからぐいぐい酒を呑んで疲れを取るしかない。

 納屋は広い割に天井板がないので、冬になると外の風が吹きまくって、センベイ布団の中で震え上がった。畳は取り替えないので、炭塵に汚れてぼろぼろでね。万年床の布団も真っ黒で、日に干したことがないからべとべとしとる。二交代制で半分は入坑しとるから、開いた布団に誰から潜り込んで寝た。>

 安いことで有名だった賃金は、なんと、現金で支払われなかった。

<不況になっても困らないように何処の炭鉱も金券という、炭鉱発行の紙幣を出して、これは炭鉱切符ともいわれとった。麻生の鉱主の紋入りで、五十斤とか百斤とか小刻みにあって、これは炭鉱とか納屋の売勘場(売店とも配給所ともいう)しか通用せんので、飯塚の街では買い物ができないのよ。売勘場の価格は、普通の店より二、三割は高いから、働いた賃金は全部炭鉱から吸い取られてしまう仕組みになっとる。>

 日給は80銭。現在価格で1900円ほどだ。

 麻生太郎は、シエラレオネのダイヤモンド坑夫にいくらの賃金を支払っていたのか?

 2012年発行の本にはこう書かれている。

<農村部では、平均賃金が一日に一ドル(約八十円)以下>(マリアトゥ・カマラ スーザン・マクリーランド『両手を奪われても シエラレオネの少女マリアトゥ』汐文社)

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